第8話 家庭訪問

「さあ、それじゃあ、行こうか?」



ハテンコー先生は立ち上がると、僕の肩をポンと叩いた。



「えっ、どこに行くんですか?」



そう聞き返す僕に、ハテンコー先生は「困ったものだ」という顔をしてため息を一つこぼすと、ショルダーバッグを肩にかけた。



「どこに行くんですかって、決まってるでしょ?家庭訪問だよ、家庭訪問」


「えっ?どこにですか?」


「そりゃ鈴木さんの家に決まってるでしょ?他にどこに行くのさ」



僕は、正直嫌な気持ちがした。これまで毎日のように電話をかけてきたあの母親に会うのだ。できれば顔を合わせたくなかった。



「今日の報告ですよね。電話じゃダメなんですか?」



 ハテンコー先生は、さも困ったような表情をしながら僕を見つめた。



「あのね、君さ、僕に育ててくれって言ったんじゃないの?」


「はい…」


「じゃあツベコベ言ってないでさ、カバン持って立ち上がるんだよ。いいかい、覚えておきなよ。百回の電話より一回の家庭訪問。これは大事な言葉だからね、絶対覚えておきなよ」


「家庭訪問が大事ということですか?」


「ん~っとね、やっぱり電話って伝わりにくいんだよね。顔見て、身振り手振りを交えて話すってすごく大事なの。それに、一緒にいると相手の空気感みたいなものが肌で感じられるから。だからね、保護者の話を聞くだけなら電話でもいいんだけどね、こちらから伝えなきゃいけないことがあるときは、家庭訪問に優る保護者対応ってないよね」


 「そういうものですか?」



 僕はまだ、年に1回のもともと設定されている家庭訪問しか経験がなかった。まして、トラブルがあっての家庭訪問と聞いて、内心どっと不安が押し寄せてきた。

 だが、ハテンコー先生と来たら、遠足にでも行くかのようにワクワクした表情をしている。



 「先生は不安じゃないんですか?」


 「ん~っ…なんで?」


 「だって、あのお母さん、いつもすごい剣幕でヒステリックに話すんですよ。



いつまで経っても話は終わらないし。先生は、あのお母さんのことを知らないからそんな呑気にしていられるんですよ」

僕はムッとして答えた。別に、そのお母さんが怖かったからじゃない。家庭訪問に行きたくなかったからじゃない。ただ、あまりにも余裕綽々のハテンコー先生に不信感を抱いたのだ。



 「ん~っ…でもさ…、命までは取られんでしょ?」


「い…、命って、そんな大げさな。たかだか家庭訪問で命まで取られるわけないじゃないですか?」


「ないかどうかは知らないけれど、まあそれならいいんじゃないの?それにね、止まない雨はないんだから」


「な、なんですか、急にカッコイイ言葉を使って」


「ん⁉︎降り止まない雨はないだろ?」


「それは、話せばわかる、みたいな感じですか?」



ハテンコー先生は、また困ったような顔をしてこう答えた。



「あのな、話せばわかるってのは、違う。全然違うんだよね。「話せばわかる」ってのは、「話す」のが教員で、「わかる」のが保護者だろ?それが間違ってるのさ」


「えっ!でも、保護者にわかってもらわないといけないじゃないですか?」

ハテンコー先生は、時計に目をやると、僕を見つめてこう言った。


「時間がないから、続きは道中で話そう。アポイントは取ってあるから」



 そういうと、ハテンコー先生は踵を返すと歩き始めた。教頭先生に何やら声をかけてから出ていった。僕も急いで荷物をまとめると、教頭先生に会釈だけして職員室を飛び出したのだった。

 わかるのは保護者じゃないってどういうことだろう?そして、いつの間にアポイントなど取ったのだろう。

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