第8話 宣戦布告
ウラジオストク市内の旧日本人街に建ち並ぶクラッシック建築の一つにイワノフ大統領、
会談の内容は「一ヶ月後に日本に宣戦布告を行う」「日本国内の山中にエリアにミサイル一発を着弾させる」「核による攻撃をちらつかせ、宣戦布告より三日以内の降伏を突きつける」そして…
「この…」
イワノフ大統領がテーブルに広げた二メートル四方の日本列島地図に赤い線を引いた。
「くびれたところにあるビワコより上を我が国、ビワコを含む下を中国が占領する。その後、属国にする。ここまでは、以前からの約束通りに。ここからは新しい提案です。いずれは、この赤い線をロシアと中国の国境にしましょう。いかがですか、すか李国家主席。その時は、ここを全委員長にやるよ」
他人の心臓を射貫くような視線を二人に向けながら対馬を指さした。李国家主席が大きく頷きながら「異存はありません」愛想笑いを浮かべ、全委員長は引きつっているような薄笑いを浮かべた。
六月十一日午前三時。朝鮮半島南部二十五箇所から中距離弾道ミサイル十七発、巡航ミサイル五発、極超音速ミサイル三発が一斉に発射された。同時にロシアと中国のキラー衛星が日本の「宇宙巡回船(軍事衛星)」十八基を破壊した。
ウラジオストク三者会談の情報を得ていた日本政府は、侵略攻撃を予測して会談が行われた翌日には、戦時中と同レベルの警戒システムを陸海空自衛隊に発令していた。
朝鮮がミサイルを発射した一秒後には、軍事衛星十八基が破壊されながらも、警戒管制レーダー二十八基、イージス艦十隻を駆使した「総合ミサイル防空システム」が警告を発していた。発射十秒後には「自動警戒管制システム」が航空防衛部隊、陸上ミサイル防衛部隊、イージス艦十隻に迎撃命令を出した。
半年ほど前、国土、航空、宇宙防衛を司る日本版NORAD「航空宇宙防衛本部管制司令室」が百里基地地下深くに完成していた。四十人程が見つめるスクリーンには、朝鮮半島日本海沿岸地域の所々からミサイルの軌道を表すオレンジ色をした二十五本の線が凄い勢いで日本の領土、領海の赤い点滅に向かって伸びていた。赤い点滅は「自動警戒管制システム」が瞬時にはじき出した着弾予定地点だ。
オレンジ線二十五本の先にある赤い点滅のほとんどは、日本海上と太平洋上だったが、一つの赤い点滅が示していた着弾地点は秋田県の山中になっていた。
「自動警戒管制システム」から指令を受けた「あづま」「ざおう」「まや」「あすがら」「ちょうかい」「こんごう」「きりしま」「あたご」「みょうこう」「はぐろ」のイージス艦十隻から迎撃ミサイルSM-3BlockⅤが発射された。緑色の軌道がオレンジ色の軌道先端に伸びていった。その十秒後、秋田県山中に伸びているオレンジ線に向かって、青森県三沢に本部を置く第六高射群のPAC-3MSE五発の軌道が伸びていった。
迎撃ミサイル全ての軌道が消えた。しかし、二十五本のオレンジ線は赤い点滅に到達したか、赤い点滅の目前まで進んでいた。
一人として言葉を発しない、恐ろしいほど長く感じられる無音の数十秒間が司令室内に流れた。モニターの赤い点滅全てが赤のままで止まった。「着弾した証拠」だ。
一発のミサイルも迎撃されることなく着弾したのだ。
結局、発射されたミサイルは、十五発は日本海海上に、九発は日本列島を飛び越え太平洋洋上に、一発の中距離弾道ミサイルが秋田県に着弾した。
最後に着弾したミサイルは発射から十分後、秋田県に着弾したミサイルは発射から六分かからずに着弾していた。
無音だった航空宇宙防衛本部管制司令室から「迎撃失敗」の言葉が響いた。侵略対応対策室のスクリーンで同じ状況を見ていた総理に伝えられたのだ。
「やはり…ダメだったか…」
総理が座る椅子の背もたれが鈍い苦痛の音をたてた。総理の手には、午前二時五十五分に届いたロシア、中国、朝鮮の三国から「宣戦布告」されたことを報告する一枚の紙が握られていた。
「一発だけ当ててきた…正確に、人家の無い、山中に…見事だな」総理が吐き出し、目を閉じた。
日本領土には一発だけ当てればいいのだ。脅しはそれで十分なのだ。後のミサイルは、実験、訓練を兼ねてダミーで飛ばされた。日本のミサイル迎撃システムレベルと、ミサイル性能の確認が取れればいいのだ。実際、朝鮮は「あらゆるミサイルをあらゆる形」で発射していた。朝鮮は全てのミサイルから満足を得ることが出来た。
