第二話 〜引きこもりの少女〜

 夏休みを迎えてから一週間が経ったある日。

「昼ごはんを作っているからもう少し待っていてね」

 リビングに行くと、お母さんが言った。

 --プルルルルルルッ!

 電話が鳴り響いた。

「はい、夢乃です」

 お母さんが電話に出た。

「おはようございます、小桜こざくらさん」

 電話をかけてきたのは、隣の家の小桜さんのようだ。

「栞さんが部屋から出てこなくて困っているんですか。それは大変ですね」

 栞さんというのは、私と同じ『幻ヶ丘中学校』に通っている小桜栞こざくら しおりさんで、クラスも同じ二年四組だ。しかし、不登校なため、学校で話したことはない。小さい頃に遊んでいた記憶が少しある程度だ。

「同い年の風夏なら、何かわかるかもしれないし、聞いてみますね」

 お母さんは私に何をさせるつもりだろうか。

「はい、それではまた」

 お母さんは電話を置いた。

「誰からだったの?」

 面倒そうな頼みごとだろうから、話が聞こえていないフリをしてみる。

「栞ちゃんのお母さんからよ」

「そうなんだ。ご飯はあとどれくらいで食べられそう?」

「もうすぐできるわよ。それより、栞ちゃんが最近、部屋から出てこないみたいなの。どうしたらいいかしらね?」

 話を逸らせば大丈夫かと思ったが、どうやら失敗したようだ。

「それならさ、病院に行かせたらいいんじゃない? 精神科とかカウンセリングとかさ」

「もう少し真剣に考えなさいよ。それに、心の問題だからね、慎重に接してあげないと」

「じょ、冗談だよ。わかった、ご飯を食べたら話を聞きに行ってみるよ。何ができるかわからないけど、やれることはやってみるよ」

「それじゃあ、お願いするわね」

「うん、任せて!」

 まずは教えてくれるかはわからないけど、栞ちゃんに聞いてみよう。


 --ピンポーン!

夢乃風夏ゆめの ふうかです」

 インターホンを押し、小桜さんが出てくるのを待つ。

 玄関の戸が開き、栞のお母さんが出てきた。

「いらっしゃい、風夏さん。どうぞ」

「お邪魔します」

 玄関で靴を脱ぎ、中へ上がらせてもらう。

「早速ですが、栞さんに会わせていただいてもよろしいでしょうか?」

「風夏さんなら大丈夫だと思うけど、今の栞は言葉に敏感になっているわ。だから、言動には気をつけてね」

「はい」

「栞を気にかけてくれてありがとね」

 栞のお母さんの案内で、栞ちゃんの部屋の前に来た。

「それじゃあ、後はよろしくね」

「はい」

 栞のお母さんはリビングに戻っていった。

 私は深呼吸を一度して、ドアをノックした。

「……お母さん?」

「隣の家の風夏です」

「お母さんじゃないなら、帰って!」

 名乗っただけで、栞ちゃんに怒鳴られた。これは重症だ。

「どうしようかな。とりあえず、リビングに戻ろうかな」

 リビングに戻ると、栞ちゃんのお母さんがいた。

「どうだったかしら?」

「名前を言っただけで『帰れっ!』って怒られました」

「ごめんなさいね。前はそんな子じゃなかったんだけど、いつからか引きこもるようになってしまってね。私ですら部屋に入れてもらえないことがあるのよ。どうしたら良いのかしら?」

