エピローグ
第101話 知ってる天井
「あれ……医務室……?」
ゼロ・アリオーシュが目を覚ますと、そこは薄っすらと見覚えのある天井だった。
どうやら仰向けになっているらしく、身体を起こそうとするも、自分の身体がまるで他人の身体かと思うほど言うことを聞いてくれず、ゼロはしばらく動かない体と戦っていた。
なんとか指先を動かすと、何か硬いものに指が触れる。
『ゼロ?』
それは彼のエンダンシーのアノンであり、一切の魔力供給がない状態の、黒い棒状の彼女だった。
だが彼が触れたことで、僅かに魔力の供給が始まり、彼女も意識を取り戻したようだ。
「!!!」
ゼロにとって聴き慣れたアノンの声が聞こえると、彼が横になる部屋の窓から外を眺めていた誰かが驚いたような声を上げる。
なんとか声のする方へ頭を動かすと、そこには知らない白衣の女性がいた気がしたが、扉を開ける音がしたと思えば、彼女はすぐに部屋を出て行ってしまった。
「へ、陛下! ブ、ブラウ団長が目を覚まされました!!」
部屋の外から、恐らく出て行った彼女の声が聞こえた。
やっとの思いで上半身を起こし、先ほどの女性が見ていた窓の方に視線を向けると、穏やかな風を受けて、木々の葉が揺れているようだった。記憶にある季節と同じ、春を感じさせる景色だった。
一人取り残されたゼロは、断片的な記憶を引き出そうと頭を回転させ始める。
「アノン……俺は、なんで、ここにいる……? たたかいは……? ユフィ、は?」
頭を回転させても分からないことだらけで、ゼロは自分の相棒に意見を求める。
今分かるのは自分が横になっていることと、その場所がおそらく王城の医務室だろうということだけだった。
『貴方はクウェイラートを倒した。彼との戦いに勝利したのは間違いない。だがそれと同時に、貴方は気を失った。貴方が気を失ったから、そこからは私も覚えていないが、少なくともあの時、あなたはユフィを守った。彼女は死んでいないはずだ』
「そうか……ユフィは生きてるのか……。じゃあ、反乱は終わったんだな……よかった」
クウェイラートの攻撃で胸を貫かれたことは覚えている。そして彼がユフィの法衣を破き、暴行に及ぼうとしたことも覚えている。覚えているのはそこまでだ。
勝った実感はなく、その記憶もないが、信頼するアノンが嘘を言うなど考えられず、ゼロは彼女の言葉に安堵した。
少しずつ動かせるようになってきたゼロの右手が、左胸に触れる。
そこにはピアスの入った箱があると思ったのだが、どうやら着替えさせられているようで、そこには何もなかった。
気づけば今着ている服も入院患者が着るようなもので、軍服ではなかった。
「ピアス、どこやっちゃったかな……」
ユフィとの約束のピアスが、奇跡的に自分を助けてくれた。少しずつ記憶を辿り、思い出す。そのピアスが手元にないことに気づき呟いたゼロの声は、弱々しかった。
そんな風にゼロが気を落としていると。
「ゼロ!!」
扉をノックすることもなく、荒々しく開かれた扉の先に、金髪碧眼の美少女が現れる。
ゆっくりとそちらへゼロが首を動かし彼女と目を合わせると、彼女は自分の想像よりも少しだけ大人っぽくなっているように思えた。
ゼロと目を合わせるや否や、たちまち少女の目に涙が溜まっていく。
「本当に、生きているのだな……! 私が、私が分かるか!?」
得意のスマイルをしようにも表情に力が入らず、あまりにも弱々しい笑みになってしまったが、彼は忠誠を誓う彼女へ笑ってみせた。
「どうしたんすか陛下……らしくないっすよ」
「うるさい馬鹿者! 生きていて……生きていてよかった……!」
その目に涙を浮かべながら、ゼロへと飛びつく。華奢なアーファの身体を支えることもできず、ゼロはせっかく起こした身体を再び横にせざるを得なくなる。
泣きながら怒るとは器用だなと思いながら、ゼロは抱き着いてきたアーファを抱き起すこともできず、諦めて背中をゆっくりとさするのだった。
その後もしばらく泣き続けたアーファだったが、泣き疲れて落ち着いてくると、ゼロが意識を失っていた間のことを話してくれた。
「本当に、何も覚えていないのか?」
その言葉から始まった彼女の説明に正直実感は全くわかなかったが、ゼロはおよそ1年もの間意識を失っていたのだと彼女は教えてくれた。
ゼロにとってはまだ終わった実感もない反乱鎮圧戦だったのだが、彼女たちの中では既に1年も前のことであり、反乱からの復興は既にかなり進んだらしい。
あの日、ゼロがクウェイラートを倒したことで戦場に跋扈していた死霊たちは全員が一瞬にしてただの遺骸となり、傀儡兵たちも意識を取り戻し、即座に白旗を上げたという。
王国軍は彼らの降伏を即座に受け入れ、アーファやグロスらを中心としたメンバーで商業都市へ進み、オーチャード公爵家に侵入。
そこでグリューンリッターの副団長4人の遺体と、気を失って倒れたゼロ、大量の返り血を浴びて茫然自失となっていたユフィを発見したとのことだった。
