第10話 謝罪と報告
すっかり陽も暮れてしまった時間にお邪魔したことを、ハテンコー先生は何度も詫びていた。ハテンコー先生ときたら、鈴木の家に着いた途端、ず~っと謝り続けていた。
「あっ、もうこんな時間にすいません。お食事の支度とか、大丈夫ですか?も~う、すいません。あっ!お父さんでもいらっしゃいますか?あら~、すいません」
ひたすら、頭を下げている。僕も仕方なく頭を下げながら、隣に座った。食卓には、両親が並んで座りリビングのソファーでは、鈴木幸子が携帯電話をイジっていた。
「今日、幸子さんと、それから同じクラスの山下さん、加藤さんと顔を合わせて、話をしました。もうね、お母さんに気づいていただいてお電話いただいて、もうそれでようやく動き出せましてね、本当にありがとうございました」
ハテンコー先生は、食卓に手をつくと深々と頭を下げた。その後も、幸子のことを褒め続けた。
「いや~、小さいころはどんなお子さんだったんですか?」
「へぇ~、ウチの子もねぇ、そんなふうに育ったらいいんですけどね。いやいや、なかなか子育ては難しいですよ。えっ?ウチですか?小学生に二人と幼稚園児が一人」
「いや~、かわいいですけどね。もう女の子の方は、もう何て言ったらいいんですかね。ガサツで仕方がないですよ。幸子さんみたいに育てるにはどうしたらいいんですかね」
終始この調子で、もはやハテンコー先生の子育てを鈴木の母親がアドバイスを送るという妙なやりとりが続いていた。しびれを切らしたのか、父親が口を開いた。
「それで、学校ではどんな話をされたんですか?」
ハテンコー先生は、父親の方に視線をやり、さも心配そうな顔でこうささやいた。
「幸子さん、今日のお話はまだ何も?」
父親は、少し口惜しそうに言葉をつないだ。
「ええ。あの子は学校のことは、あんまり話したがらないんです。ただ、ここ最近は、暗い顔をしていたんで心配はしていたんですが」
すると、母親もうなづきながら話し始めた。
「朝なんかに、学校に行きたくないって言うんです。でも、何で?って聞いても教えてくれなくて。最近は、いじめで自殺とかもあるじゃないですか。もう心配で、心配で。それで、電話をしているのに、取り合ってもらえなくて」
母親は、僕の方に厳しい視線を送っていた。僕はその視線を感じながらも、あえて視線を合わせなかった。ただただ俯いていた。そんな自分を情けないと思った。ハテンコー先生は、母親に向かって、穏やかな表情で語りかけた。
「本当にお母さんには助けられてばかりです。ありがとうございました。やっぱり、ご両親の気づきに優るものはありませんね。我々がいくらアンテナを張っていても、お父さんとお母さんの感受性にはかないません」
母親は視線をハテンコー先生に戻すと、また心配そうな表情を見せた。
「それで、どんなことがあったんですか?」
「幸子さん、お友だちの恋を叶えてあげたいなって思って、ほら、優しい子じゃないですか、幸子さんって。それで、助けてあげようと思って、そのお友だちの好きな子のさらにお友だちに相談したそうなんですね。あっ、ちょっとややこしいですけど、大丈夫ですか?」
身振り手振りを交えながら話すハテンコー先生に、両親はうなづいた。ふと、ソファーに腰掛けた幸子に目をやると、一瞬彼女と視線がぶつかった。心配そうな瞳だった。彼女はすぐに携帯電話に視線を戻したが、その肩からは不安な気持ちが伝わってきた。
「それでね、まぁ、ここからはよくある話なんです。相談したんですけど、それが好きな子バラしたバラされたみたいな話になりましてね。で、まあ、ちょっと人間関係がギクシャクしたようなんです」
「何か幸子がしたとか、されたとか、そういう話ではないんですか?」
父親が心配そうに尋ねた。ハテンコー先生は顔色ひとつ変えずに穏やかに話を続けた。
