第92話 少年少女の想い

「ねぇアーファ」

「どうした?」


 戦場最後方の本陣のテント内で、セレマウの普段の明るさは消えていた。

 彼女の隣に座るアーファはここ数日ずっと険しい表情を浮かべ、笑っている姿を見ていない。

 なんとか彼女を笑わせたいが、あいにく彼女を笑わせる手段が思いつかないセレマウは、テント付近をふらふらしたり、無理やり炊き出しの手伝いに参加し、ここ数日を過ごすことしかできなかった。


「ここは、戦場じゃない」

「ああ、そうだな」

「少し前までは、バハナ平原も戦場になっていた」

「そうだな」


 セレマウの言わんとすることの意味が分からずアーファが怪訝そうな眼差しをセレマウに向ける。

 だがセレマウの表情から何かを察したのか、アーファはそれを止めるようなことはしなかった。


「でも、この国の王都では今も普通の生活をしている人たちがたくさんいる」

「まぁ、そうだな」

「皇国でも、普通に暮らしてる人がいて、きっと芸術都市では今も絵をかいたり、舞台の稽古をしてる人がいる」


 芸術都市はまだ互いの正体を知る前に、二人が出会った場所だ。

 たしかにあの都市は戦争などとは無縁に、今も芸を磨く人々で溢れているだろう。


「でも、今ここで死んでいく人たちもいる」


 セレマウの表情は、変わらず真剣だった。


「世界は不平等だね」


 そういって悲しそうに微笑む彼女を、アーファは黙って見つめていた。


「そして私は、何もできない。無力だなぁ……」

「無力では、ないだろう」


 そう言うセレマウにアーファは小さく首を振って見せる。

 彼女を慰めようと思ったわけではないが、国の上に立つ者は迷ってはいけない。そう思うからこそ、アーファはセレマウの言葉を否定する。


「セレマウが無力だとしたら、皇国のために戦う者たちなどいない。確かに身分や肩書に従う者もいるが、そういった者たちは戦場で命を懸けたりはしない。貴女が命を懸けるに足る存在だと思うからこそ、今戦っている者たちがいるのだ。それは貴女の力であり、強さだと私は思う」

「……でも、私にはみんなを見守ることしか、祈ることしかできないよ」

「それは私も同じだが、信じることが、祈ることができる。何もできないわけではない。そして彼らが帰ってきた時、彼らが守ったものを導くのが、国家元首たる私たちの責務だ」

