第一話【雨空と君】
雨の匂いがした。
ベットから半身を覗かせ目覚まし時計を止めた直後、俺ーー
こういう時の予感は基本的に当たっていることが多い。
実際耳を済ますとポツポツと降り始めたばかりの雨の落音が聞こえてくるし、カーテンから透けて見える世界はいつものような清々しい青ではなくどんよりとした灰色だ。
あぁ、憂鬱だな。
雨があまり好きじゃない俺には、ただ雨空というだけで何をするにも億劫に感じてしまう。
とは言え、そんな曖昧な理由で仕事を欠勤するにもいかないか。
俺は寝癖塗れの頭を後ろ手に掻きながら、一階に降りシャワーを浴びてスエットからスーツへと着替える。
今日は何色のネクタイを付けようか。
少しの間考えた結果、選んだのは今日の空色とは真逆のスリットの入った水色のネクタイだった。
おそらくソレを選んだ理由はせめて気分だけでも明るくいたいという願掛けのようなものだ。
シェーバーで髭を剃りながらネクタイの位置を何度も確認し、自分にしっくりとくる角度まで調整を続ける。
スーツに着替えた時点で時刻は朝の六時二十分。
出社予定の八時まで時間はまだ十分余裕がある。
「時間もあるし・・・久しぶりにちゃんとした朝食でも作るか」
そう思い立った俺は冷蔵庫から食パンと卵二個とベーコン。フルーツグラノーラとバナナ。そして最後にコーンクリーム缶を取り出す。
本日のメニューはトーストとベーコンエッグとコーンスープ。あとは栄養のことを考えた軽い付け合わせといったところだ。
片手で器用に卵の殻を割ると、油を引いたフライパンの上で卵とベーコンを焼き始める。
ジュオッという油の跳ねる音と香ばしい匂いが繋の空腹をなおも刺激し、俺は無意識の内に軽く唾を飲む。
主菜を焼いている間に副菜の準備もしなければ。
小ぶりの鍋を取り出すとコーンクリーム缶を注ぎ、弱火にかける。
あとは少しの時間火を通せば、誰でも作れる簡単なコーンスープの出来上がりだ。
最近のレトルト食品は本当に進歩しているな。と、俺はトースターを眺めながら一人感心する。
いや、何もソレは食品に限った話しじゃない。
携帯やゲーム。パソコン。様々な物の利便性が従来とは比較出来ないくらいに進歩し、今では家に居るだけで普段の生活が成り立ってしまうほど便利な世の中になっている。
それは俺達人間にとっては素晴らしい進歩なんだろう。
ただ、人間にとって良いことであったとしても、世界にとってはどうなのだろうか。
進みゆく文明開花の反面、朽ちていく自然や絶滅していく動物。
そして現在も刻々と迫りゆく、地球汚染問題。
俺達人間は他人事のようにそんなことを気にかけてはいないけど、いつか俺達は進みすぎた文明により滅ぼされてしまうのではないか。
そうなると滑稽な話しだ。
俺達人間は自らの利便性を求めるが故に、自らの行いの愚かさに気づくことが出来ないのだから。
「・・・とは言え、こうして俺が朝食ちょうしょくを食べることが出来るのも、その発達した文明のお陰なんだけどな」
チンッ。
焼きあがったトーストを皿に取り、その傍に半熟に仕上げたベーコンエッグを添える。コップに並々に満たされた牛乳。ヨーグルトをかけたフルーツグラノーラと輪切りにしたバナナ。一見すると健康的な食事に見えるが、普段はカロリーメイトや栄養ドリンクで賄うことが多いため、こうしてたまに健康的な食事を取っても焼け石に水だろうな。と一人苦笑する。
テーブルに座りテレビを付けると、ちょうどニュースでは占いをしているみたいだった。
俺の星座は射手座だ。
今のところ十位から二位までが発表されており、一位の結果はコマーシャルの後でないとまだ分からない。
コマーシャルの合間にトーストを口にしながら、俺は一人で賭けをすることを決めた
占いの結果ぎ一位なら、今日俺は好きな女に告白される。
占いの結果が最下位なら、今日俺は好きな女に振られる。
繋は占いの番組を見かける度に、よくこのような賭けを一人で行っていた。
だが、勝率は今のところ芳しいものではなく、割合で言えば3対7と言ったところだろう。
ただ、仮に賭けに勝てたとしても結果として良いことが起きたという確証もないため、実際の勝率は最早皆無に等しいというのが現実だ。
「さぁ、今日はどっちの結果になるんだろうな」
コマーシャルが終わり、顔の整ったニュースキャスターの口上を交え始まる結果発表。
派手なレイアウト画面と共にテレビいっぱいに映ったのは、乙女座の文字。
そして反対に地味なレイアウト画面に映ったのは俺のベットした星座。射手座だった。
・・・まぁ、占いなんてこんなもんだよな。
「馬鹿らしいことしてないでそろそろ会社に行くか。・・・それに今家を出れば、電車もちょうど駅に到着するだろうし」
用意していた朝食をあらかた食べ終えた俺はハンドバッグを片手に会社へ向かおうとする。
六畳一間の部屋の電気を消し、ガスの元栓を確認し、最後にテレビを消そうとリモコンに手を伸ばす。
だが、俺の手はそこで止まってしまう。
その理由はテレビで報道されていたーーあるニュースの内容が目に入ったからだ。
『ーーでは、次のニュースは現在も世界中で噂になっている【聲の制限ヴォレスト】についての話題です。そもそもヴォレストというのはある科学者が人が喋れる言葉に限界があるのではないかという実験を元に解明されーー】
気難しそうな顔をした学者達により行われている対談
。そのニュースが世間で公になったのは確か、半年くらい前の話しだったか。
始めそのニュースを見かけた時、俺は驚きを隠せなかった。
何せ自分の喋れる言葉に制限があるなんて、誰が想像しただろうか。
だが、その反面ヴォレストに対する俺の驚きは最初だけだった。
その理由はヴォレストに関する詳しい内容についてあまりよく知らないということもあったが、全国民が自主的に受ける検査では自分に何も問題が無かったため、当たり障りなく流したということが一番の理由なのかもしれない。
ただ、最近ヴォレストに関するニュースで、新しい発見があったと耳にしたことがあったな。
確か、なんだっけ・・・えーと・・・。
「・・・思い出せないな」
まぁ、いいか。
別に思い出したところで、俺に直接関わってくる問題でもあるまいし。
止めていた手元を動かし、俺はテレビの電源を切る。
「いってきます」
テレビの音が止み静かになった部屋を後にし、誰も居なくなったアパートから仕事先へ向かう。
小気味よく動く時計の短針の音響だけが、静かな部屋の中からは、ただ無情に響いていた。
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