「何か栞さんの過去を知れるものってありますか? アルバムとか日記とか」

「アルバムなら書斎にあったと思うわ。少し待っててちょうだい」

 栞の母がアルバムを取ってきてくれている間に、少し考える。

紫陽しよう先生なら何か知っているかな?」

 情報は多い方がいいし、このあと行ってみよう。

「お待たせ」

 栞のお母さんがアルバムを持って戻ってきた。

「そんなところに立っていないで、こっちに来て見ましょう」

「あっ、はい」

 机に置かれたアルバムを栞のお母さんと一緒に見る。

「小さい頃のことは風夏さんも知っている通り元気だったのよ」

 栞ちゃんと遊んでいた頃の写真がある。家族で一緒に旅行に行った時の写真などもあった。どの写真のしおりちゃんもすごく楽しそうに笑っている。

「すごく楽しかったんでしょうね」

「ええ、この頃の栞は本当に楽しそうにしていたわ」

 栞ちゃんの母は栞ちゃんが小さい頃のことを思い出しているようだ。

 幼稚園、小学校、中学校のアルバムも見る。

 栞ちゃんの表情はだんだんと硬くなっていった。笑っているものもあるが、心からの笑顔ではなく、どこか寂しさを含んでいる。

「アルバムを見せていただきありがとうございました。栞さんのことが少しわかった気がします」

「それなら、良かったわ」

「もう少し情報を集めてから、もう一度、栞さんと話してみようと思います」

「ありがとね、風夏さん」

「それではまた来ますね」

「本当にありがとね」

 私は小桜家を後にした。


「どうして、急に私の部屋に来たんだろう?」

 私、小桜栞は椅子に座って考えていた。

 お母さんと風夏ちゃんがリビングで楽しそうに話してるなぁ。アルバムなんて見て何をしているんだろう。

「というかアルバムなんていらないから捨てていいって言ったのに、まだ取ってあったんだ」

 写真なんて過去の一部を切り取っただけだ。


「学校に行き始めてから元気がなくなっていたし、やっぱり原因は学校にあるのかな」

 紫陽先生と話すため、学校に来た。

「紫陽先生はどこにいるかな?」

 職員室に行けばわかるだろう。

「失礼します。二年四組の夢乃風夏です。紫陽先生はいますか?」

尾西おにし先生なら教室で授業をしているんじゃないかしら?」

「わかりました、ありがとうございます。失礼しました」

 職員室を出て、自分のクラスに行くと、紫陽先生が夏期講習を行っていた。

「待つしかないか」

 授業が終わるまで、廊下で待つことにした。

「あれ、夢乃さん?」

 声がした方を見ると、体操服姿で黒髪のショートカットの少年が立っていた。

「天宮くん?」

 天宮琉星あまみや りゅうせいくん、私と同じクラスで何回か話したことがある。

「廊下で何をしているの?」

「私は紫陽先生の授業が終わるのを待っているの。天宮くんは?」

「午前の部活が終わって昼休みになったから、昼食を食べるところを探しに来たんだ」

 天宮くんと話しているとチャイムが鳴り、二年四組の教室から生徒が出てきた。

「終わったみたいだから行くね」

「それじゃあ、またね」

「うん、またね」

 二年四組の教室に入ると、先生に質問をしている生徒がいたため、しばらく待つ。

 午前の授業が終わって、次の授業まで時間があるため、立ち話をしている生徒が何人かいた。

 質問をする生徒がいなくなったのを見計らって、紫陽先生の元へ行く。

「紫陽先生、少しのお時間よろしいですか?」

「どうしたんだ、夢乃?」

「小桜さんのことについて、知っていることがあれば教えてください」

「小桜って、小桜栞のことか?」

「はい、そうです」

「場所を変えようか」

 紫陽先生についていくと、職員室に着いた。

「小桜のことだろ?」

「はい」

「すまないが、俺にもよくわからないんだよな」

 担任の紫陽先生にもわからないんだ。

「昨年の先生は誰ですか?」

「昨年の先生は転勤してしまって、この学校にはいないんだよな」