「ええ。人間関係の糸がこんがらがったって感じですね。で、今日直接三人で話をしましてね、その糸をほぐしたって感じですね、はい」
そう言うと、幸子の方に目をやった。
「幸子さん、それで今日の帰りはお友だちと話はできたかい?」
そう問いかけると、幸子はコクリとうなづいた。
「そう。なかなかすんなり元通りってのは難しいと思うからさ、誤解はとけたかもしれないけど、時間をかけて関係を修復していこうね」
両親ともに安堵の表情を浮かべていた。その後も終始にこやかな雑談を繰り返し、三十分ほどして鈴木家を出ることになった。その間に僕も、幸子の気持ちに気づいてあげられなかったことに謝罪し、両親への感謝を述べた。最後は、両親ともに「ありがとうございました」と頭を下げていた。
玄関まで見送りに来た母親に、ハテンコー先生は最後まで感謝を伝え続けていた。
「お母さん、本当にありがとうございました。まだまだ、僕らには足りない部分がたくさんあるものですから。お母さんに助けていただいて、なんとか、もうね、なんとか学校なんてのは成り立っているんです。幸子さんの幸せのためには、なんといってもお母さんのご協力が必要ですから。これからも、お助けいただければと思います」
そういうと、また深々と頭を下げた。母親は恐縮すると、僕らは鈴木家を後にした。
すると、後ろから走って追いかけてくる足音が聞こえた。幸子だった。
「どうした?」
僕は驚いて声をかけた。だが、幸子は僕になど目もくれないでハテンコー先生の前に立つと
「先生、今日はありがとうございました。あの、叱られるのかなって思ってました」
ハテンコー先生は、少しだけかがんで、背の低い幸子に視線の高さを合わせると、穏やかにつぶやいた。
「なんで、叱られると思ったの?」
「だって、私のせいでこんなことになってしまって。それで先生たちが家に来るって聞いたから。きっと叱られるんだろうなって…」
はははは!とハテンコー先生はさも可笑しそうに声を出して笑った。
「あのなぁ、叱ってどうにかなることならいくらでも叱るよ。だけど、幸子さんはさ、悪意があってそうしたわけじゃないだろ?糸がもつれちゃっただけだよ、こんなの。たいした問題じゃないさ。唯一の失敗を教えてやろうか」
「なんですか?」
「それはさ、辛いときに辛いって言葉にしなかったことさ。伝えなかっただろ?自分一人で抱え込んだだろ?そこだよ、そこ」
幸子は、一瞬僕の方に視線を向けながら、か細い声で、つぶやくように言った。
「だけど、先生に言ったら余計ややこしくなるだけだし…」
僕は幸子の勝手な言い草に内心ムッとしたのだけれど、ハテンコー先生は我関せずと言った表情で穏やかに続けた。
「うん、その気持ちわかるなぁ。大人が入ってくるとややこしいよね。けどさ、自分一人の力で何ともならないときは、相談ぐらいしてほしいな。俺はお前の味方だぜい」
そう言って、ポーズを決めた。明らかにフザけたポーズに、幸子は吹き出した。それで、ハテンコー先生も一緒になって声を出して笑った。僕はその光景が何ともうらやましかった。
「なにそれ、ハテンコー先生!」
「いや、今のはむっちゃカッコいいところじゃん。ドラマなら、ここできゃ~っ、センセ~、って胸に飛び込んでくるタイミングだぞ」
「あっ!それってセクハラ~」
そう言って、二人でまた笑った。
幸子と別れると、僕らは肩を並べて学校までの道のりを歩き始めた。来るときよりも足取りが軽い。いつまでも手を振る幸子に、ハテンコー先生はさきほどのポーズを決めた。それを見て、自転車に乗っていたおばあさんが驚いてフラフラしていた。
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