第104話 家族

 王都と東部の中間点である商業都市には立ち寄らず、小さな宿場町を経由すること3日。


 ゼロを乗せた馬車はついに東部の都市へとたどり着いた。

 本来であれば4日かかる行程を急いでくれた、御者を務めてくれたゲルプリッターの騎士たちに礼を言い、ゼロは東部の旧ウェブモート公爵家、現アリオーシュ公爵家の門の前に降り立つ。


「でっかい屋敷だなー」


 王都にも大きな屋敷はいくつもあるが、さすがは東部を治めた大貴族の邸宅である。

 ゼロが元々住んでいたアリオーシュ家の3倍はあろう屋敷の巨大さに、ゼロは苦笑いを浮かべていた。ここが新たな自分の家など、俄かには受け入れがたい。

 門から屋敷の玄関までも百メートルはありそうだが、あえて門の中まで馬車に入ってもらわず、ゼロは歩いて門から玄関までの道を歩いていた。


 屋敷と門の間に作られた庭園は丁寧に手入れがされており、美しい季節の花々が咲いていた。

 何人がかりで手入れしているんだろうな、と思いつつ歩くゼロの目に、黒髪のメイドと共に花壇に水を上げている銀髪の少女が目に入る。


 自分のイメージよりも少しだけ大きくなっている少女を見て、ゼロは思わず歩く足を止めてしまう。


「セシィ!」


 まだ少し距離はあるが、気づくとゼロは少女の名を呼んでいた。その声に気づいた少女とメイドが、声の方へ振り替える。

 振り返った少女は一瞬驚いた顔を見せると、母に似て非常に美しい、愛らしい表情を泣き顔に変えながら、ゼロの方へ駆け出してきた。


「おにいちゃああん!」


 駆け寄ってくる少女の方へ歩み寄り、勢いよく飛びついてきた少女をゼロはしっかりと抱きとめる。

 彼女のそばにいたメイドも、ゆっくりとゼロの方へと近づいてきていた。


「ただいま、セシィ。ちょっと見ない間に大きくなったな」


 ぎゅっと抱きしめた後、額をつけるほどの近距離でゼロはセシリアの泣き顔を見つめながらそう言った。

 久しぶりの兄との再会にセシリアはひたすら泣き続けてしまい、ゼロが困った顔を浮かべる。

 再びゼロがセシリアをぎゅっと抱きしめながらあやしていると、彼女と一緒に水やりをしていたメイドもゼロの側へとやってきていた。


「おかえりなさいませ、坊っちゃん」

「ただいま、マリメル」

『ただいま戻りました』

「アノンも、お勤めご苦労様でした」


 長らくアリオーシュ家に仕えるメイド長のマリメルは、いつも通りの無表情さでゼロに一礼した。そのいつも通りが懐かしく、ゼロの顔が綻ぶ。

 ゼロよりも年上の彼女の見た目は自分の記憶とほとんど変わっていなかったが、普段通りの無表情の中に、僅かながら喜びがあるような、そんな気もした。


「セシィいい子にして待ってたよ! でも……母さまも、帰ってきてほしかったなぁ……」


 泣き止んだかと思ったセシリアは、自分の言った言葉で悲しくなってしまい再びぐずりだす。

 騎士としての覚悟を知るゼロとしては、悲しくとも母の死は受け入れられたが、やはりそんな覚悟とは無縁の妹に、母の死はあまりにも大きなダメージを与えているようだった。


 ぐずりだしたセシリアの背中をさすりながら、ゼロは屋敷の方へと歩き出す。


「父さまね、こっちにきてから全然元気ないの」


 ゼロが歩き出してから十数歩進んだあたりで泣き止んだセシリアを地面に下ろし、今度は手を繋ぎながら歩いていると、彼女がそう教えてくれた。


『旦那様が?』

「あ、アノンもおかえり! ごめんね、おかえりが遅くなっちゃって」


 セシリアの言葉にアノンが反応を見せたことで、兄の相棒の存在に気づいたセシリアは、ゼロの右手首のブレスレットに向かって頭を下げた。

 その光景の微笑ましさに、ゼロは思わず口元が緩んでしまう。


「でね、父さま、やっぱり母さまいなくなっちゃったからだとは思うんだけど、お仕事の時以外は、難しい本がいっぱいある部屋にいつも籠って、いっつも難しい顔をしてるの」

「父さんが部屋に籠る……」


 部屋に籠る父親が想像できず、口に出してみたものの、やはりそのイメージはつかなかった。

 王国最強の男としていつも堂々としているのが、ゼロの知るウォービル・アリオーシュという男だからだ。


「うん、おにいちゃんのお顔みたら、少しは元気なるかなぁ」


 マリメルに案内されるまま屋敷の中に入ると、エントランス部分だけで何十人が居住できるだろうかという大きさがあった。

 玄関より正面に進んだ先に大きな階段があり、3人はその階段を登る。


「難しい本がたくさんある部屋は、3階なんだけど……あ! 父さま! おにいちゃん帰ってきたよ!」


 階段を登り3階に上がる手前、2階部分の部屋から廊下に出てきたウォービルの姿を見つけ、セシリアが大きな声で父を呼ぶ。

 おそらく気配を察して出てきたのだろうが、現れたウォービルはゼロの知る父のイメージとはだいぶかけ離れていた。