「そう、なんですね」

 学校に原因があるかもしれないと思って来てみたが、情報は掴めなかった。

「ありがとうございました」

「何の力にもなれなくて悪いな。小桜が学校に来られるように俺も何かやってみるよ」

「はい、お願いします」

 教室から出て考え直す。

「やっぱり、ずっと見てきた親なら何か知っているのかな」

 もう一度、小桜家へ戻ることにした。


 インターホンを押し、中へ入れてもらうと、栞のお母さんと話すことにした。

「栞さんのことを教えてもらっていいですか?」

「栞のことを気にかけてくれてありがとね。椅子に座って少し待っていて。お茶を持って行くから」

「はい」

 栞のお母さんは台所で、お茶を淹れている。

「お待たせ。はい、お茶をどうぞ」

「ありがとうございます」

 お茶を受け取り、一口飲む。

「何から話せばいいかしら?」

「それでは、栞さんはいつまで学校に通っていたんですか?」

「そうね……三年くらい前かしら?」

 三年くらい前というと、小学五年生くらいの時だろうか。

「その前に何かあったんですか?」

「栞がいじめを受けていたことがあったかしら。私には話してくれなかったし、誰も助けてくれなかったみたいなのよ。それ以来かしらね、心を閉ざしてしまったのは」

 私も同じ学校に通っていたが、違うクラスということもあり、初めて知った。

「栞には外の世界をもっと楽しんでもらいたいのよ。何年間も放置してしまった私から言っても、聞いてくれないと思うけれど」

「もしかしたら、解決できるかもしれません」

「本当に?」

 栞ちゃんに直接訊くことができると良いのだけど、部屋から出てこないだろうしなぁ。でも、やれることはやってみよう。

「一度、栞さんに会うことはできませんか? 栞さんに訊くのが一番早いと思うので」

「出てくるかはわからないけど、行ってみましょうか」

 栞の母とともに、栞ちゃんの部屋の前に行った。

 ドアをノックする。

「……誰?」

「風夏です」

「--また来たの、帰って⁉︎」

「せっかく風夏さんが来てくれたのよ、開けなさいっ!」

「……」

 栞ちゃんの部屋からは何も聞こえない。

「ごめんなさいね。やっぱり早かったかしら」

「いえ、大丈夫です。私はもう少し待ってみるので、お母さんは少し離れていてもらえますか?」

 栞のお母さんにはリビングに戻ってもらい、どうやったら出てきてくれるかを考える。

「大丈夫だよ、栞ちゃん。外の世界は思っているより怖くないよ?」

「……」

 返事はない。

「何かあっても私が守ってあげるから」

「……本当に?」

 栞ちゃんが話してくれた。

「周りの人が敵になったとしても、私だけは味方だよっ! だから、困っているなら、話してみて?」

「……本当に?」

「一度だけ試させてくれない? 無理だと思ったらまた部屋に戻って拒絶していいから」

「……」

 栞ちゃんは答えてくれなかったが、部屋の中から足音が聞こえる。

 --カチャッ!

「開けたよ。入って」

「ありがとう」

 私は栞ちゃんの部屋に入った。

「試すって何を試すの?」

「どこか行ってみたいところってない?」

「行ってみたいところ?」

 どこか行きたいところがあれば、外に出られるかもしれない。

「今日はもうすぐ日が暮れるから、明日また来るね。行きたいところを考えてみて。それじゃあ、また明日」

「わかった、考えてみる? また明日ね、風夏ちゃん」

 栞ちゃんは少し戸惑っていたが、あまり急いでもうまくいかないし、今日はこのぐらいにしておいたほうがいいだろう。

 私は小桜家を出て、家に帰った。


 翌日、小桜家を訪ねた。

「栞、風夏ちゃんが来たわよ」

 栞の母はドア越しに言った。

「それじゃあ、あとはお願いするわね」

 私の耳元で栞の母が囁いた。

「はい、任せてください」

 私もそれに応える。

 --カチャッ!

