第12話 意外な要請(1)

 ロンドンから西に八十キロの地点にあるプライズ・ノートン空軍基地からオックスフォードのホテルに着いたのは深夜一時を回っていた。シドニーに到着してから三日が経っていた。ここから数週間かけて数名ずつをロンドンに送り出すことになっていた。一度に多数の日本人が移動するのを避けたいからだった。亡命者のうちイギリスに来たのは全体の半分百名程だった。あとの百名はオーストラリアとニュージーランドに分散して亡命していた。

 順一がロンドンに入るのは一週間後になった。順一は滞在しているホテルの最上階にあるスイートルームに呼ばれた。

 部屋に入るとエミリーの誘導で奥に進んだ。ソファーが置かれた部屋に入った。既に入室していた田中一佐が立ち上がって順一を出迎えた。部屋のカーテンは全てキッチリ閉められ、日中にも関わらず外からの光は僅かにも射し込んでいなかった。


「菊地さんに亡命者代表をお願いします」

田中一佐から順一が依頼されたのは「亡命者代表」なって欲しいと就任要請をオックスフォードのホテルに到着後直ぐに受けた。順一は渋々承諾したが、実際は「日本政府代表」に近い立場だった。亡命者の殆どは科学者だったので、政治に関係していた文民は順一と野口くらいだった。順一と同じ飛行機でイギリスに来たはずの野口は姿を消していた。それで順一に代表の役目が回ってきたのだ。


「日本政府代表として会って頂きたい方がおります」

順一の頭にエミリーがシドニーのホテルで伝えてきた言葉が甦ってきた。順一には「既にシナリオが出来上がっていた」かのようにも感じられた。

 順一が入って来た方とは反対から薄いグレーのスーツに身を固めた「いかにも英国紳士」といった感じの男性が入ってきた。

「どこかで見たような…」

順一の記憶に男性の顔が残っていた。男性が順一と田中一佐の正面中央に立つと直ぐに自己紹介を始めた。

「初めまして、イギリス外務大臣のレオン・エドワード・トーマスです。日本政府代表キクチサン、タナカサン…」

順一は驚きと共に見覚えが有るのか理解出来た。口ごもりながらも挨拶を返した順一は、エミリーに視線を向け直し「会わせたい方って…」と呟いた。

「いえ、違います。大臣ではありません。お会いして頂きたい方は、大臣からの話しの後、お呼びします」

エミリーの視線が大臣が入って来た方に一瞬向いたが、直ぐに順一と田中一佐に戻り話しを始めた。

「それでは、時間が限られていますので前置き無しで話しを進めます」

エミリーの声が少し上ずっていた。順一と田中一佐は無言で頷いた。

「今、あちらの部屋に二人の男性が待機されています。一人は、大韓民国海軍ラ大佐。もう一人は、同じく大韓民国海軍ユン少佐。二人とも、海軍特殊戦旅団に所属されています」

「特殊戦旅団が…精鋭部隊の二百名がイギリスにいるなんて、驚きだ…」

田中一佐の声は溜息のようだったが、明らかに驚いているのが順一にも分かった。

 北朝鮮が大韓民国に侵攻を始めた日にカルフォルニア州で訓練していた大韓民国海軍特殊戦旅団隊員二百名全員はイギリスにいた。朝鮮半島が統一された一週間後、在米大韓民国大使館と在米イギリス大使館の協力を得て、極秘裏に一か月をかけて二百名がイギリス亡命していたのだ。

「指揮官ラ大佐とユン少佐が『自衛隊の皆さんにお願いしたいことがある』と…ロンドンから来られました」

「私たちに『お願いしたいこと』…」

田中一佐と視線が合った順一は僅かに首を捻った。

「少し、待ってください…」

田中一佐が目を閉じ考え込んだ。

「恐らく…話の内容には軍事的なことが含まれているように思えるのですが、内容をお聞きして『お断りします』の選択肢は有るんでしょうか」

田中一佐は少し強めの口調でエミリーに尋ねた。

「極力、承諾して頂きたいです。流れによっては日本国復活の大きな力になると思いますので」

「復活の大きな力…」

順一と田中一佐は同時に呟いた。二人は顔を見合わせ、順一は大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。

「分かりました。それでは、菊地さんは政府代表として、私は自衛隊を代表して、話しをお聞きしましょう…よろしいですか」

順一が小さく何度か頷いた。田中一佐がエミリーに大きく頷いた。エミリーがトーマス大臣に向かって頷いた。トーマス大臣は大きく頷き口角を上げて日本人二人に視線を向けた。