「Jアラート」は発せられなかった。日本政府は朝鮮半島が統一された時から「Jアラート」の運用を止めていた。仮に釜山近郊から中距離弾道ミサイルを発射された場合、大阪に五分弱、東京に五分強で着弾してしまう。福岡には一分強ほどで到達する。極超音速ミサイルに至ってはそれより更に短時間で日本に着弾してしまう。東京に五分かからず着弾してしまうのだ。発信から三、四分かかっていたJアラートは「無用の長物」になっていたからだ。
「東京メトロ全線運休…か…」
有楽町線平和台駅に着いて分かった。交通機関が全て止まっていた。「もう、戦時下体制になったのかなぁ」順一は独り言を言いながら環八通りをタクシーを求め歩き出した。そこで初めて順一は気が付いた。「歩き回っている人たちは自分と同じように、通勤難民がタクシーを求め彷徨っている」のだと。
戦時下体制法は半年前の一月一日から施行されていた。法制化に向けた動きの中でマスコミには少し取り上げられていたが、朝鮮半島統一の混乱余波や国民のほとんどが「自分には無縁なこと、関係ない」そんな雰囲気だったので、人知れず法律は成立して施行されていた。順一も戦時下体制法が施行されたことは当然に知ってはいたが、法律の内容はあまり理解はしていなかった。
戦時下体制法は緊急急非常事態宣言を発展させた法律だった。緊急非常事態宣言の「家から出るな、じっとしてろ。勝手なことしたら逮捕するぞ」的な内容ではなく「国民の日常生活を制御」する為の法律なのだ。日本が侵略的な攻撃を受ける可能性を察知してから戦争中、終戦、終戦後に至るまでの国民生活や経済活動を政府が「統制する」為に発動する法律だ。憲法で保障されている権利を「戦争の惨禍」中は「公共の福祉の為に我慢しろ」と言うことだ。
「戦時下体制」に移る前段階で「緊急非常事態宣言」を行う。これにより全ての公共機関、公共交通機関、会社、学校などは全て休業として「国民に不要不急の外出禁止令」を発する。しかし今回は「緊急非常事態宣言」を発することなく公共交通機関を先に止めた。
「国民の日常生活を統制する戦時下体制法」の中で最も重要なのは「買物」に関する規制である。売り手側が絶対に順守しなければならないのは「価格を維持すること」である。「全ての小売業者は、戦時下体制直前の価格を戦時下体制後においても維持しなければならない」となっている。当然にこのことは生産者、メーカー、卸業者も同じである。値を上げることは一切許されない。それから一週間以内に米、パン、肉や野菜のような主要品目ついては、消費者庁が決めた価格に全国統一する流れになっている。営業のやり方にも規制がある。「小売業者が営業を可能とする時間を五時間とし、営業を可能とする時間帯は午前九時から午後六時までの間とする」その他にも「休みの日数や営業開始時間を地区の店舗毎に週単位で変える」などの細かい規制がかけられる。
消費者が守らなければならないのは「買う量」と「買う日」である。「買う量」はその通り「買い溜め、買い占めを防止する」為の規制だ。「買う日」は国民一人一人に与えられている「マイナンバー下一桁の番号で買物出来る日が決められる」のだ。例えば「下一桁が1と2は一日が買物可能日、3と4は二日が買物可能日」となる。在日外国人に対してはパスポートの番号で対応する。買物する個人は必ずマイナンバーカードを持参し、小売業者の大小問わず一年前から設置義務となった「マイナンバー番号、パスポート番号管理機器」に必ず通さなければならない。これにより個人の買物記録が全て中央に集められ管理されることになる。
戦時下体制法に違反した場合は戦時下体制特別刑法により「十年以下の懲役又は一億円以下の罰金に処す」というかなり厳しい刑罰を受けることになる。
「組織的な事案や非常に悪質な事案」の場合は戦時下体制法と同時に施行された、いわゆる「国家反逆罪」が適用される。法定刑は「死刑または二十年以上の禁固」となる。戦時下体制が長期化し、物資が不足してくれば配給制に移行することも規定されている。
電気、水道、ガスなどのライフライン、公共料金は全て無料となる。それらの仕事に従事する職員も自衛官や警察官と同じく、業務であれば行動を制限されることなく自由に移動出来る。
