第103話 家族のもとへ


 それから身体を自由に動かせるようになるまで、さらに3日ほどの日々を要した。


 身体が動かせるようになったゼロはユフィに会いたい気持ちを抑え、騎士としての本分を果たすために必要な訓練を再開した。

 訓練場にいた何人かの騎士たちと手合わせをし、全員に勝利を収めこそしたのだが、やはり落ちた筋肉やなまり切ってしまった感覚が否定できず、ゼロが自分の身体の動きに一応の納得ができるようになったのは、復活から17日後だった。


 そして翌日、復活から18日後。

 彼は着慣れたブラウリッターの軍服に身を包み、馬車に揺られつつ、王都を離れ単身東部へと向かっていた。

 いまだに実感はないが、既に王都のアリオーシュ家は無人の館となっており、新たな居住先となったという東部の旧ウェブモート公爵家、現アリオーシュ公爵家へと向かうことを決めたのだ。


 アーファはゼロに王都に残ってほしそうだったが、いつまでも王城に居座り続けるのも、常に仕事中のような感じがして心が落ち着かなかったことや、母を亡くした家族がどうなっているか気になった部分が大きかった。

 アーファもゼロの気持ちを察したか、そこまで強くゼロを引き留めることはなかった。


 車窓から見える王都から続く街道沿いの景色は平和そのもので、青々とした草原地帯を見るとそこに寝ころびたくなるような欲求を抱かせてくれる。


「ほんとに、戦いは終わったんだな」

『そうね。色んな人が教えてくれたけど、穏やかな日々が訪れたと言っていいんじゃないかしら』


 彼の右手首の黒いブレスレットがゼロの呟きに答える。


「そういえば、俺あの戦いの中で、アノンに会った気がする」


 馬車の進行方向の先に商業都市が見えたことをきっかけに、また一つゼロの記憶が戻る。

 瀕死の重傷の中、気が狂いそうな怒りの奔流の中で、ゼロの意識の中に現れた黒髪の美女、彼女の声はアノンと同じだった。


『私に会ったって、私はいつもあなたの右手にいるじゃない』

「いや、そうじゃなくてさ……なんか、アノンと同じ声の女の人が、俺を励ましてくれたんだよ」

『女の人?』

「ああ」

『うーん、私の記憶にはないというか、私はいつもゼロのそばにいるから、私としては常にゼロに会っていると思うんだけど……』


 不意に主が言い出した言葉に、アノンが困惑した声を出す。


『よくわからないわね』


 アノンが覚えているのは、ゼロが爆発的な魔力を発し、その魔力を受けた自分が自身の想像を超えた権能を手に入れ、敵を駆逐したことだけだ。

 ゼロに死んでほしくない、ゼロの願いを叶えたいとは彼女も強く願ったが、生まれてからずっとエンダンシーである彼女としては、自分が人としてゼロの前に現れたなど想像すらできなかった。

 同じ人間としてゼロのそばにいられれば、それはそれで幸せかもしれないが、自分にはエンダンシーだからこそできることがある。

 彼女はこのよき主と出会えたこと以上を、望んではいないのだ。


「そっか」


 アノンの気持ちを彼が察したかどうかは分からないが、ゼロはそれ以上追及しなかった。


『でも、それ残っててよかったわね』


 ゼロがおもむろに内ポケットから小さな箱を取り出したのに気づいたアノンが声をかける。

 ゼロの取り出した箱の中には、ユフィに渡すはずだった約束のピアスが入っている。その箱自体は一部が壊れていたが、幸い中身は無事だった。

 決戦の日に来ていた軍服自体はボロボロになっていたため新調されていたが、誰かが気を利かせて箱は取っておいてくれたのだろう。その幸運には、感謝しかない。


「ああ」


 何気なく自分の左耳につけられたピアスに触れながら、ゼロは短く返事をする。

 いつ渡せるのか、全く分からない上に、この1年全くユフィがゼロに会いに来なかったという事実は、彼の気持ちを暗くさせていた。

 意識を取り戻してからは、リハビリや様々な人との面会に慌ただしく気を紛らわせることができていたが、アノン以外誰もいない状況になると、ゼロは沸き上がる寂しさを隠せなくなる時があるようだ。


 もしこの1年で彼女の気持ちが離れていたら、欠落した記憶の中で、あの決戦の日、彼女に何かしてしまっていたら、そんな不安がゼロの心を支配していた。


『大丈夫よ』


 そんなゼロを見かねて、アノンが彼を励ます。


『私には恋心は分からないけれども、何となくそんな気がするわ』

「根拠のないことを言うなんて、珍しいな」

『“女”の勘よ』


 先ほどゼロがアノンと同じ声の女性と会った気がすると言ったからだろうか。今まで一度も女の勘など言ったことない彼女がそう言ってきたことがおかしくて、ゼロは思わず笑ってしまった。


『やっぱり貴方は笑顔でいたほうがいいわね』

「なんだよ、急に」

『ゼリレア様もよく言っていたでしょ? スマイル、スマイル! って』

「あー……」


 持ち前のイケメンを活かしたスマイルは、ゼロの得意技だ。

 それは自分とよく似た容姿の母が教えてくれた処世術で、様々な人との関わりの中でゼロが意識していることでもある。


 今でこそゼロの母、ゼリレア・アリオーシュは王国最強の女性騎士だったと誰もが認めるが、若い頃はその美貌から騎士として色眼鏡で見られることが多かったと聞く。

 偏見を持って接してくる相手にも彼女は笑顔で対応し、実力を持って相手を黙らせていたという。


 そんな母が残してくれた大切な教えを、昔からの相棒は思い出させてくれた。


『これからセシリアに会うのでしょう? いい笑顔見せてあげないとね』

「ああ、そうだな」


 自分の相棒が彼女でよかったと思いながら、ゼロとアノンを乗せた馬車は東部を目指して進んでいくのだった。

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