「アーファ……」


 まだ14歳の少女がなぜここまでの強さを持っているのか不思議だったが、年下の少女に叱咤され、セレマウは表情に落ちていた影を追い払った。


「信じることは、できる……うん、信じるよ」

「あぁ、必ず勝ってくれる。私たちは信じて、みんなを待とう」


 テントの外に出ると、空には無数の星が浮かび、月明りが辺りを照らしていた。夜までの間に決着をつけるつもりだったが、そううまくは進まなかったようだ。

 それでも、彼女たちは仲間たちの勝利を疑わない。

 彼らが勝って帰ってくるときを、二人の少女は待ち続けていた。


「見えてきたな」


 グロスから秘密裏に任務を受けたゼロとユフィは、早馬を飛ばして先端の北限をさらに北へ進み、戦場を大きく迂回する形で商業都市の東側へ回り込んでいた。


「あれが、商業都市……なんか、活気を感じないね」

「反乱軍の侵攻を察知して、オーチャード公爵が住人を王都へ退避させた、とは聞いてるから、もうほとんど人はいないのかもな」


 商業都市の東門から東へ2キロほどの木の側に馬を止め、そこからゼロとユフィは歩いて商業都市を目指し始める。

 戦場と反対側の商業都市東部は穏やかな平原地帯で、数キロ先では大激戦が繰り広げられているなど思えないような穏やかさだった。

 周囲に人影はなく、これなら問題なく商業都市に潜入できそうで、ゼロとユフィはほっと胸を撫で下ろす。


 彼らがこの場所にたどり着いたのは夕暮れ前。決着をつける覚悟の全軍による総攻撃、それがうまくいっていればいいのだが。


「まだ商業都市に近づく声は聞こえない、か」


 きっとまだ決着はついていないのだろう。そうなれば、敵の司令官はまだ反乱軍の後方の本陣か、商業都市内にいるのだろう。

 慎重に商業都市へ歩を進めていくゼロとユフィ。

 商業都市の東門へ続く街道は王都とを繋ぐ街道よりも使う者が少なく、ある程度土が固められ均されているが、ちらほらと雑草が生え始めている部分もあるようだった。


「ほんと、皇国と変わらないね」


 小さき花たち、懸命に生きる草たち、セルナス皇国と気候も変わらない王国の自然を見ると、皇国を思い出す。


 まだ離れて1週間ほどでしかないが、ユフィにとってこれだけ長く皇国を離れたのは初めての経験だった。

 長く続く戦場の生活は、皇国首都や約束の塔での生活とはかけ離れ、お風呂に入れないことは耐えがたい気持ちにもなるが、故郷と似た景色があるというのは、それだけで心を落ち着かせてくれるもののようだ。


「国って、何なんだろうな」


 ユフィの言葉に、ふとゼロの頭に浮かぶ疑問。

 なぜ自分たちは戦っているのか。

 確かに王国と皇国では文化が異なり、信じるものも違う。だが暮らすのは同じ人間だ。


「ん~、二つの国を見た今考えてみると……権力の及ぶ領域、なのかな。その国を色づける宗教も、文化も、慣習も、全部後付けで作れるよね……」

「権力、か……」 


 リトゥルム王国の領土内は英雄王イシュラハブが大陸東部国家の統合を成し遂げるまでは、中規模や小規模な国家が多く集まった地域だった。

 つまりリトゥルム王国も元を正せば小国家の一つ。

 そこから国家統合で現体制になり、大陸東部をセルナス皇国と分け合う大国へと成長した。それに合わせて、権力も大きくなったのは間違いない。


「英雄王イシュラハブは、どうして国家統合を行ったんだろう……英雄王も、巨大な権力を、目指したのか……?」


 王国内で英雄王イシュラハブの名を知らぬ者はいない。

 60年ほど前、かの王が進めた国家統合により、終わらない戦乱が続いた国家群の争いはひと段落した。

 巨大な王国となったからこそ、セルナス皇国との争いは始まってしまったのだが、ほぼ全域で争いが起こっていた状態が収まり、明日の死を恐れなくてもよい状況が生まれた。

 この功績から、かの王は英雄王と呼ばれるようになったと、幼い頃からゼロは聞かされて育った。


「王国史は詳しくないけどさ、もしかしたら英雄王もアーファ様と同じく、平和を目指す手段として、覇道を進めたんじゃないかな」


 全国民が敬愛する英雄王に対し、小さな疑問を抱くゼロ。

 だがふと何か温もりを感じたと思えば、彼の手をユフィが握ったようだった。

 立ち止まり、手を握るユフィへ不思議そうな顔を向けると、彼女はにこっと微笑んでくれた。


「結果だけを見れば、王国の領内は昔よりも平和で豊かになったんでしょ? なら、それでいいんじゃないかな」


 段々と日が沈み、辺りを暗く染めていく。


「話し合えればそれに越したことはないけど、言って聞かない相手の目を覚まさせるには多少のお仕置きは必要だと思うな」


 暗くなる世界の中で、まるで子育ての仕方のように話すユフィの表情は明るい。

 彼女の強さが、ゼロにはありがたかった。


「今回の反乱は平和を乱した。結局私たちが戦う理由はそこに行きつくんだよね」


 王国東部のウェブモート公爵が治める土地も、かつては公爵家が王家として治めた領土であり、自分を頂点とする支配構造をクウェイラートが望んだのだろう。

 それが多くの人々に悲しみを与え、永遠の別れすらも生む行為だと、彼は自覚していたのだろうか。


「私とゼロで、懲らしめないとねっ」


 まるで子どもを叱るようなテンションで、ユフィがゼロの手を引っ張り歩き出す。そんな彼女に思わずゼロは小さく笑ってしまった。


「……クウェイラートは俺たちの倍くらいの年齢だぞ?」

「悪いことする人に、年齢は関係ありませんっ」


 彼女とならば、また平和を取り戻せる。確信めいた感覚がゼロにはあった。

 辺りはどんどん暗くなる中、二人はこの反乱の首謀者を“懲らしめる”ために商業都市を目指すのだった。

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