第74話 親の前の恥ずかしさ
「うわー、疲れたー……」
王国の面々に案内された宿場町の宿の一室にて、セレマウはぐったりと横になっていた。辺りはすっかり暗くなり、どこかで反乱が起こっているとは思えないほど静かで平和な夜だった。
そこまで上質な宿ではないが、白いシーツは綺麗に洗濯されており、休む分には何の問題も感じない。先ほど浴びたシャワーが水だったことに驚いたが、慣れてしまえば疲れた身体にも心地よかったものだ。
「髪を乾かさないと、風邪をひきますよ?」
「もうそんな元気ないよ~」
長時間法皇モードで過ごした反動か、うつぶせになったままセレマウが動く様子はなく、しょうがなくナナキがタオルで彼女の髪を拭きに行く。魔道具が流通している分、生活は皇国の方が便利なようだ。
「今日は大変でしたね」
優しくセレマウの頭を拭きながらナナキは穏やかな表情を浮かべる。
「今日“も”だよ~」
昨日の法皇法話しかり、そこからの大移動しかり、コライテッド公爵への対応しかり、王国軍との対応しかり、今までのセレマウの人生で最も濃密な二日間だったろう。
ふにゃふにゃになった彼女を、責めることができるものなどいないだろう。
「でもさ、グレイさんの剣、よく見切ったね」
「あぁ、たしかにあの時は心臓が止まるかと思いました」
ユフィの問いにセレマウは「ん~」と小首をかしげる。
「なんか、分かるんだよね~。最初は、あ、この人私を警戒してるな、って分かったから警戒してんだけど、話してたら信用してくれたな、ってわかったんだ~」
結局は感覚、というところなのだろうか。
「悪意とか敵意とか、私なんか分かる時があるんだよね。工業都市のヴェーフェル公爵も私のこと警戒してたのは感じたけど、水の都のフィーラウネ公爵はそんなことなかったから信用できたなぁ」
旅を振り返ると、たしかに両公爵と話すセレマウの対応は違った。潜在的な能力なのだろうか、それとも法皇となってからの経験がそうさせたのか。
「生存本能、かもしれませんね」
ナナキの言葉にユフィはたしかにと納得する。
「王国の人たち、みんな優しくてよかったなぁ~」
「そうですね、特にウォービル殿はもちろん、ミリエラ殿もグレイ殿も私では到底敵いそうにないです」
「え、そんな強いのか~」
ナナキの話にセレマウはうつらうつらしながら驚く。その様子の日常感にユフィは安心感を覚える。
「私、まだ眠くないから少し外を歩いてくるね」
「夜風はまだ冷えますから、お気をつけくださいねっ」
セレマウの髪を拭き続けるナナキに笑顔で手を振り、ユフィは部屋を後にした。
☆
既に夜も遅く、ユフィが宿の外へ出ると建物の明かりはほとんど消え去り、まばらに街灯が灯るのみ。宿場町としては裕福な街ではあるのだが、小さな宿場町の地面は土が固められただけで、小さな凹凸だらけだった。
「うわ、さすがに上着くらい持ってくればよかったな」
日中は春の陽気が感じられるとはいえ、夜はまだ寒い。昨夜も馬車の御者台にいたため外にいたにはいたのだが、ゼロがエンダンシーを毛布代わりにしてくれたおかげで寒さを感じなかったのだが、やはり夜は冷えるようだ。
昨夜のことを思い出し、自然と頬が緩んでしまっているのに、本人は気づいていないだろうが。
だが今更部屋に戻るのも面倒くさくなったため、そのまま寒さに耐えつつ少し歩くと、どこからともなく剣を打ち合う甲高い音が聞こえきた。
音を頼りに近づいていくと、小柄な剣士と大柄な剣士が手合わせをしているのが目に入る。
「ゼロ……?」
両者の練度はかなり高く、速さ、技術ともにユフィの常識を遥かに超えているように見える。両者の剣は残像を闇夜に残し、一瞬の間に何度切り合っているのか彼女には理解することもできなかった。
「ほお! その戦い方どこで身に着けた!?」
「皇国で! でっかい山を越えてきた!」
小柄な剣士、ゼロの振るう剣だけでなく、彼の動きまで残像を残すほどの速さを見せる。表情を追うことはできないが、生き生きとした声だった。
――ちゃんと休んでないのに、元気ね……。
少し離れたところで、ゼロの訓練を見守るユフィ。
神速とも呼ぶべきゼロの攻撃だが、大柄な剣士は自分に届く攻撃のみを見切り捌き切る。捌いた剣同士がぶつかったときに魔力の衝突が発生していることから、エンダンシー同士の衝突と予想し、大柄な剣士はゼロの父ウォービルなのだろうとユフィは判断した。
防がれたとしても右に左に高速ステップを踏みながら攪乱し、息を吐いた瞬間を見極めて仕掛けるゼロだが、その攻撃はすべてウォービルに防がれる。
だが防がれているものの、ユフィの目にはシックスと戦った時よりもゼロの魔力操作が上達しているように見受けられた。あの時は駄々洩れていたゼロの魔力は、密度を増しているように見えた。
――あいつ、あんなに強いんだ……。