 栞ちゃんがドアを開けてくれた。

「ありがとう、栞ちゃん」

 私は部屋に入った。

 栞ちゃんの部屋の窓から外が見えた。青空が広がっている。

「今日はいい天気だね」

「そう、だね?」

「昨日のことだけど、覚えてる?」

「行きたいところ?」

「そう。どこかないかな?」

「……ない、かな?」

 目的がないのに外に出るのは難しいだろう。

「そっか……栞ちゃんの趣味は何かな?」

「趣味……読書、かな?」

「それなら、図書館はどうかな? 本がたくさんあるし、面白いかも」

 図書館なら静かだし、脅威もなさそうだ。

「近くに図書館ってあるの?」

「あるよ。少し歩くけど」

「家にある本は読み尽くしちゃったから、行ってもいいかな?」

「それなら、行ってみようよ。きっと楽しいよっ!」

 よかった。無事、行きたいところも見つかったし、外に興味をもってもらうことができた。

「これから少しだけ外に出てみない?」

「…………外に?」

 栞ちゃんの表情が陰った。

「大丈夫だよ。私も一緒に行くから」

 一緒にいてくれる人がいれば、少しは安心してくれるかな。

「……少しだけなら?」

「うん、行ってみよう。でも、辛くなったら無理はしなくていいからね」

 栞ちゃんは頷いた。

「あっ、少しだけここで待っててくれる?」

「うん」

 一つだけ問題があった。それは栞のお母さんだ。栞のお母さんが何か言うと、気が変わってしまう可能性がある。

 リビングに行き、栞の母に伝える。

「わかったわ。書斎にいるわね」

 栞のお母さんは書斎に行ってくれた。

「お待たせ」

 私は部屋に戻った。栞ちゃんの表情は先程よりも暗かった。

「外に行くのが怖い?」

「……少し、怖い」

「それなら、手を繋ごう」

 私は栞ちゃんの手を軽く握った。

「行けそう?」

「……うん」

「ゆっくりでいいからね」

 栞ちゃんと一緒に外に向かう。

「あと少しだよ。もう少しだけ頑張って」

 栞ちゃんは頷いた。少し手が震えている。

「開けるね」

 玄関に着いて、栞ちゃんの様子を確認すると、栞ちゃんは小さく頷いた。

 私は玄関の戸を開ける。

「まずは一歩から」

 栞ちゃんの手が小刻みに震えている。限界だろうか。

 しかし、栞ちゃんは外へ一歩踏み出した。

「辛そうだね、部屋に戻ろうか」

 栞ちゃんの部屋に戻った。

「ごめんなさい、外に出られなくて」

「すごいよ、外に出られたじゃん! 大きな一歩だよっ!」

「……あり、がとう」

 少しだけど、心を開いてくれたかな。

「今日は外に行って疲れたでしょ?」

「うん……疲れた」

「それじゃあ、また明日にしよう」

「ありがとう」

「また明日」

「うん、また明日」

 私は栞ちゃんの部屋から出てリビングに行くと、栞のお母さんがいた。

「どうだった、栞は外に出られたの?」

「はい、外に行くことができました。一歩でしたが、大きな進歩です!」

「ありがとう、風夏さん」

「明日は図書館まで行こうと思います」

「図書館まで⁉︎」

 栞のお母さんは目を丸くしている。

「家にある本を全て読んでしまったそうなので、新しい本を探しに行ってきます」

「風夏さんに頼んでよかったわぁ」

「それでは明日、また来ます」

「またね、風夏さん」

 小桜家を後にした。


「一歩しか出ることができなかったのに、どうして風夏ちゃんは褒めてくれたのかな?」

 もしかしたら、冷やかしに来たのではないだろうか。だけど、風夏ちゃんに裏があるようには見えなかったな。やっぱり良心で言ってくれたのかな。他人の言動が何を意味しているのかわからない。