クウェイラートについては遺体を発見できなかったらしいが、破れたグリューンリッター団長の軍服が見つかったことから、状況を察したグロスの判断で反乱鎮圧完了が宣言され、王国軍はゼロとユフィを保護したのだという。
ユフィ自身には目立った外傷はなかったが、先に王都へ戻っていたセレマウが彼女を抱きしめるまで、心ここにあらず、といった様子のまま誰の呼び声に応えることもなく。
そしてゼロは、今に至るまで眠り続けていた、ということだ。
あまりにも目を覚まさないゼロの容態や、失った者のあまりの多さから、祝勝の儀も一切行われず、王国は反乱からの復興と皇国との同盟に向けた動きを即座に始め、セレマウたちについては、援軍に来てくれたエドガーらとともに一度セルナス皇国へ戻ったらしい。
その後王国軍がウェブモート公爵家を訪れると、そこには東部を治めていたクウェイラートの父であるウェブモート公爵の遺体があり、クウェイラートがあの反乱を父を殺してまでも実行に移したことが判明したという。
そして領主不在となった王国東部は、ウォービルの希望によりアリオーシュ家が治めることとなり、アリオーシュ家は今回の反乱鎮圧への多大な貢献が認められ、公爵位を賜ることとなった。
既に王都にあったアリオーシュ家の屋敷を離れ、ウォービルとセシリアは旧ウェブモード家の屋敷に移り、ウェブモート家に保管されていたかつての東の大陸との交易の資料を洗い直しながら、東部の治世をウォービルが行っているらしい。
その話の終わり、あの戦いの中でゼリレアが死んだことを知らされた。
「そう、ですか……」
ウォービルとセシリアが東部に移った、そう言われたことに違和感はあったが、その理由を知ったゼロは、ただ一言そう漏らすことしかできなかった。
「母さんが……」
伝えられる情報が多すぎて整理しきれなかったのもあるが、逆にこのタイミングで教えてもらえてよかったとゼロは思った。
もし違うタイミングで聞かされていたら、ゼロは涙を隠しきれなかっただろうから。
あの戦いではゼリレアだけでなく、やはりシュヴァインも死んでしまったとのことだったが、現在リトゥルム王国は小平和状態にあり、空位となったゲルプリッター、グリューンリッター、ヴァイスリッターの後任団長はまだ決まっていないらしい。
王国七騎士団の団長が一気に3人も失われるなど、王国にとっては緊急事態のように思われたが、小平和の背景にはアーファが望んでいたセルナス皇国との同盟があり、既にその関係性は国中に伝えられたという。
「私は統一を希望したのだがな」
そう残念そうに語るアーファは、本当にセレマウに対し両国家の統一を希望したらしい。
だが政治や宗教、慣習、文化、そして対立の歴史からくる国民感情もあり、当面は同盟国という形でいくことになったのだ。
そのあたりはゼロとしても関わりたくない内容であり、難しいことは文官のリッテンブルグ公爵に任せればいいだろう、とゼロはこっそりと話を聞きながら思っていた。
両国の平和の証として、長きに渡り多大な血が流れたバハナ平原には、両国の代表が集い会談するための建物が建設中ということだった。
このように、現在も両国の未来のための話し合いは続いているらしい。
セルナス皇国側も政務の責任者であったコライテッド公爵が失脚したことにより、セレマウは相当参っているだろうなとゼロは思うばかりだった。
そして最後に。
「ユフィ殿は、もうしばらくここにはきていないな」
ゼロが一番聞きたかった話題をアーファは伝えてくれた。
眠っていたとはいえ、全く会いに来てくれていないという話に、ゼロは寂しい思いを抱くしかできなかった。
だが彼女も皇国を支えるナターシャ家の一員であり、セレマウの右腕たる存在なのだから、そう簡単に周遊できる立場でもないのだろう。
彼女が生きていると知れただけで、ゼロは満足することにした。
「セレマウとナナキ殿は、時折ここには来るのだがな」
いじわるそうにそう教えてくれたアーファの顔に、ゼロが苦笑いを浮かべるしかできなかったのは言うまでもない。
そしてその日は、ゼロが意識取り戻したことを聞きつけた者たちが、入れ替わり立ち代わり彼の元を訪れた。
特に親友のルーがゼロに言った、「団長を止めてくれてありがとう」という言葉は、ゼロの胸に深く突き刺さった。
そう言った時の彼の悲しそうな笑顔を見て、ルーすらもクウェイラートに利用されていたという事実は、ゼロの胸の中だけに留めることにした。責任感の強い彼のことだから、それを知れば自分を責めるに違いない。
友として、真実を語らないのもまた友情だろう。
「そういや俺、ブラウリッターに転団したぞ」
ひとしきり話した最後、帰り際のルーが笑顔でそう告げた。
「いつまでお前が団長かわかんないけど、よろしく頼むぜ、ブラウ団長」
敬意など微塵も感じさせないルーの言葉は、ゼロにとって懐かしい。
友の笑顔は、自分に日常が返ってきたのだという実感を、与えてくれた。
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