第83話 仮面の二人
『お母さまにぶたれて、目が覚めた?』
「ああ。戦場に立つ以上、“覚悟”してたはずなのに、忘れてたよ」
本陣を離れ、北の方角へ歩くゼロの足取りは悠々としていた。母に打たれた頬はまだ少し痛むが、その痛みが自分の覚悟を思い越してくれた。母を危険な目に合わせたくない、その思いから甘えたことを言った自分が今は恥ずかしい。
シュヴァインが死んでいなければそれに越したことはないが、もし今日中に彼を発見できなければ、死霊として敵となれば、彼と戦えば、並みの騎士たちでは間違いなく誰かが死ぬ。
戦場は人が死ぬところだ。だが、ゼロもゼリレアも騎士団長として仲間の死を防ぐ責務を負っている。自分の家族だけを守りたいなど、そんな甘えたことが認められる立場ではないのだ。
敵を倒し、仲間を救う。それがゼロのやるべきこと。
それはシンプルな事実だった。
「ねぇ! 待ってよ!」
決意を固め、自分の行くべき場所へ向かおうとしていたゼロを呼び止める声は、彼の心を落ち着かせる不思議な力がある声だった。
「ユフィ」
彼女の名を口にすると、今でも少し恥ずかしい気持ちが浮かぶのだが、それはなんだか心地の良いような気もするものだ。
「私も、一緒に戦う」
「え?」
彼女の役目はセレマウを守ることであるはずだ。それを知るからこそ、仮面の内側でゼロは困惑した表情を浮かべていた。
「そんなに困んないでよ」
小さく笑いながら、ユフィはそっとゼロの仮面を外す。予想通りの表情を浮かべたゼロに、彼女は目を細めて笑顔を見せた。
「ほら、やっぱり」
「いや、だってユフィは、法皇様のそばにいるべきじゃ」
「セレマウのそばにはナナキもいるし、アーファ様のそばならミリエラさんもいるし、戦場からは一番遠い。私一人いなくたって平気よ」
ユフィが一緒に戦ってくれるのは心強いが、彼女を危険な目に合わせたくないという思いが拭えず、ゼロは戸惑っていた。
「あのさ~、私も軍人なんですけど。マスクはたしかに持ってきてないけど、自分を苦しめたマスク女、もう忘れちゃったの~?」
ため息をついたユフィは、少しだけむっとした顔を近づけ、ゼロの両頬を指で挟む。不意に彼女の顔が近くなり、ゼロは恥ずかしさに一歩後退するが、それに合わせてユフィも一歩前に出る。至近距離で見つめ合う二人。
「皇国軍がいずれ援軍に来るなら、私が援軍第1号よ」
自信満々な笑みを浮かべる彼女の顔を見て、今度はゼロがため息をついた。
『私たち、って言ってほしいな』
「あ、そうだねっ。ごめんごめんユンティ」
彼女と彼女のエンダンシーがいれば、確かにかなりの戦力だ。特に魔法が得意ではないゼロにとって、死人の軍団を生み出さないために死体を焼くのは楽ではない。もし彼女がそれをやってくれるのならば、これ以上ない助けになるだろう。
「……でも、焼けるのか?」
彼女に前線に出てこないで欲しいと思う、一番の要因をゼロが尋ねるとユフィはゼロの顔から手を離し、表情を曇らせうつむいた。
「怖いよ。戦場で死者を燃やすなんて、そんな背徳的なこと、ほんとはしたくない。でも、やらなきゃ、誰かが死んじゃうかもしれない。それは見過ごせない」
数秒うつむいた後、顔を上げた彼女の瞳には決意の色が浮かんでいた。
「だからね、私が怖くならないように、今日はこれ私に貸してね」
「え?」
彼女の決意になんと言えばよいか迷ったゼロだったが、続けられた彼女の言葉にゼロは気の抜けた声を出してしまう。
「どう? 似合う?」
呆気にとられたゼロを気にも留めず、ユフィはゼロから外した仮面を自分の顔に装着する。彼女の美しい顔は仮面に隠れ、分かるのは桃色の髪だけとなる。桃色の髪とアンバランスな仮面姿にゼロは思わず苦笑いを浮かべる。
『ゼロと同じくらいお似合いですよ』
彼女の質問に答えたのはアノンだった。
「ちょ、それどういう――」
「ゼロはこっちね。この話をしたら、小母様がくれたの。戦場で活躍する謎の仮面の美少女! どう? わくわくするでしょ」
どこからツッコめばいいのか分からないままに、ゼロはユフィから自分がつけていた仮面とほぼ同じような仮面を受け取る。中央の線が紫色の白地の仮面。色合いはたまたまなのだろうか。
「仮面つけたら、美少女かなんかわかんねーだろ」
なんだかあれこそ心配したり悩んだりするのが馬鹿馬鹿しくなったゼロがツッコミをいれると、ユフィは「たしかに」と笑って答える。
彼女から受け取った仮面を装着し、仮面越しに彼女と目を合わせる。
「うん、いつも通りだねっ」
『パッと見じゃ違いがわかりませんね~』
見た目はほぼ同じものなのだから、そりゃそうだろうと思いつつ、ゼロが仮面の下で苦笑いを浮かべる。
はたから見れば仮面をつけた少年少女が立ち話をしているという状況は、非常に怪しかった。
だが不思議と彼女が隣に立つだけで、戦場への恐怖が薄れていく。絶対に死ねない、彼女を殺させない。
「じゃ、いこ?」
「お、おう」
差し出された手を取り、手を繋いで前線へ向かう二人。他の騎士たちが見ていたならば何をしているんだと呆れられそうだが、再編成中の援軍たちはまだ移動を始めるのに時間がかかるだろう。付近には二人しかいないのだから、これくらい許してほしいと誰にでもなくゼロは言い訳をする。
『青春ね』
『若いって、いいねぇ』
彼女たちに年齢があるのかどうかは分からないが、所有者たちには聞こえないほどの声を出しつつ、二人のエンダンシーたちは二人だけの空間を作る自分たちの主たちを見守るのだった。
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