「外からのスパイかもしれないのに部屋に入れちゃった」

 次は注意深く相手の動向を確かめないと。

「何かあった時のために何か準備をしなきゃ!」

 襲われても対処できるように武器を一つ持っておくことにした。


「お邪魔します」

「今日もよろしくお願いするわね」

「はい」

 栞ちゃんの部屋の前に行き、部屋の鍵を開けてもらう。

「ありがとう」

 お礼を言って、中へ入る。

「今日も天気がいいね」

「どうして、私のところに来てくれるの?」

「それはね、家の中にある幸せだけじゃなくて、外にある幸せを見つけてほしいからだよ」

 家の中にも確かに幸せになれることがある。だけど、外にだって幸せが溢れていることを知ってほしい。

「図書館は行けそう?」

「うん」

 行ける時に行った方がいいよね。

「それじゃあ、行こう!」

「どんな本があるんだろう?」

 玄関の前まで来た私たち。

「あっそうだ。手を握った方がいい?」

「うん、お願い」

 栞ちゃんの手を優しく握った。

「外に出よう」

「うん」

 玄関の戸を開け、外へ出た。

「……うぅ、緊張する」

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。普通にしていれば問題ないから」

「……そう、なのかな」

「図書館はこっちだよ」

 暖かい穏やかな風が吹く中、私たちは図書館へ歩き出した。

「……久しぶりの外」

「昨日も少し出たけどね」

「あっ、そうだね」

 栞ちゃんの表情が少し柔らかくなった。

「大丈夫?」

「うん、まだ大丈夫」

 あと少しだよ。頑張って、栞ちゃん。

「ここが図書館だよ」

「……ここが、図書館?」

「入ってみようか」

「うん」

 私たちは図書館に足を踏み入れた。


「……ここが図書館。久しぶりだから、ドキドキするなぁ」

 栞ちゃんはキョロキョロしている。

「どこから見る?」

「本棚がいっぱいあって、どこから見ていいかわからないよぉ」

 図書館に来る前は不安そうだったが、本を見ると目を輝かせていた。

「それじゃあ、全部見てみよう」

「うん!」

 まずは左のほうの棚から見ていく。

「気になった本があったら、立ち止まって手に取ってね」

「うん」

 本棚の間をゆっくりと歩いていく。

「風夏ちゃん、これ」

 栞ちゃんに袖を引っ張られ、立ち止まる。

「手に取って読んでみよう」

「そうだね」

 栞ちゃんは一冊の本を手に取った。

「何の本?」

「なんだろう?」

 栞ちゃんは本を開き内容を読んでいる。私も覗き込んで、内容を読んでみる。

「この世界には同じものは存在しない。同じだと思っても、必ずどこかが違っている。

 この世界には正解も不正解もない。見る人によって答えも変わる。

 この世界は変わっていくが、一つだけ変わらないものが存在する。それは『変わらないものなんてない』ということだ」

 哲学の本だろうか。

「家にあった本は小説ばかりだったから、あまりこういう本は読んだことがなかったなぁ」

「栞ちゃんは栞ちゃんなんだから、栞ちゃんの好きなようにしていいんだよ」

「そうだね。ありがとう、風夏ちゃん」

 少しずつ元気になってきているような気がするのは気のせいだろうか。

「ここはもういいかな。次はあっちに行ってみたいな」

 右側の棚に行く。

「この本はどうかな?」

「この本?」

「そう、それ」

 私は栞ちゃんに本を取ってあげる。

 パラパラとページをめくり、少しだけ内容を読む。

「大地の神は地上で起きたことを知っている。

 海の神は海で起きたことを知っている。

 そらの神は何でも知っている。

 大地の神、海の神、宙の神は私たちを見守ってくれている。そして、応援してくれている。やりたいことがあるなら、すぐに行動しよう。少しぐらい失敗しても、失敗を生かして何回もやり直し、成功すればいい」

