最終話 会いたかった人 大切な人

「いいからいいから!」


 急かす妹の勢いに押され、ゼロは緊張した面持ちで部屋の扉を開ける。

 扉を開けた室内は、部屋の大きさ自体は広くなったものの、王都に住んでいた頃と変わらない内装の部屋のままだった。使っていた家具や本棚など、レイアウトは全く同じだった。

 だが、一つだけ。

 自分の部屋のはずなのに、ベッドに腰を掛けて窓から外を眺める一人の女性が、そこにはいた。

 その姿に、ゼロの鼓動が速くなる。意識を取り戻してからずっとあった、得体の知れない現実感のなさが、吹き飛んでいく。


「はやくいってっ」


 扉を開けたまま立ち尽くすゼロの背中をセシリアに押され、ゼロが室内に入る。背中側でばたんっと音がしたことから、セシリアが扉を閉めたことがわかった。

 彼女もゼロが入ってきたことには気づいているだろうが、彼女の視線は扉とは反対側の窓の方を向いたままだった。

 少し髪が伸びただろうか。肩口くらいまで伸ばされていたはずの美しい桃色の髪は、少し背中にかかっているようにも見えた。

 何と声をかけたらいいか分からないまま、ゼロは自分の鼓動の音が聞こえるほどに、緊張していた。

 数秒立ち尽くしたまま、意を決したゼロは彼女の隣に腰を下ろす。


「た、ただいま」


 今自分はどんな表情をしているだろうか。ちゃんと声を出せただろうか。

 ゆっくりとゼロの方へ向き直った女性は、相変わらず美しかった。ゼロにとって、彼女より美しいと思えて、愛しいと思える存在はいないことを再認識する。


「おかえり、ゼロ」


 少しだけ首を傾げてにこっと微笑んだ彼女の姿に、ゼロは今まで抱えていた不安とか緊張とか、そういったものが全て消えていくのを感じる。

 無意識のままに、ゼロは彼女を抱きしめていた。何も言わず彼女もゼロの背に腕を回す。


「ただいま、ユフィ」


 その言葉を再び繰り返す。今こうして彼女と再会し、彼女の名を口にしたことで、ようやく戦いが終わったのだという実感が湧いてくる。

 どれほど抱きしめ合っていただろうか、ゆっくりとゼロから離れたユフィはいたずらっぽい表情を浮かべていた。


「誰も私がここにいること教えてくれなかったでしょ?」

「!!」

「ばーか」


 ユフィの言葉にハッとした表情を見せるゼロにくすくす笑いながらユフィが満面の笑みでそう言い放つ。


「不安になった?」

「そりゃあ、もう」

「早く起きないからだよー、だ」


 そう言ってゼロの頬をつまみながら、ユフィはけらけらと笑っていた。久々の再会だというのに、まるで今まで通りの彼女で、ゼロは内心ホッとする。

 ひとしきり笑い終わった後で、ユフィの表情にすっと影が落ちる。その様子に気づいたゼロの表情も、不安そうなものに変わる。

 彼女に何かあったのだろうか、嫌な予感が駆け巡る。

 少しだけそのまま間を置いた後、ユフィは真剣な顔つきでゼロを見つめていた。


「私ね、ゼロに謝らなきゃいけないんだ」


 ゆっくりと口を開くユフィ。


「本当はお礼を言わなきゃいけないのに、私は、私は……あの日、逃げ出しちゃったから」


 先ほどまでの様子と打って変わり、少しだけ肩を震わせながら真剣な眼差しで語る彼女の言葉を、ゼロは黙って聞いていた。

 1年前のあの戦いの決着を本当の意味で知るのは、彼女だけなのだ。彼女だけが知る真実が、きっとここにあるのだ。

 ゼロも真っすぐにユフィを見つめていた。


「ううん、あの日から私は逃げ続けてきたから。セレマウやナナキはちゃんとゼロのお見舞いに行ってたのに、わたしは、あの日ゼロがゼロじゃなくなってしまった気がして……怖くて……叔父様がウェブモート公爵家の魔導書とか、手記とかを調べるって聞いたから、その手伝いをするって言い訳して、逃げ出してた……」


 時折つらそうな表情を浮かべるユフィの言葉を、ゼロは聞き続ける。

 自分に記憶はないのだが、アノンの記憶を聞く限り、確かに相当な戦い方をしたと聞いている。ゼロ自身そんな馬鹿な、と思うような話だったのだ。今やれと言われて出来るような戦い方ではないし、もし彼女の立場だとすれば、自分が別人になってしまったと錯覚するのも無理はないだろう。


「ゼロが目を覚ましたって聞いて、すぐに会いに行こうって思ったのに、でももし、って思ったら……やっぱり怖くて。ごめん、ごめんね……」


 涙ぐむユフィ。あの日のゼロを知る彼女だからこそ感じた恐怖に、彼女も苦しんでいたのだろう。


「この1年、ゼロに会いたい、でも怖い、ゼロが死んじゃったらどうしよう、でも怖い……。みんなにはゼロに私を探させるのって強がったりしたけど、気持ちがずっと、ずっとぐるぐるしてた……」