「戦時下体制法」は、政府が宣言すると直ちに効力が生じる。預貯金の引き出しを規制する効力もだ。戦時下体制法下では事業が成り立たなくなる企業が多く発生すると考えられる。それは「失業者が多数生まれ、就労による収入が無くなる個人、世帯が溢れる」ということだ。そこで「戦時下体制法」は生活保護などの社会保障の他に「富める者の財産を困窮者に再分配する」制度を設けた。預貯金の額と納税額から「富める者が扶養しなければならない家庭数」が決められ、家族総資産の五十パーセント以内で月々百万円を上限として「国に上納させる」のだ。その巻き上げた金で困窮する個人や世帯を助けるようにしていた。憲法二十九条三項にある「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共に用ひることができる」の中にある「正当な補償」を未来に先送りして「再分配」を強制的に行うような仕組みしたのだ。当然、政府内外にはこの仕組みに反対する者は多数いたが、総選挙の絡みや平和ボケからくる「こんな状況にならない」の潜在意識もあり成立していた。
順一は、環八沿いにある練馬警察署春日町交番に向かった。「召集メンバーの特権」で、緊急召集の際にパスを提示すれば、最寄りの警察署のパトカーが官邸まで送ってくれるのだ。
順一を乗せたパトカーは、新目白通りから外苑東通りに入った。防衛省まであと五百メートルとなったところで検問している光景が前方に見えてきた。
順一を乗せたパトカーは検問を抜けると一気にスピードを八十キロに上げた。信号機の色は全て無くなっていた。通りの両脇に停まっているおびただしい数の自衛隊車両と警察車両の間を順一が乗ったパトカーは走り抜けた。通りには、同じような勢いで走行する車両が行きかっていた。
順一が乗ったパトカーは、官邸正門まであと百メートルほどの位置で停まった。パトカーが停まった先には、高射機関砲や戦車が展示会のように並べられていた。その中に、飛来するミサイルを迎撃する最終手段となるPAC-3MSEがあった。
日本国の中枢がこれほど短時間で警戒警備が厳重になったのは、大韓民国が北朝鮮からミサイル攻撃と地上軍からの攻撃を受けたと同時にソウル市内の政府中枢機能がテロ攻撃を受けていた。大韓民国の指揮命令系統は最初の一撃から二時間足らずで消滅してしまった。同じような目に日本政府の中枢機能が合わないように陸上自衛隊東部方面隊は、ミサイル発射から一時間ほどで官邸付近半径5キロ圏を完全封鎖した。
険しい表情で自動小銃を横向きに抱えた陸上自衛隊隊員に注視されながら順一は官邸正門に向かって歩いた。順一の視界に、自衛官、警察官の制服ではない十人ほどが官邸に向かって歩いているのが見えた。
順一は官邸正門前の検問所に到着した。検査を待つ順番の最後部に並んだ。立ち止まり気持ちが落ち着くと、ヘリコプターのローター音に順一が気付いた。見上げてみるとあちらこちらに機影があった。機影のほとんどは兵員や装備を輸送していると思われるタンデムローターのヘリコプターとオスプレイだった。四方から身体に届くローター音に「自分は戦場にいる」と順一は自覚させられた。順一が頭上を見上げている時にも、関東にある陸海空の自衛隊基地から数千名の隊員が陸上と空から中枢を目指していた。
東京湾には、イージス艦五隻とF35Bを昨年から搭載し空母の体を成している護衛艦三隻を主とした海上自衛隊が誇る艦隊が数十隻浮かんでいた。日本列島沿岸の海中には、二か月前まで保守点検、改修を行っていた三隻の潜水艦を含め海上自衛隊が保有する二十二隻の潜水艦全てが警戒にあたっていた。
通行止めになる前の東北道上り車線を数十台の自衛隊車両が首都を目指し南下していた。その車列とすれ違いに乗用車五台が付かづ離れづ東北道を北上していた。
午前六時、侵略対応対策室に八十名ほどのメンバーが揃った。メンバーが無言で見つめる正面の大型スクリーンに円卓に座る十五名が映し出された。中央の席には疲れた表情の総理が座っていた。その右隣には官房長官の顔があった。他に防衛大臣や外務大臣、陸海空自衛隊の幕僚長が揃っていた。別室で行われている国家安全保障会議 と繋いでいた。
菅原官房長官は画像越しに侵略対応対策室にいる八十名ほどのメンバーを確認すると、机に備え付けられたマイクを自分の口元に向けた。暫く口を軽く動かしながらどこを見るともなくしていたが、一気に深く息を吸い込み始めゆっくり吐き出しながら目に力が込められ、召集に至るまでの経緯を話し始めた。