 これは何の本だろうか。

「早く読ませて!」

 本を栞ちゃんに渡した。

 栞ちゃんは楽しそうにしている。

「図書館って本を借りられるんだよね?」

「そうだよ」

「この本を借りてもいい?」

「私に一回一回訊かなくて大丈夫だよ。栞ちゃんのやりたいようにやってごらん」

 一通り図書館の中を回った。

「もう一回見たいところとかある?」

 栞ちゃんは首を振って言った。

「次は海を眺めてみたいなぁ」

 もう、図書館はいいのかな。

「それじゃあ、その本を借りて海に行こうか」

 栞ちゃんは笑顔で頷いた。

 自動貸出機に本を置いて、本を借りる。

「今って機械で本を借りられるんだ⁉︎」

「そうだよ。一人でも借りられそう?」

「これなら大丈夫そう」

 次からは図書館に一人で来ることができるかな。

「何か入れるものは……持ってないよね。鞄に入れておくよ」

 栞ちゃんから本を預かった。

 図書館を後にして、海へ向かう。


 栞ちゃんは少し緊張しているとは思うが、図書館に来る時よりも普通に歩けている。

「高いところから見たい? それとも、砂浜にする?」

「高いところから見たい!」

「じゃあ、こっちだよ」

 海が見えるところは『浮游海岸ふゆうかいがん』と『幽魂崖ゆうこんがけ』で、栞ちゃんを幽魂崖に連れていく。

「着いたよ」

「海は綺麗だね」

 海が太陽の光を反射して、キラキラと輝いている。

「栞ちゃんも綺麗だよ」

「ありがとう」

 栞ちゃんは私の方を見て微笑んだ。

「危ないから端まで行かないようにね」

「わかった」

 しばらく静かに海を眺めていた。

「外に出られる日が来るなんて数日前までは考えられなかったなぁ。ありがとう、風夏ちゃん」

「一人でも外に出られそうかな?」

「もう少し時間がかかるかもだけど、外には素敵なところがいっぱいあるから、いろいろなところに行ってみたいな」

 外にも素敵なところがあるとわかってくれたから、手伝って良かったな。

「本当は学校にも行けたらいいんだけどね。お母さんも心配してるし。だけど、学校はまだ怖いなぁ。そもそも、クラスがわからないし、まだ難しそう」

「学校には行きたい?」

「行かなきゃとは思ってるけど、やっぱり怖くて足がすくむんだ」

「同じクラスだから、困っている時は助け合えるよ?」

「一緒のクラスなんだっ⁉︎ 夏休みにもう少し外に慣れれば行けるようになれるかな。もし、行けたらよろしくね」

 今のうちに学校に連れて行った方がいいのかな。夏期講習や部活動はやっているけど、今の方が人は少ないからね。あとは栞ちゃん次第か。

「明日、学校に行ってみない? 無理にとは言わないけど、二学期が始まる前に行ってみた方がいいと思うんだよね。夏休みで、人が少ないからさ」

「……どう、しようかな」

 栞ちゃんの表情が曇る。

「私も一緒に行くから、行ってみない?」

「また、付き合ってもらってもいいの?」

「もちろん、最後まで付き合うよ」

「ありがとう。今日はいろいろなところに行って疲れたぁ〰〰」

 外を歩いたし、図書館にも行ったし、海も眺めたから疲れるよね。

「今日はもう帰ろうか」

「うん、帰ってお風呂に入りたいなぁ」

 栞ちゃんを家まで送って、私も家に帰った。


 家に帰ると、仕事が早く終わったのかお母さんがいた。

「おかえり、風夏。栞ちゃんの様子はどう?」

「栞ちゃんと一緒に図書館と海に行ってきたよ!」

「すごいじゃない、風夏」

「私は少し背中を押してあげただけだよ。栞ちゃんが頑張っているから、応援したくなるんだ。疲れたから、少し寝てくるね」

「いいわよ。ご飯の時間になったら呼びに行くわね」

 部屋に行って、ベッドに飛び込んだ。布団が弾む。

「しばらく二年四組で夏期講習をしないから、教室は空いていたはず。栞ちゃんに案内するにはいいのかも」