「おかえり、ゼロ。意識を取り戻して、よかったな」

「ただいま、父さん」


 当たり障りない言葉で返事を返すゼロだったが、柔和な微笑みを浮かべている父に対し、ゼロは違和感を拭えなかった。


「お前がクウェイラートを討ってくれたおかげで、あの戦いは終わった。本当にありがとう」


 自分よりもずっと大きな身体に、彫りの深い顔立ち。生まれた時からそばにあった声には違いない。

 間違いなく父なのだが、まるで別人になってしまったような、そんな違和感。


 ウォービル・アリオーシュという男は、こんな人物ではなかったはずだ。

 常に胸を張り、堂々とし、自信に満ちた、ゼロにとって高い高い壁のような、巨大な山のような、そんな圧倒的な存在だった。

 ゼロに対しては険しい表情を浮かべ、騎士とは何たるものかを教えてくれる存在だった。

 親子とは思えないほど自分よりも大きな体躯をし、隙のない男だったはずなのだ。


『アノンも、その役目大儀であったな』


 ぎこちない表情を浮かべるゼロをよそに、ウォービルの腰にかけられた鞘に収まった剣がアノンを労う。


『ありがとうございます。あるべき役目を全うしたまでです』


 父にあたるダイフォルガーの言葉に、アノンは淡々とした様子で謝辞を述べる。そんな二人のやりとりも、ゼロの耳にはあまり入ってこなかった。

 目の前のウォービルに、困惑するばかりだった。


「すまんな、俺の勝手で東部に越すことにしてしまって」


 簡単に言ってしまえば、1年しか経っていないはずなのにウォービルはすっかり老け込んでいた。とてもではないが、王国最強の男の姿はそこにはなかった。


「王都には……思い出が多すぎてな……」


 最愛の妻によく似た息子と娘の姿にゼリレアを重ねたか、ウォービルが目頭を押さえる。

 子どもたちの前ではずっと見せてこなかった、ウォービルの人間としての弱さが、そこにはあった。


――ああ、父さんも、苦しんでるんだ……。


 弱さを見せた父の姿に、ゼロは胸を痛めた。ウォービルのそんな姿に、ゼロだけでなくセシリアも目に涙を浮かべ、マリメルも沈痛な表情を浮かべる。

 ゼリレアは家族にとって太陽のような存在だった。愛情表現を自制してしまったウォービルの代わりに、彼の愛情を子どもたちに伝えてくれるのは、いつも彼女だった。

 王城内でも、王国最強と謳われその名に恥じぬ存在であり続けなければなかったウォービルをずっと支えていた者こそ、ゼリレアだったのだ。

 その支えを失い、ウォービルは逃げ出したのだろう。

 ゼリレアは多くの者に愛された存在だった。

 きっとウォービルは、彼女の死を悼む言葉をあまりにも多くの人々から送られたに違いない。

 それらの言葉は、ウォービルに幾度となく、彼女を失った痛みを与え続けたのだろう。

 弱ってしまった父に、ゼロは何と声をかけていいか分からなかった。


「お前は、失うなよ」

「え?」


 当惑するゼロにかけられたその言葉の意味が分からず、思わず聞き返す。


「なんだ、まだ会ってないのか?」

「会ってないって、誰に?」


 ゼリレア亡き今、アリオーシュ家にいる家族はウォービルとセシリアの二人だ。

 長く仕えてくれているマリメルも家族に近い存在であり、この3人とは今一緒にいる。

 

 それなのに誰に会っていないというのか、ゼロは怪訝そうに目を細めた。


「あ! そうだね! すっかり忘れてた! この時間なら、おにいちゃんの部屋かな?」


 話が見えないゼロを置き去りに、はっとした表情でセシリアがウォービルの言葉に答える。


「この家は広いからな。セシィ、案内してあげなさい」


 セシリアの頭を優しく撫でながらウォービルがそう言うと、セシリアは元気よく返事をしてゼロを引っ張り出す。

 その様子をウォービルとマリメルが温かい表情で見守っていた。


「おにいちゃんの部屋はこっちだよ!」


 先ほどまでの重たい空気を一蹴するようにセシリアが駆け出す。

 意識を取り戻してから度々経験してきた、自分一人蚊帳の外で進行する事態にゼロは身を任せる。


 ウォービルの出てきた部屋からさらに屋敷の奥に進み、一度廊下を右に曲がり、いくつかの部屋が並ぶ手前から2つ目の部屋でセシリアの足が止まった。


「ここが、お兄ちゃんの部屋だよ!」

「お、おう。案内ありがとな、セシィ」


 何が何だか分からないが、満足そうな妹の頭を撫でるゼロ。頭を撫でられて、セシリアは満面の笑みを浮かべる。


「ほら、行ってあげてっ」

「え?」


 ここが自分の部屋なのだとしたら、部屋の主は自分であり、その自分が今廊下にいるのだから、中に誰がいるというのか。

 ゼロは困惑した顔を浮かべ、妹を見つめるのだった。

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