第5話 犯人探しは誰も幸せにしない
翌朝出勤すると、もうハテンコー先生はせっせとパソコンに向かって仕事をしていた。だれより早く帰るハテンコー先生だが、実はだれよりも早く来て仕事をしているらしい。いわゆる朝が得意なタイプなのだろう。
「先生、今日なんですけど、どうしたらいいですか?」
ハテンコー先生は、パソコンから目を逸らさずに、言葉を返した。
「あ~、田坂くん、おはよう」
「えっ…、あっ…、おはようございます」
「ん~とね、田坂くんはどうしたいの?」
「どうしたい?」と聞かれて、僕はドキッとした。僕自身どうしていいかわからなかったし、答えは教えてもらえるものとばかり思っていた。
「あの…、え~っと…」
答えを窮している僕の気持ちを知ってか知らずか、パソコンを打ち続ける音だけが鳴り響いていた。ハテンコー先生は、パソコンのモニターを見つめたままだった。
「まず…」
「まず?」
「話を聞きます」
「だれから?」
「えっと…。鈴木から…」
「だれが?」
「えっ⁉︎それは僕が…」
「あのさ、子どもの気持ちに立って、考えてみてごらんよ。先生が鈴木さんから話を聞いたら、この前と同じことにならないかい?」
この前…、そう、僕は先日彼女を捕まえて話しかけたのだった。だが、明らかに彼女は拒絶していた。そして、僕にかき回されたくない、そう言ったのだった。
「話を聞くべき相手は他にもいないかい?」
この件に関係している生徒…。
「山下由香里と加藤愛ですか?」
「そうだよ。二人だって、先生のクラスの子でしょ。ちゃんと話を聴いてあげて。鈴木さんには僕が声をかけるからさ」
「それで、二人にどんな話をしたらいいんでしょうか」
僕は、どんどん情けない気持ちになってきた。そんなことすら尋ねないとできないんて。ようやくハテンコー先生は僕の方に視線をやった。そして、穏やかに微笑むとこう言った。
「そうだな。あくまでも雑談から、軽い感じで入るといいよ。とにかく聴くこと。フラットな気持ちで聴くんだよ。どちらが悪いと、ジャッジを挟んじゃダメだよ」
「どうしてですか?」
「子どもたちってね、すごく敏感なの。田坂先生が、自分たちの味方だって思えるまではなかなか心を開かないさ。だから、ちょっと遠回りでもいいから、まず味方であることを示す。そして、心を傾けて聴くんだね」
心を傾けて聴くことはただ「聞く」のとどう違うのだろう。僕はそこのところを尋ねた。
「いいかい。人間関係ってのは鏡のようなものさ。こちらが壁をつくれば、向こうも壁をつくる。こちらが心を開けば、向こうも心を開く。シンプルにできてるんだよ。だから、相手をジャッジしないで、すべてを受け止めていくんだ。そういう気持ちで聴いてごらん」
その日、山下由香里と加藤愛の二人を相談室に呼んで話を聞いた。最初こそ、あまり話たがらない様子だったけれど、次第に打ち解けた雰囲気になってきた。彼女たちの話はところどころ腑に落ちないところもあった。けれど、深く追求せずに、ただただ話を聴き続けた。
彼女たちの言い分はこうだった。
加藤には好きな男の子がいた。そのことは加藤、鈴木、山下の3人だけの秘密だった。けれども、鈴木がそのことを同じクラスの男子の橋本に話してしまったらしい。橋本からLINEでそのことを聞いた山下は、加藤に伝えた。それが原因で二人は鈴木から離れたのだった。
なんて、くだらない話だ。僕は、こんなくだらないことに振り回されていたのかと思うと、腹立たしい気持ちになった。なんだ、それじゃあ悪いのは、鈴木本人じゃないか。自業自得だろ?自分で原因をつくっておいて被害者ヅラするなんて。
僕は、一度二人を部屋に残して職員室に向かった。職員室では、教頭先生とハテンコー先生が僕を待ち受けていた。彼は、鈴木本人からも話を聴いているはずだった。
「今、だいたいの話はわかりました」
「うん、ご苦労様。それで何て?」
教頭先生は、僕の話を急かすように声をかけてきた。
僕は、二人から聞いた話を報告すると、「悪いのは鈴木本人ですよ」と付け加えた。
すると、ハテンコー先生は、少しだけ鋭い目つきになってこう言った。
「いいかい?物事にどちらが悪いなんてことはないんだよ。生徒指導は勝ち負けを決めるんじゃないんだ。いつだって引き分けがいい。これは覚えておいてな」
僕には、それが何を意味するのかわからなかった。勝ち負けではなく引き分け。どういうことだろうか。どちらが悪いかをハッキリさせて、悪い方を指導する。それでいいんじゃないのか。
「あの…、それで鈴木の方は何て?」
「うん、だいたいは二人が話していた内容と同じかな。ただね、加藤の好きな男子ってのが松ちゃんなんだとさ」
「松ちゃん」こと松本武志は、男気あふれるタイプの男子生徒で人望も厚い。だが、女の子とはめったに口をきかないような硬派な一面があった。以前、チョコレートを渡そうとした年上の女の子がいたのだが、「そんなもん、いらない」と言ったためにトラブルになり、先輩に呼び出されることがあった生徒だった。
「でね、その松ちゃんとの仲を取り持ってあげたくて橋本くんに相談したんだとさ。橋本くんって松ちゃんと仲がいいだろ?」
「あ~、なるほど」
松本と橋本は、二人ともサッカー部に所属しており、たしか小学校も一緒だった。硬派な松本に対して、どちらかと言えば軟派な橋本。とてもバランスのよい二人で、たしかに女の子たちからも人気があった。
「それでな、それをうっかり、橋本くんが山下さんに話しちゃったんだとさ。あ~、これは橋本くんに聞いたんだけどね、鈴木さんが相談してきたぐらいだから、山下さんも知ってるんだと思ったんだとさ」
なんだか、だんだん事件の全貌が見えてきた。
「つまりさ、だれも悪意はないのよ。鈴木さんは加藤さんの恋を実らせてあげようと思ったわけだし、橋本くんは山下さんに相談したわけだ。で、山下さんも加藤さんを気遣ったってわけね」
「えっ…、じゃあだれも悪くないんですか?」
「だから、引き分けでいいの。あとは、どうやって火を消すか、それを考えるだけなんだ。だれかを犯人にしていくのは難しくないよね。好きな人をバラした鈴木さんが悪い!って見方もできる。軽率に山下さんに話した橋本くんが悪い!と言えなくもない。山下さんがわざわざ加藤さんに告げ口をしなければこうならなかった、とも言える。そもそも、だれにも言わないでよ、なんて口約束が成立すると思っていた加藤さんを責めることもできる。いやいや、女の子の心を奪った松本くんが悪いのかもしれない」
「な…、なんですか?それは」
「つまりさ、犯人探しをスタートすると、だれもハッピーにはならないのさ」
「だから、引き分けがいいということですね」
「そういうことだね」
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