第96話 クウェイラートという男

「これはこれは、いきなりだな」


 舞い散る粉塵が収まった先、扉の正面奥に座る金髪の青年は口元に笑みを浮かべて右手を前にかざしていた。

 うっすらと空間の歪みが見え、彼が魔法による障壁を生み出したのは間違いないだろう。


「このくらいは防ぐ、か……」


 自宅の応接室の構造を想定し、おそらく扉正面に主が座る構造だろうと想像したユフィは、扉もろともあわよくばそこに座る者を倒そうと、かなりの威力を込めて雷撃を放ったのだが、彼が生み出した障壁魔法に防がれたようだ。

 肌で感じるクウェイラートの魔力量は、彼女自身には及ばないが常人の300倍という膨大な魔力を持つ兄を超えているように感じさせる。


「待っていたよゼロくん、そして麗しきナターシャ家のお姫様」


 着座したまま高らかな声を出す青年は、やはり王国側の予想通りだった。

 この状況においてなお忌々しくも着続けている緑を基調とした軍服。

 そしてその胸元に施された金糸によるスリーソード。

 彼こそが王国七騎士団が一つ、グリューンリッター団長クウェイラート・ウェブモート、王国最強の魔法使いだった。

 緩やかなウェーブがかかった金髪と右目が青、左目が緑の瞳を宿したオッドアイが特徴の整った顔立ちをした美青年は、手元に持ったワイングラスを傾けながら二人と向き合っていた。その口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。

 彼の背後には4人のグリューンリッターの軍服を纏った騎士たちが並んでおり、全員が胸元に銀糸によるスリーソードが施されている。

 一様に無表情となっているが、彼らが戦場で見られなかったグリューンリッターの副団長たちであるのは明白だった。


「待っていた、だと?」

「そうさ。こんなに簡単に私の元に来られるなんて、不思議だと思わなかったか?」


 端正な顔立ちに浮かぶ余裕めいた表情とその口ぶりに、ゼロが怪訝そうに眉を顰める。


「傀儡魔法とは便利でね、単純な魔導式でも意思を奪い、力を限界まで引き出せるのだが、刻んだ魔導式を高度なものにすれば、その力を数倍に引き上げたり、意思を残しつつ視覚や聴覚情報を術者に提供させることもできるのだよ。特にグリューンリッターの中でも副団長たちは皆特別でね、高度な魔導式に耐えられるだろうと私が直々に選別し、魔導式を刻んであげた者たちなのだよ」


 流暢に説明するクウェイラートの言葉にゼロの表情に嫌悪感を浮かべるが、ユフィは彼の説明を受け何か思案しているようだった。


「意思を奪う……! この外道め……!」


 憎々しげに睨みつけるゼロを見て、クウェイラートが満足そうな表情を浮かべる。


「大して才のない者でも、私のために役立てるのだ。光栄だと思ってほしいね」

「……待ってください。貴方は今、“副団長たちは皆”と言いましたよね?」


 その言葉の意味に気づいてしまったユフィの顔色が青くなる。その様子にクウェイラートは再びワイングラスを仰ぐ余裕を見せた。


「ようやく気づいたかい。“彼”のおかげで、君たちの動きは実に簡単に知ることができたよ」


 あえて“彼”とクウェイラートが口にしたことで、ようやくゼロもその意味を理解する。それと同時に沸き上がる怒りを、ゼロは抑えられなかった。


「き、貴様!! ルーに何をした!?」


 頭をよぎる、最悪の光景。

 グリューンリッター副団長のルーが、味方陣営内で傀儡となれば、王国軍の損害は計り知れないだろう。


「そう熱くなるなよ。残念ながら君の想像ほど傀儡魔法も万能ではない。意思を残すような高度な魔導式は、私と相手の距離が離れれば離れるほどその力は落ちてしまう。せいぜい見聞きしたものをこちらへ伝えさせるくらいが限界さ」


 演技めいた動きを交えつつ語るクウェイラートへ、最大の嫌悪感を抱いてゼロが睨みつける。

 そしてゼロの中で一連の反乱の全てが繋がる。

 なぜアーファ不在という状況で反乱が起きたのか。

 王国軍の動きに合わせて、反乱軍が強くなったのか。

 ルーが見た光景、聞いた言葉の大半はアーファの側にいた時のものだ。

 アーファの決定は王国の決定なのだ。

 情報は戦いの鍵を握る。それらが全て筒抜けだったのならば、王国軍が予想以上の苦戦をしたのも頷ける。


「ルーくんはあの小娘のお気に入りのゼロくんの親友だったから、いざとなれば君ともども自分のそばに置くだろうとは思っていたのだがね。……あまりにも予想通りに動くもので、君たちに皇国潜入を告げた時など、笑いが止まらなかったよ」


