第10話 暗闇からの亡命

 亡命者十八名が乗船している漁船団は、沼津港を出航してから一時間二十分程航行していた。航行中に日本国は、ロシア、中国、朝鮮に「無条件降伏」を伝えていた。

「漁船の現在位置は、沼津港から三十二キロ、焼津港から二十四キロ、大体、東経34度82分、北緯138度53分、最深二千五百メートルに達する駿河湾のほぼ中央にいます…それでは、間もなく停船します」

遠藤が話しながら水平に腕を動かし真っ暗な先を指さした。その方向には、街の灯りが仄かに揺らいでいた。

「あの小さな灯りは、静岡市と焼津市です」

亡命者五人は、一言も発せずにぼんやり灯りを見つめていた。

「これが…日本国の見納めになるのかもしれない…」

順一の呟きに、他の亡命者も小さく頷いた。

「今、ここと同じような状況が日本沿岸九か所の地点で起こっています」

遠藤が少しでも力になればと話し始めた。

「北海道小樽、青森県八戸、福島県小名浜、千葉県銚子、富山県魚津、和歌山県由良、鳥取県境港、愛媛県伊方、熊本県三角の九か所と、沼津… それぞれの漁港から出航した漁船の船上で、皆さんと同じように不安と希望を抱え、時が来るのを待っています」

「そんなに各地から船が出ているんですね。そろそろ、亡命国に行く手段を教えて貰えますか」

順一の質問に他の亡命者が大きく頷いた。

「もう少しで分かりますから…」

そう言って遠藤は時計に視線を落とした。十数秒後、海上に視線を戻した。

「間もなく…」

遠藤の落ち着いた声が暗闇に溶け込んだ。その声に続いて ザァァァー ザァァァー と、微かに波と何かがぶつかるような音が聞こえてきた。

「あれが皆さんを運びます」

遠藤は静かに遠方を指さした。全員が指す方に視線を向けた。漁船群の前方百メートル離れた暗闇に、僅かな鉄黒色のテカリを発する盛り上りを確認出来た。

クジラのようにも見えたが、硬質の感覚から「人工の物体」だと想像出来た。船内は亡命者たちのどよめきで溢れた。最初の物体が盛り上がってから30秒後、漁船群の後方の場所が盛り上がり始めた。結局、漁船の周りを取り巻くように三つの黒い物体が浮いた。 

「潜水艦ですか?」

「そうです」

順一が誰に言うともなく呟いた質問に遠藤が頷いた。

「その通り、潜水艦です。皆さんを亡命国に運ぶのは、あそこに浮上した黒いクジラ、潜水艦です。三つの盛り上がりは海上自衛隊潜水艦の艦橋です。左に見えるのが『はくげい』後方が『たいげん』右が『すさのお』です。それにしても良かった…無事に三艦とも現れてくれた」

遠藤がホッとした表情を向けて話した。

「潜水艦だったのか…」

亡命者全員が同時に正解の声を上げた。

「亡命者の皆さんは、分かれて潜水艦に乗艦してもらい亡命国に向かっていただきます」

「んんん…」

亡命者から得も言われぬ言葉が漏れた。

「亡命者全員が潜水艦で向かいます。他の九か所の沖合にも海上自衛隊の潜水艦全二十七二艦が分かれて向かっているはずです」

遠藤がそう話している最中、無線から音声が聞こえてきた。

「はくげい艦長、たいげん艦長 艦長より『浮上完了』の報告がきた。予定通り、1番2番は『513たいげん』へ、3番4番は『514はくげい』へ、菊地さんは『516すさのお』へ」

順一だけが『すさのお』に乗艦する。順一は漠然とその理由が思い当たった。

 漁船は、暗闇と境が曖昧になった断崖ような艦橋へと徐々に近づいた。ほんの僅かな盛り上がりに感じていた潜水艦の艦橋と本体の上部が視界の大部分に入ると亡命者の口々から「デカイ…」の言葉が漏れた。

「この514と書いてある潜水艦の名称は『はくげい』です。80メートルちょっとあります。かなり大きな鋼鉄の塊です。航空機よりも大きな本体の大部分は海中に隠れています。潜水艦と漁船を固定しますので、安定するまで腰を降ろしてお待ちください」

遠藤の指示で潜水艦の真横に付けた全ての漁船からロープが投げられた。ロープは反対側に付けた漁船と繋がれ、潜水艦に簡易ブリッジが伸ばされた。

「乗り移る準備が出来ました。隊員に続いて、一人ずつ潜水艦に移って貰いますので、荷物をお持ちください。それでは、菊地さん以外の方は後に続いて来てください」

遠藤の言葉に「はい」と小さく頷き、亡命者たちは遠藤に続いてか細いブリッジに足をかけた。

 順一が乗った漁船は「すさのお」に付けられた。艦上に五名ほど乗員の姿が見えた。順一が艦上に立つと、遠藤が直立して敬礼しながら自己紹介をしていた。

「第一護衛隊群司令部…」

遠藤の階級は二尉だった。

「無事に皆さん連れてきてくれてありがとう。艦長の飯島です」

遠藤二尉は、駿河湾から順一を含め十八名の亡命者が脱出することを飯島艦長に伝えた。

「飯島です。菊地さんには、今日から一か月近く狭小生活を過ごしていただくことになります。予めお詫びしておきます。どうぞよろしくお願い致します」

「こちらこそ、お世話になります」

順一と飯島艦長が挨拶を交わした。小さな鞄を隊員に預け、順一は艦内に導かれた。

「ここは潜水艦の心臓部、発令所と言います。ここで、艦内の説明と亡命の話しをしますが、間もなく潜航を始めますので、話しはその後にします」

飯島艦長が潜航の号令を発すると、潜水艦はゆっくりと傾き始め「沈んでいく」のが順一にも感じられた。

 潜航を始めてから数分後、飯島艦長が話しを始めた。

「艦の姿勢が安定しました。それでは最初に、菊地さんが気になっている行先について話します」

「お願いします」

「これから向かうのはオーストラリアの首都、シドニーです」

「オーストラリア…シドニーですか」

順一が意外な国名に、呟きながら首を捻った。

「予定の航路だと、ここから約7000キロあります。シドニーには最短で二十日後に到着すると考えています。ただ、菊地さんが亡命する国はイギリスです」

「亡命国は、イギリスですか…」

「一旦、イギリス連邦に属するオーストラリアに入り、シドニーからはイギリス政府職員と共に飛行機でロンドンに向かいます」

順一は小さく何度も頷いた。頷きながら気持ちがようやく落ち着いついていった。

 二百名ほどの亡命者は一旦シドニーに向かった後、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダのイギリス連邦に属する四か国に分かれて亡命する計画になっていた。

「これから『どうして菊地さんだけがこの潜水艦に乗艦したのか』その理由をお話しします」

飯島艦長が真剣な眼差しで順一を見据えた。

「この潜水艦『すさのお』は、先に極秘就役した『びしゃもん』の二番艦になります。極秘にしている理由は、ロシアと中国の潜水艦を叩く為に、二艦共、原子力推進を採用した潜水艦だからです。間違いなく世界最高性能、攻撃力を誇ります。そして、巨大で…」

一呼吸置いて話しを続けた。

「菊地さんが指揮を執ることになる『人工地震作戦』の重要な道具を積んでいるからなのです」

「道具…?ですか?」

「核弾頭を搭載している魚雷を積んでいます」

順一の呼吸が停まった。



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