先に、秋田県で起きた大爆発は朝鮮の弾道ミサイルであったこと、朝鮮から二十五発が日本列島に向け発射されたこと、一発も迎撃出来なかったことを話した。ここまでの段階をメンバー全員はリアクション無く冷静に聞いていた
次に、ミサイルが発射される五分前の午前二時五十五分、我が国に対し、想定していた三国の連名で宣戦布告がされたことが話された。布告に続く内容にあった文句に「三日以内の無条件降伏と、応じなかった場合には核兵器攻撃も有り得る」が続けられていたことも。その話しで、静まっていた室内に嗚咽のような、深い溜息のような、呻き声のような、何か分からない声だけが籠った。
「安保条約」と言う属国契約をアメリカから一方的に破棄された日本国内に「反撃しましょう」などと勇ましいことを考える者などはいなくなっていた。
官房長官の話しが止まり、召集メンバーの声が収まると深い沈黙が二つの空間を再び覆った。
「残された時間は僅かです。これより四十分後、私は国民に向け会見を行います…」
突然、総理が発言した。それだけを話すと身体を背もたれに預け天を仰いだ。数秒後、意を決したように身体を起こし話しを再開した。
会見で日本国民に語られる重要な点は四つある。「秋田県内で起こった大爆発の原因は朝鮮国内から日本に向けて発射されたミサイル二十五発の内の一発だった」こと「三国から宣戦布告を受けた」こと「二時間前より緊急非常事態に入っている」こと「戦時下体制法に基き、午前七時から戦時下体制に入った」ことだ。
続けて官房長官は、さっきより落ち着いた声で話し始めた。
「我が国は、三日後の午後11時五十九分、三国に対し無条件降伏を伝えます。これから行う総理の会見では、その点については話されません」
官房長官が話しを止めた。総理が再びマイクに口元を近づけた。
「あと数日で日本は降伏し、ロシア、中国に占領されることになります。次に、ロシア、中国の属国となるでしょう。最終的には、ロシア、中国に呑み込まれるかもしれません…。何もしなければ…の話しですが…」
そこまで話すと、音声が数秒間途切れた。総理の目に力が込められた。
「私は、日本を必ず独立国家として復活させます。その言葉が負け惜しみではない根拠となる布石を出来る限り今日まで打ってきました。これから三日以内に、布石を実行に移していきます。太平洋戦争以前と同じような『真の独立国家として復活』させる為の行動を、皆さんにこれから起こしてもらいます。未来永劫に渡って日本国が属国に堕ちている訳にはいきませんから」
総理が考えている日本国復活の先には、ロシアと中国からの解放だけでなく「太平洋戦争終戦日から続いていた、アメリカによる属国支配のような状況からも恒久的に解放させる」ことも含んでいた。
順一以外の召集メンバー一人一人に携帯が渡された。その携帯で召集メンバーはコールセンターのような仕事をする。四百名に及ぶ亡命候補者と連絡を取り「亡命の意志を確認して、三日以内に単身で日本を離れるか、離れないかを」確認する仕事に取り掛かるのだ。
「総理はこれより、皇居へ向かいます。その後、内閣府に移動して会見を行います。私はここに残り亡命確定者の掌握をします」
官房長官が話している最中に総理が席を立ちドアの向こうに消えた。総理の背中は、遠近の違いだけでなく小さくなったように見えた。
6月11日午前6時55分。危機管理センターの大画面スクリーンに、白いテーブルクロスの上に置かれたマイクと椅子、その後ろに日の丸が映し出された。
無音で静止画のような画面を全員が凝視し続けていた。午前7時の時報直前に画面の右側から男性が現れた。国旗に一礼すると椅子に腰を降ろした。画面越しに見る総理の顔はメイクのおかげで浅黒く肌艶いが、疲れているのが目とその周りにハッキリ出ていた。
長門総理は、無言で深呼吸を繰り返し数十秒間カメラを凝視していた。意を決した瞬間、目に力を籠め、口を少し開け肩が持ち上がるほど息を吸い込んだ。吸い込んだ息を吐き出す勢いで話しを始めた。
「国民の皆様にお伝えします…」
順一は大画面を息を詰めて見つめ固まっていた。
「菊地さん」呼ばれる同時に後ろから肩をポンポンと叩かれた。不意を突かれた順一は少し跳ねながら振り返った。
「いつの間に…野口さん」
「菊地さん、私と一緒に来てください」
野口はそう言って立ち上がった。
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