 彼の言う“あの小娘”とはリトゥルム王国の女王アーファに他ならないだろう。

 自らが叙勲を受けた者に対するあまりにも不遜な言葉に、ゼロは苛立ちを抑えられなくなってきていた。

 この男には騎士の誓いなど何もない。強い不快感がゼロを襲う。


「ゼロくんの戦いも見させてもらったが、やはりアリオーシュ家の血筋は相当なものだね。どうだ? 私と手を組めば、君を私の国の騎士団長くらいにしてあげてもいいぞ?」


 そんなゼロの様子を見てもなお、クウェイラートは余裕を見せ続ける。


『貴様に、騎士の誇りはないのですか!?』


 ゼロ同様、怒りを露わにするアノン。その声は今までにないほどに怒気に満ちていて、ゼロの心と連動するようだった。

 だが。


「落ち着いて、平常心を見失わないで」


 小さな声でそう言い、ユフィがゼロの左手を握る。これはクウェイラートの策略だろう。戦場で我を忘れた者に勝機はない。

 ユフィ自身もクウェイラートに対する嫌悪感に心を支配されそうになるが、それも彼の計略の一つなのだろう。


 ユフィの手の温もりを感じ、ゼロは一度深呼吸をする。

 冷静に分析すれば敵はクウェイラート以外にも4人の副団長がいる。彼の言葉通りならば、彼らはその力を数倍にも引き出された、凶悪な傀儡兵なのだ。冷静さを欠いて勝てる相手ではないだろう。


「ふむ。君たちがどういう関係なのかは知らないが、ユフィ嬢は私の妻となり、最強の魔法使いの子を生んでもらうのだがね」


 ゼロとユフィの様子に少しだけ関心を示した後、クウェイラートの笑みはさらに二人の不快感を煽るものとなる。


「なんだと!?」


 その言葉に、ユフィのおかげで一度は収まったゼロの怒りがまた沸き上がり、一気に沸点に到達する。

 この男はどこまで横暴なのか、ゼロの胸中を支配せんとする、純然たる殺意。


「あなたは王になって、何を目指すんですか?」


 そんなゼロの様子見てか、ユフィがクウェイラートへ問いかけた。

 彼女が知る二人の少女はその責務から逃げることなく、困難とは分かっていても平和を目指すことを決意した。

 王とは責任を負うものだ。

 セレマウと旅をし、アーファと出会い、それを学んだユフィはクウェイラートの真意を知りたくなった。


「何を? 決まっているだろう。あの小娘の祖先たちにより奪われた玉座を取り返し、私が正統な王として君臨するのだ」


 ユフィの問いに鼻で笑いつつ、クウェイラートがそう答える。

 かつて王国東部にはウェブモート王国と呼ばれる国があった。その時代をまるで神聖視するように、クウェイラートは玉座に座る自分を想像し、愉悦の感情に浸る。


「私たちから玉座を奪った者たちには死を。私の名の下に、あの小娘を粛清するのだよ」


 忌々しくにらみ続けるゼロに対し、ユフィはどこか悲しそうな顔を浮かべる。

 彼の目指す世界が、見えなかった。


「それは“今”貴方がしたいことでしょう。私は、君臨した“未来”にどのような世界を目指すのか問うているのです」


 ただ玉座に座り、権力を振りかざしたい、復讐したいと思う彼の言葉は、空虚だ。その先にあるものを見据えていない彼の言葉は、ユフィの心には届かなかった。


「未来だと? ……そうだな。我が力に従わぬ者を全て従え、いずれ私はこの大陸をも支配する」


 力を振りかざすのは簡単だ。善悪の感覚を持つ前の身体の大きな子どもが小さな子どもを虐げるように、力ある者が手を振りかざせば、力なき弱き者たちは強き者に従うだろう。

 だがそれは王として最も簡単で、愚かな選択だとユフィは思う。


「あなたの言葉は空っぽです」


 クウェイラートを真っすぐに見つめるユフィの表情は、凛として美しかった。二人の少女の強さを知る彼女だからこそできる、強い眼差しだった。


「私が、空っぽだと……!? 舐めるなよ! 私は、あのお方とともに世界に君臨する男だぞ!!」


 彼女の視線と言葉に動揺しつつ、感情を高ぶらせたクウェイラートが立ち上がって怒りを露わにする。

 だがそれすらもユフィには、彼の器の小ささが余計際立ったように思えてしかたなかった。

 彼女の表情に、悲哀が浮かぶ。そして彼に玉座を渡すことなどできないと、改めてこの反乱鎮圧を胸に誓う。


「あのお方?」


 怒りを落ち着かせるためにユフィとクウェイラートのやりとりを眺めていたゼロだったが、彼の言った“あのお方”が誰を示すのか分からず問い返す。

 死霊魔法や傀儡魔法、大陸にはない魔法が行使されていることから、背後に何かしらの存在があるとは思っていたが、プライドの高い彼が敬意を示す相手とは果たして誰なのか、ゼロには想像もつかなかった。


「これから死ぬ君には、関係のないことだ……! これ以上の問答は不要だな!」


 クウェイラートが右腕を掲げると同時に、彼の両脇を固めていた4人が動き出した。

 話し合いでこの反乱を終わらせることはできない。 


 騎士として、武をもってこの反乱を鎮圧する。

 ゼロは右手に持つアノンへ、力を込めた。

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