 紫陽先生とも話して、少しでも安心させてあげられたらいいな。

「先生に予定を訊いた方がいいよね?」

 ベッドから起き上がり、出かける準備をした。

 外に出ようと玄関のドアを開けると、お母さんに呼び止められた。

「風夏、どこに行くの?」

「ちょっと学校まで」

「気をつけて、行ってらっしゃい」

「はーい」

 私は学校に向かった。


「失礼します。二年四組の夢乃風夏です。紫陽先生はいますか?」

「夢乃、入ってきていいぞ」

 紫陽先生に呼ばれ、先生の机に行く。

「どうしたんだ、夢乃?」

「小桜さんがもしかしたら、学校に来るかもしれませんが、会っていただくことはできますか?」

「それは明日か?」

「はい、明日です」

「明日か……学校にはいるが、特に何もなかった気がするな。いつでも大丈夫だぞ」

「わかりました。小桜さんが来たら、一度声をかけますね」

「あぁ、頼む」

 紫陽先生に栞ちゃんのことも話したし、今日やることは終わった。あとは明日を待つだけだ。


「ねぇ、栞ちゃん開けてよっ!」

 翌日、栞ちゃんの部屋へ行くと、栞ちゃんは「行きたくない」と言って、ドアを開けてくれなかった。

「何かあったの? ねぇっ!」

 ドアを何回もノックするが、栞ちゃんは開けてくれなかった。

「今日は帰ってもらえるかしら?」

 栞のお母さんが追い出そうとする。

「何があったんですか? 私が何かしましたか?」

「いえ、そういうわけじゃないんだけど、昨日から栞の様子がおかしいのよ。あなたが送ってくれた後から、部屋の外に出ようとしないの。ご飯とトイレの時は部屋から出てくるけど、それ以外の時は部屋にこもってしまうのよ」

 どうして、うまくいっていると思っていたのに。

「悪いけど、今日のところは帰ってくれる?」

「……はい、わかりました。少し考えてみます」

 小桜家を出た私はどうしようか考えていた。

「何が悪かったんだろう?」

 とりあえず学校に行って、紫陽先生に来られなくなったことを伝えに行こう。

「失礼します。二年四組の夢乃風夏です。紫陽先生はいますか?」

「こっちに来てくれ」

「はい」

 先生のところに行く。

「小桜は来たのか?」

「小桜さんは事情があって、今日は来れないことになりました。すみません」

「夢乃が謝ることはないだろう? もしかしたら、悪いのは俺かもしれない」

 先生が何かしたのだろうか。

「どういうことですか?」

「昨日の夕方に小桜の家に電話をしたんだ。原因はその電話かもしれない」

「何を話されたんですか?」

「小桜を夏期講習に誘ったんだ」

「夏期講習にですかっ⁉︎」

「あぁ、勉強に追いつけた方が楽しくなると思ってだな」

 先生の気持ちもわからなくはないが、それは学校に来ることができてから伝えれば良かったのではないだろうか。

「どうしたらいいのかな?」

 視界が滲んできた。

「本当に申し訳ない。夢乃の頑張りを無駄にするようなことをしてしまって」

 今は涙を流している場合じゃない。開きかけていた扉は完全に閉じてはいないはずだ。

「きっと大丈夫ですよ。私がなんとかしてみます!」

「なんとかって、できるのか?」

「できるかはわかりませんが、やってみます! だから、先生は何もしないでください!」

 私は職員室を飛び出して、急いで栞ちゃんの家に戻る。

「栞ちゃん、少し出てきてくれない?」

「風夏ちゃんも何かさせようと企んでいるんでしょ?」

「何も企んでないよっ! ただ、栞ちゃんと友だちになりたかっただけだよっ! 相談し合える友だちになりたいのっ! それに前にも言ったけど、外には素敵なことがいっぱいあるって知ってほしかった。家の中にいれば安全かもしれない。だけど、外にはたくさんの素敵なところがあるんだよ。それを共有したかっただけなのっ! 栞ちゃんのことをもっと知りたいのっ! だから、出てきてよぉ〰〰っ!」

