第19話 つながり

 私が教室に入っても、相変わらず誰一人座席に着こうとはしない。それで、私は大声を出す。すると、渋々子どもたちは座席に座っていく。今日も、昨日と同じ1日の始まりだった。

 この子たちは、指導をしても成長する気配すらない。いや日に日に悪くなっているように見える。1学期はそうでもなかった。むしろ、田坂先生の学級の方が落ち着きがない様子だった。

 ところが、今はどうだろう。彼の教室では静かに朝の読書が行われていた。彼も、教卓で本を開いている。

 それなのに、私はどうだろう。「ちゃんと本を読みなさい」「荷物をロッカーにしまいなさい」そんなことを言い続けているうちに読書の時間が終わってしまうのだ。私には、それなりの経験がある。教育技術もある。それなのに、あんな若造の方がいい学級をつくっている。それは紛れもない事実だった。

 明らかに、私の学級経営はうまくいっていない。廊下で、そんなことをぼんやり考えていた。

 すると、背後で私を呼ぶ声がした。



 「はい…」



 そう答えて振り返ると、そこにいたのは葉山先生だった。



「学級の方はいかがですか?」



彼は優しく微笑んだ。私は気持ちが見透かされているようで思わず言葉につまってしまった。



 「言葉を届けるために大事なことって、何でしょうか?」



ハテンコー先生は、私に問いかけた。



 「言葉を届けるために大事なこと?」


「そうです。想いを届ける、と言ってもいいでしょう。先生の言葉が生徒に届くために大切なことです」


「わかりやすく的確な指示でしょうか?」



ハテンコー先生は、ニッコリ微笑んだ。



「田坂先生がね、いろいろ僕の話をしていませんでしたか?」


「えっ…。あっ…、はい」



彼は満足そうに頷いた。私は、急に話題が変わり混乱していた。



「なぜ、彼が僕の話をね、浜島先生にしたかわかりますか?」



私は黙ったまま、次の言葉を待った。それで、ハテンコー先生は口を開いた。



「信頼。一言で言えばそうなのでしょう。別の言い方をすれば、つながりと呼んでもいい。彼は僕に信頼を寄せている」



「そうだと思います」と、私は自然に言葉を挟んだ。



「でもね、それだけじゃないんですよ」



私は次の言葉が気になって黙り込んだ。廊下の喧騒が、次第に遠くなっていくのを感じていた。



「田坂先生は浜島先生にも信頼を寄せている。うん、ちゃんとつながっている。だから、あなたに言葉を届けたのです」


「どういうことですか?」


「人間はね、つながりのない人に大切なことは届けません。つながりのない人から大切なことは受け取れません。互いが信頼で結ばれて、心と心でつながっているからこそ、想いは届くのですね」 



 私は、その言葉を理解しようと努めた。お互いがつながっているからこそ、想いが届く…。私は心の中で何度も口ずさんでみた。



 「あの…。私、自分のクラスの子たちとつながれていないのかもしれません…」



ハテンコー先生は、ニッコリ微笑んだ。



「浜島先生は子どもたちとつながるために、何ができますか?」



突然の質問に答えが出てこなかった。



「あの…、先生!私、どうしたらいいのでしょうか?」



彼は、また微笑むと、時計に目を移した。



「おっと!こんな時間ですね。ここまでにしましょう。問いを立てれば、答えは必ず見つかります。ヒントは、先生自身の人生経験の中に隠されているはずですよ」



 彼が踵を返すのに合わせて、廊下には1限の始業を伝えるチャイムが鳴り響いたのだった。

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