第4話 姪
「私さあ、思うんだよね」
それはいつかの会話。彼女、笹橋胡春とのふざけた日常会話の中でたまに問われる重たい話。
「誰かがさあ亡くなったときに、その人のために泣くことは本当に正しいことなのかなって、泣いて自分の気持ちを表現するのが正しいのかなって」
凡人には天才の言っていることがわからない。だから、彼女に追いつきたくて今日も働かない脳を無理やり行使して今日も考える。
「や、泣くこと自体には何も悪くないんだよ」
僕のしかめっ面を見て弁解したのだろうか。よく、わからない。
「勝手に悲しんで、勝手に哀れんで、勝手に心が痛くなって、勝手に同情して、泣く。本当にそれであっているなのかなって。それが当たり前のことなのかなって」
そこに合う合わないという理屈があるのか。
「私はさ、ここが許せないんだ。だって亡くなった人たちはさあ、たぶん泣いてほしくないと思うんだよ。自分という存在を早く忘れて、新たな人生を送ってほしいと思うんだよ。みんなが笑ってくれたらそれでいい。色々とくだくだした気持ちが纏まって、これが一般的な最期の思いだと思うんだ」
確かに、自身の愛する人にじし悲しんでは欲しくない。
ただ彼女の言葉に頷く。
「君もそう思うかい。やっぱり自分のせいで泣かれたくないよね。だからさあもし君も、私が君の前から消えることがあったりしたら、泣かないでくれると助かるかな」
唐突に。本当に唐突に。セミのウザったらしい鳴き声の垣間を通ってきた声は。何にも邪魔されずその言葉の氷柱は僕に刺さった。未来を予言するかのように。後にそれは“フラグ”と知る現象。
あの時、肯いたかだろうか……。
今更だが、思い出した。あれは高校二年生の暑い夏が始まる前の。嫌な記憶の前の季節だった。
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勢いよくベッドから起き上がる。その勢い余った行動によってベッドが大きく揺さぶられ、それにつられて自身の体もわずかに上下な何度か動く。
最近までお世話になっていた病院のベッドとはまた違った、高級感あふれるベッドで寝ていたことを自覚するとシーツをすこし撫でる。さすがお金持ちの家だからなのだろうか。この屋敷で使われるものはほとんど一級品だ。なんというか、住みにくいというか。居心地が悪いというか。
ふと、首元を拭うと少なくない水滴を肌が感じる。別に嫌な夢ではなかったのだが、それでもどこか緊張でもしていたのだろうか、汗が出るくらいなのだから。
まあ、好きな人を目の前で殺されては恐怖も植え付けられてしまうのも仕方ないのかもしれない。他人事だ。
部屋を見渡す。
実の弟から驚愕の事実を知ったあの日からこの屋敷で僕は暮らしている。年上の弟というよくわからない設定の親族、翔が言うには僕の引き取り手続きは既に終わっており、僕はその日からこの屋敷に住むことになった。
それならば、なぜ僕を拉致したのかと聞いたのだが、曖昧にはぐらかされてしまった。本当になぜ、そうしたんだ。
一応司馬さんからも確認の電話をとり本当のことである、とわかったからまあ、実は親族ではなかったとかそういう展開にはならないだろう。
いつのまにか用意されている服を着替え自分の部屋から出る。
廊下には赤いカーペットが敷かれており、天井についた煌びやかな照明とあいまって爛々とした様子を彷彿させる。
赤いカーペットの上を歩いて行き、その途中にある階段から一階へ下りていく。部屋に設置されていた時計は午前七時を指していたので今の時間帯くらいに食堂へ行けば何か朝食が頂けるだろう、という目的のもと食堂を目指す。
巨大で真っ白なことが特徴的な食堂の扉をゆっくりと開けて中を確認する。中では使用人が二十人ほどがテーブルについて食事をとっていた。
「疑問。なぜ、ヤキリ様はこちらにいらっしゃるのですか?」
突然、向いていた方の逆から見知った声が聞こえてその方向を向く。参織がそこにいた。その声が使用人たちにも聞こえたのか、先ほど目視したほとんどの人たちがこちらを驚いた見ては肩を下ろした。
「いや、ちょっと朝食をもらいに」
「再疑問。ヤキリ様のお食事はこちらではなく、当主様方々用の食堂にあるはずですが」
「いや、僕ただの居候だからさ、すこし気まずいのだけれど」