 涙を止められなくなるユフィ。その泣きじゃくる姿は、普段の気高い美しさなど微塵も感じさせない、幼い少女のようだった。


「結局私は、助けてもらったのに、待つしかしなかった。命がけで戦ったゼロから、私は逃げてた。ごめんね……ごめんね……!」


 自分の服の裾を力いっぱい握りながら、ユフィは何度もゼロに謝罪を繰り返す。大粒の涙が、とめどなくベッドへと落ちていっていた。

 自分はただ1年間眠っていただけだが、彼女はこの1年間ずっと苦しんでいたのだ。その事実に、ゼロは罪悪感を覚えていた。

 彼の指が、そっと彼女の涙を拭う。


「今は?」

「え?」


 ゼロの言葉の意図が分からず、涙ぐみながらユフィが聞き返す。彼女の想いを全て受け止めた上で、ゼロは彼女に問う。


「1年間俺のこと考え続けたなんて既に経験済みだろ? それで、今会ってみて、どう思ったの?」


 ニッと笑って、ゼロが尋ねる。皇国から王都を目指した馬車の御者台で、お互いが確かめ合った記憶が思い起こされ、ユフィの表情がぱぁっと明るくなる。

 そのまま彼女はゼロに抱きついた。彼女を受け止めつつ、その勢いに押されるようにベッドに倒れ込んだまま、ゼロも彼女をギュっと抱きしめる。


「生きててくれて……よかった! ゼロがゼロのままでよかった! あの時、守ってくれて……ありがとう……!!」


 そしてまた溢れる想い。ゼロの胸元が、じんわりと湿っていく。


「好き! やっぱり私はゼロが好き! 大好き!!」


 そして抑えきれなくなった感情が、言葉となって溢れる。

 彼女の真っすぐな思いを受け止めて、ゼロはぽんぽんと彼女の頭を撫でてあげた。

 意識を取り戻してからずっと抱えていた不安は、すでに消え去った。


「俺も好きだよ。誰よりも、ユフィに会いたかった」


 ギュっと抱きしめる腕に力を込めると、彼女もまた強く抱きしめる。

 今はこの幸福感に、ただただ包まれていたい気持ちになる。

 またしばらく抱きしめ合ったまま時間が進み、どちらからともなく起き上がった二人は、横並びに座ったまま手を繋いでいた。


「今なら、約束を果たしてもいいかな?」


 幸福感に包まれた表情のまま、ゼロは自由な右手で自分の内ポケットから少し壊れた、小さな箱を取り出した。


「約束? ……あっ」


 ゼロの左側に座るユフィが気づく。


「あの時、ユフィが受け取らなかったから、俺助かったんだ。この箱が、約束があの時俺を守ってくれた」


 その箱を入れていたゼロが掲げて見せてくれる箱に、ユフィは不思議な気持ちを抱く。不思議な奇跡の繋がりに、二人は顔を見合わせて笑っていた。・


「これからどんな世界が訪れるか分からないけど、俺はユフィと一緒に生きていきたい。受け取ってくれますか?」


 箱の蓋を開け、中からシンプルなつくりのシルバーのピアスを取り出し、ゼロはユフィへ差し出した。


「……この流れは、普通指輪なんじゃないの~?」


 にやにや笑いながらユフィがそう返すと、ゼロも確かにと思ったのか、少し頬を赤くした。


「い、いらないなら捨てるからいいよ」


 ゼロにできる精一杯の反論はこのくらいだった。その言葉にユフィは慌ててゼロからピアスを奪い取る。


「ううん。これがいいの。私はこれが欲しかったのっ」


 べーっと舌を出してそう言うユフィにゼロが笑う。


「今度、つけるの手伝ってね」

「ん、こっちの街は全然知らないから、案内してよ」

「お、いいねぇ。東部初デートだ。ユフィちゃんに任せときなさいっ」


 幸せ全開、以前よりも濃い密度で接する二人の会話を黙って聞き続けていた黒と白のブレスレットたちは、もう限界だった。


『バカップルの誕生ね』

『この二人の会話、これからずっと聞き続けなきゃいけない私たちの気持ちも考えて欲しいものねぇ』


 アノンとユンティが、こそこそとエンダンシー同士の会話をする。

 だが彼女たちも、主の幸福は願うところであり、言葉とは裏腹に嬉しそうな声であった。


『でも、ウォービル様が東部に来られたのが昨年の夏だったのだけれど、ずっと不安そうに待ち続けてたこの子、見てられなかったの。本当に、貴女たちが来てくれてよかったわ』

『そうなのか。意識を取り戻してからも、ゼロもずっと不安そうだったし、ちゃんと待っていてくれたこと、私からも礼を言わなければな』


 彼女たちが会話をしていると、また二人はお互いを抱きしめ合っているようだった。失ってしまった時を埋めるように、二人はお互いの温もりを確認し合う。

 その顔には、幸せが満ちていた。


「もう、ユフィを泣かせたりしない。何があっても、俺が守るから」


 ゼロの言葉に、またユフィの瞳に涙が浮かぶ。

 だがそれは、喜びの涙だった。


「ずっと一緒にいよう。これから先、俺たちが目指す未来のため、一緒に歩こう」

「うんっ」


 不思議な縁に導かれるままに戦場で出会った二人は、お互いを知らぬままに想い続けていたのだ。

 彼らならば、これからもずっと想い合っていけるだろう。

 見つめ合った二人は、そっとお互いの唇を重ねる。


 照れたように笑う二人を、窓から差し込む光が祝福する。


 長く戦いの歴史を歩んでいたリトゥルム王国とセルナス皇国が戦いを終わらせ、手を取り合うことを選んだように、生まれた国が違う二人はこうして再び巡り会い、共に歩くことを決意した。


 彼らは、アーファとセレマウ、二人の少女たちが目指す世界をこれからも二人で支えていくのだろう。


 平和を夢見る若者たちは、傷つき、悲しみ、それでも前を向き、歩き続けた。


 本当に争いのない世界が訪れるまでは、まだまだ時間はかかるだろう。


 だが、平和を目指す意思は変わらない。これから先も、世界を相手に二人は戦うこともあるだろう。


 遥かなる統一を夢見て、少年少女たちの戦いはこれからも続くのだ。

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遥かなる統一を夢見て ~少年少女は平和への夢を見る~ 佐藤哲太 @noraneko0919

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