「ありがとうございます。それでは早速…イギリス政府に対しラ大佐から『隊員二百名で朝鮮に反撃をしたい。出来れば協力をして欲しい』そのような要請を受けました」

「たったの二百名で、反撃するんですか…」

田中一佐から驚きと呆れが混ざった声が漏れた。

「勿論、二百名だけで真面に仕掛けたら一時間もかからず全滅です。しかし、彼らには朝鮮半島にいる多くの同士と周到な作戦があるようです。『祖国奪還』に自信を持っているようなのですが…」

 トーマス大臣から朝鮮半島各地で反政府組織が立ち上がり「数万に及ぶ人々が近く一つにまとまりそうだ」と話しがされた。大韓民国には徴兵制度があったので、戦闘訓練を受け、武器に精通した男性が多かったことが幸いしたようだった。作戦の内容までは聞かされていないようだった。

「それで…その『祖国奪還作戦』と我々はどう結び付くのでしょうか…」

田中一佐がゆっくりと不安が混じった口調で質問をした。

「彼らを…二百名の隊員を、朝鮮半島近くまで連れて行って欲しいのです。潜水艦で…」

「外国の兵士を潜水艦で…二百名も運ぶんですか…」

田中一佐が息を止めたまま順一を見つめた。順一から言葉が出る訳はなかった。素人の文民が口を挟めることではなかった。

そこから無言の状態が五分程続いた。田中一佐は右手のひらを口に当て、視線は上向きになったまま固まっていた。

「菊地さんは『政府代表』としてではなく、一人の日本国民としてどう思われますか」

突然、田中一佐が順一に尋ねた。

「私の結論から言いますと、運んで欲しいと思います。素人が考えても大変危険な任務になることくらいは分かります。優秀で貴重な自衛隊隊員の若者、日本の復活作戦に欠かせない貴重な戦力の潜水艦、それらを失う可能性が有る訳ですから…それに、これまで日本と大韓民国は決して仲がいいとは言える状況でもなかったですが、けれど、二百名の方々は私達と同じく祖国を失った「流浪の民」のです、敵を同じくする仲間です。出来れば協力してあげたい…」

順一の言葉に田中一佐も大きく頷いた。そして、トーマス大臣とエミリーに視線を向けた。

「私も菊地さんと『人として同意見』ですが、艦長達に話してみないと…至急、シドニーで艦長会議を開きたいと思います。多くの隊員を危険にさらすことになりますが艦長達も賛成してくれるような気がします」

エミリーは頷き、無言で立ち上がった。そのままトーマス大臣が入って来た方に歩き出した。

 エミリーが隣室にいる人物に向かって言葉を掛けた。エミリーが振り向き順一達の方に歩き始めた。その後ろから普段着姿の大柄な男性二人が続いた。

トーマス大臣が立ち上がると、その隣に二人は並んだ。上官と思われる人物が話し始めた。

「大韓民国海軍特殊戦旅団、旅団長のラです」

ラ大佐は敬礼しながら順一と田中一佐に視線を配った。

「隣は特殊戦旅団第一中隊長ユンです。階級は少佐です」

ユン少佐は一歩前に出て、緊張の面持ちで敬礼をしながら順一と田中一佐に視線を配った。挨拶が終わり全員が席に着くと、大臣が話し始めた。

「先に、イギリスが大韓民国復活作戦に協力出来ない理由を話します。イギリスが後方支援とは言え、旅団の上陸作戦に協力することは、ロシア、中国に対して宣戦布告するに等しい…二国に対して『イギリスに攻撃を仕掛けるいい口実を与える』からです。そこで、ラ大佐に日本国からの亡命があることを伝えました…日本国の潜水艦が亡命者を運んでくることを…」

トーマス大臣の話しの後、ラ大佐が話しを始めた。

「私たちはその話を聞いて、直ぐに『到着次第に会わせて欲しい』と頼みました。イギリス政府が願いを聞き入れてくれたおかげで、ここでお二人にお会いする事になったのです。日本国側の皆さんには不意打ちのようで申し訳ないのですが、極秘に進めなければなりませんので…」

ラ大佐が深く頭を下げるとユン少佐も頭を深く下げた。

「大丈夫です」

田中一佐は、ラ大佐とユン少佐に頭を上げるように両手を二人に差し出した。

「我々も、お二人のように祖国を失ったようなものです。同じ敵と戦う同志なのです。遠慮は無用です。何とか要請に答えられるように艦長達に話してみます。二百名だけで、命を懸けて戦おうとする想いは必ず自衛隊隊員全員に伝わると思います」

「祖国に命を捧げるために入隊したのです。我々には、その道しか残されておりませんから…」

ラ大佐の言葉にユン少佐も大きく頷いた。

 一週間後、田中一佐はシドニーに向かった。「びしゃもん」と「すさのお」以外の艦長が揃った。

 翌日、田中一佐から「大韓民国特殊戦旅団に協力する」と、ロンドンに伝えられた。

 


 








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