僕だけ居候なのに、あまり関わったことのない使用人を立たせて食事をしたり、弟家族と一緒に食事をとるとかできねえよ。そんな肝が座っていないよ。
「ですが、この屋敷の当主一家は貴方様の親等にございます」
「いや、そうだけど。気まずいじゃん、気まずくない?」
翔は知っていたみたいだけど、他の二人にしては僕は迷惑なものだろう。
「それに、夏織さんには、その」
「ああっ、そうでごさいました。ヤキリ様、ものすごく嫌われていましたね」
「言わないでお願い、心が傷つくから本当に、言わないで」
夏織さん。本名、壱無夏織。翔の娘、つまりは僕の姪という関係性になる。
だが、それはただの関係だったようでどこからか帰宅した彼女に翔に連れられて挨拶をしに行ったのだが、いきなり罵倒。続いて人格否定。初対面なはずなのにここまでボロくそに言われたのは初めてだ。というか異常だ。
「まあ、そうは言ってもですがヤキリ様。貴方様の朝食はこの食堂にはないのです」
現実を彼女は突き立てる。
「……なんとかできない?」
「疑問。本当にマイマスターに勝ったのか、不思議なくらいです」
「いや、あれは騙し打ちというか」
「補足かつ否定。騙し打ちのカウンターは私たちの十八番です。よってそれを乗り越えたことに驚きを感じております」
「推奨。早く行くことを強くお勧めします」
「あー、うん。わかった、行くよ。だけど、一つ良いかな?」
「なんでしょうか?」
彼女の服を見る。そして、彼女の顔を見る。交互に行う。ちらっ、ちらっ、ちらっ。
「なんで、メイド服?」
「もちろん、ヤキリ様の専属メイドだからですが何か?」
「いや、違うけど。護衛なだけだと思うけど」
「ふむ…。似合ってますか?」
参織は頬を赤らめてすこし照れくさそうに言う。
「やめて、照れ顔作らないで。いつも無表情のくせに、こんな時だけ演技やめて」
さっきも驚いたとか言って全くもって表情筋が一ミリも動いていなかったくせに。
「御意かつ要推奨。早く行ってくださいませ」
……。メイドとか護衛とかなはずなのにどこかあたりが強い。
「あー、わかったわかった。行く行く、行きますから」
そうとしか参織に返すことができず、どこか居心地が悪く感じてそこからすぐに離れることにする。真後ろにある大きなドアをゆっくりと開けて自身が通れるほどの間だけ開けて通った。
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生地の良い純白のテーブルクロスに覆われたテーブルに僕たちはそれぞれ向かい合って座っていた。
「それで兄さんは遅かったのかい?」
翔はハッハッハとその紳士的な顔を歪めずに軽やかに笑った。
「まあ、お前…翔には本当のことを包み隠さず言った方が自分の身のためだからな」
お前、と言った瞬間に鋭い視線を感じる。誰かはわかってる。その、すみません。
「なるほど。お前の態度が叔父さんにメンタル攻撃を与えたらしいよ、夏織」
翔は僕の向かいに座っている自身より少し年下、と思われる少女に訊ねる。
少女、夏織は僕をひと睨みした後翔の方を向く。
「私自身が思ったことを口にしたまでです。何か問題がおありで?」
夏織はやはり澄ました顔で自身の父親へと放つ。
「いやぁ、ない……すこしあるけどさ、ほらあんまりギスギスした雰囲気を続けたくないからね」
翔は朗らかに言うがその逆、夏織はむしろ顔を歪める。
「もういいです。今日は委員会業務があるので早めに学校へ向かいます」
いつのまにか皿の中を空にし、彼女はどこか凛として感じで立ち上がる。後ろにはその食器を回収するために使用人がいつのまにか待機していた。
彼女のその佇まいを眺める。……笹橋とはまた違う、どこか芯の強さを感じる少女。
自身の視線に気づいたのか、夏織は先ほどと同じようにこちらをキッとにらんで見る。
「私は貴方を壱無家の一員とは認めません。貴方のような社会を楽観視している、なにも苦労していない人がこの字名を受ける価値もありません。私は…。私は、貴方みたいな人間が嫌いですっ」
彼女の全てを含めたかのように僕に向けて放つ。叫ぶ。いや、宣言する。
夏織はそういうと、足早に部屋を出た。
静かになった部屋にはなにも響かない。
「あー、反抗期、なのかな?」
いや。
翔の虚しい発言がどこか伝う。
……。
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