 涙が頬を伝って落ちる。

 栞ちゃんの部屋からは何も聞こえない。

「ごめんね。一度だけって言ったのは私だよね。もう、関わらないようにする」

 帰ろうと踵を返し、リビングに向かった。

「--待って、風夏ちゃんっ!」

 栞ちゃんの大きな声に思わず立ち止まって振り返る。

「私の方こそ、疑ってごめんね。風夏ちゃんの思いが伝わってきたよ。本気で私と向き合ってくれてありがとう」

「栞ちゃん、出てきてくれてありがとう。私が栞ちゃんを守るから、困ったときは相談してね」

「うん、風夏ちゃんを信じるよ。それで、私が友だちでいいの?」

「栞ちゃんだから良いんだよ」

 私は栞ちゃんのことを抱きしめた。栞ちゃんも抱きしめてくれた。

「これからよろしくね、栞ちゃん」

「よろしくね、風夏ちゃん」

 しばらく私たちは抱きしめ合っていた。

「あれ、お母さん、どうして泣いているの?」

 振り返ると、栞ちゃんのお母さんは目に涙を浮かべていた。

「あなたを大事に思ってくれる人がいて良かったわ」

「うん、私は幸せ者だね。ありがとう、風夏ちゃん」

「私も栞ちゃんと友だちになれて良かった」

 この後、栞ちゃんの家で夕食を頂いた。


 栞ちゃんは翌日、学校に行った。もちろん、私も付き添っている。

「ここが学校かぁ。久しぶりだなぁ。入学式以来かな?」

「ここでちょっと待ってて」

 職員室の前で栞ちゃんには待っていてもらう。

「失礼します。二年四組の夢乃風夏です。紫陽先生はいますか?」

「そろそろ、その呼び方をやめないか?」

 紫陽先生が来た。

「小桜さんを連れてきました。栞に変なことを言わないでくださいね」

「あぁ、わかっているよ。同じ過ちは二度としない」

「なら良いんですが」

 私は一度職員室を出て、栞ちゃんを呼ぶ。

「栞ちゃん、こっち来て」

 栞ちゃんが歩いてくる。

小桜栞こざくら しおりです。これからは学校に来ようと思うので、よろしくお願いします」

「二年四組の担任の尾西紫陽おにし しようだ。尾西先生と呼んでくれ」

「わかりました。紫陽先生」

「小桜まで、下の名前で呼ぶのかっ⁉︎ 夢乃、何か余計なことを言ったな」

「結構大変だったんですから、栞ちゃんを説得するの。だから、そのお返しです」

 栞ちゃんに気づかれないように、紫陽先生の耳元で囁いた。

「ありがとな、夢乃。俺は小桜に何もしてやれなかったからな。これでも、夢乃には感謝しているんだぞ」

「それなら、二学期の成績は上げてくれますよね?」

「いや、それとこれとでは話が別だろ? しっかりと、勉強しろよ!」

「はーい」

 先生と話していると、栞ちゃんに呼ばれた。

「先生と何を話しているの? 風夏ちゃん、早く教室に案内して」

「わかった、今行く」

「本当にありがとな、夢乃」

 先生の方を向いて会釈し、栞ちゃんの案内をしに行く」

「二年四組の教室は三階にあるんだよ」

「ここの階段でいいの?」

「そうだよ。この階段で三階まで上って右に行くとあるよ」


 三階の二年四組の教室に着いた。

「ここが私たちの教室なんだね」

「--待って、誰かいる」

 栞ちゃんを廊下で待たせて、私は教室に入る。

 今日は夏期講習もないし、誰もいないはずだ。

「--あっ、屋上にいた人だ。今度は教室で何をしているんですか?」

「私のことはさておき、本題に入ろうではないか」

 ローブをまとい、フードで顔を隠した人に質問をしたのに、普通のことかのように流された。

「弱い者を助けることは大事だ。しかし、強い者に立ち向かってこそ、本当に弱い者を救うことができるのだ」

「何を言っているんですか?」

「今はわからずとも、いずれわかる時が来るさ。俺の正体についてもな」

「栞ちゃんのことを助けたことがいけなかったと?」

「そんなことは言っていない。強い者に立ち向かう勇気も必要という話だ。そろそろ時間切れのようだな。また、どこかで会おう」

「ちょっと、待っ--」

 窓から突然眩しい光が射し、思わず目をつぶる。

「あれ、ローブの人は?」

「誰のこと? 私と風夏ちゃんしかいなかったよ?」

 いつから横にいたのかわからないが、栞ちゃんがいた。

「……そう、なんだ」

 ローブの人は私にしか見えないのかな。いや、空ちゃんや千尋ちゃんにも見えていたような気がする。本当に謎な人だ。正体がわかる日は来るのだろうか。

「風夏ちゃん、私を外に連れ出してくれてありがとね。風夏ちゃんのおかげで、止まっていた私の物語が動き出した気がする」

「どういたしまして。これから、よろしくね」

 こうして、栞ちゃんは外に出ることができるようになり、私も栞ちゃんと仲良くなることができたのだった。

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