戦場で出会った仮面男の動きは、まだ目で追うことができた。シックスと戦っていた時のゼロの動きも見えた。だが、今のゼロの速さをユフィは追うことができない。
幼い頃より受けてきた王国最上位の騎士たちによる英才教育と、生まれ持ったゼロのセンスはシックスとの戦いの経験により昇華され、彼の実力をさらに引き上げたようだ。
近接戦はユフィの専門分野ではないが、それでも明確な差をつけられているようで悔しさが込み上げる。だがそれと同時に、ウォービル相手の手合わせでゼロが怪我をしないかと心配もしてしまう。
もし直撃してしまったら、ただでは済まないのではないかと心配するユフィをよそに、ゼロの攻撃がウォービルを捕らえることはない。
そもそもウォービルからは一切攻撃を仕掛けていないため、ゼロが怪我をするリスクは限りなく低そうなのだが。
その後数分間攻撃を仕掛け続けたゼロは一太刀もウォービルの剣を潜り抜けることはできず、剣撃の衝突による魔力の衝突が消えると、間合いを取って攻撃をやめた。
「あー! くそ!」
美しい顔に全力の悔しさを浮かべるゼロの子供っぽさに、新たな一面が見られた気がして、ユフィは少しだけ嬉しさを感じる。
そんなことを思われているとは欠片も思っていない当の本人は、肩で息をする。彼の右手からは剣が消え、黒い棒状のものへと変わっていた。どうやら魔力の過剰消耗により、アノンの形状を保てなくなってしまったようだ。そのアノンを支えとして立とうとするが、力が入り切らずゼロがよろめく。
「あぶないっ」
頭が判断するよりも先に、体が動いた。
「えっ?」
物陰で見ていたユフィがよろめいたゼロの体を抱きとめたことにより、ゼロは転倒を免れる。
夜の冷たさが、お互いに触れる体温をはっきりと感じさせる。激しい戦闘訓練でゼロの身体は火照っていたようで、温かかった。
「あ、あ、あ……」
咄嗟に飛び出してしまったが、先日まで敵だった自分がなぜゼロを支えるのか、ウォービルに何と説明すればいいか分からずユフィはゼロを抱きとめたまま顔を真っ赤にする。彼の父親に何と思われるか、考えただけで恥ずかしさでいっぱいになる。
「さ、さんきゅ」
自分を支えてくれた存在がユフィであることに気づいたゼロは、ユフィ同様顔を真っ赤にして礼を言う。だが、まだ足に力が入らずゼロはユフィに身体を預けたままだった。
「お?」
二人の様子に何か思うところがあったのか、ウォービルが少しだけ目を見開く。
「こ、こんばんは! こ、こんな夜遅くまで訓練なんて、えらいですね……!」
ゼロを抱きとめたまま、ユフィがウォービルに精一杯の笑顔を見せる。
「訓練はいくらしたとしても限界はないからね。息子を戦場に送るのだ、これが親の務めというものさ」
ウォービルが何を思ったかは分からなかったが、ユフィに向けられた彼の表情は、ゼロが見たことがないほどににこやかだった。
「ありがとな、もう大丈夫だよ」
父親の前で女の子に助けられている状況が許せなかったのか、ユフィに弱いところを見せたくなかったからか、ゼロがユフィの体を離してアノンを杖にして一人で立とうとする。
「いや、まだよろよろじゃない。遠慮しなくていいよ」
しかしまだふらつくゼロの腕を取り、彼が転ばぬように肩を貸す体勢になるユフィ。
「なんだ、えらく仲良しだな」
「むぅ……」
やはりゼロの強がりはウォービルに見られたくなかったからのようだった。王国七騎士団を率いる立場にあるゼロとはいえ、やはりまだ17歳の少年、父親とは微妙な距離感のようである。
だが思いのほか強い力でゼロを離そうとしないユフィに、ゼロは諦めて力を抜いて肩を借りるしかなかった。
――そういや、昨日も肩借りたっけな……。
「まぁなんだ、今後とも仲良くしてやってくれ」
「は、はい!」
嬉しそうに返事をしたユフィを横目に、二人の関係について深入りしないウォービルにほっとするゼロ。
「さっきの戦い方をするなら、今の魔力量なら持って10分というところだな。俺が教えた戦い方と、お前が見つけた戦い方、どちらも頭に入れて戦うんだぞ」
若い二人に気を使ったのか、ウォービルはそう言い残すと背中を向けたまま手を振り、去っていった。ユフィは呆気に取られてしまったが、ゼロは苦笑いを浮かべるばかりだった。
去っていったウォービルの方向を、しばし眺め続ける二人。
彼が見えなくなっても、二人はしばらくその場に立ち尽くす。
「……すごいお父さんだね」
「……ああ。でも、いつか超えてみせるさ」
「私も、負けてらんないなぁ」
「ユフィの、お父さんに?」
「んー、それもだけど、ゼロにも」
「俺にも?」
「うん。男の子って、ちょっと羨ましい」
「なんで?」
ゼロはそこで初めてユフィの横顔を伺う。彼女の顔に少しだけ影が落ちているように見えた。
「軍って、やっぱり男社会じゃない? 王国は皇国よりも男女平等が進んでるから、ミリエラさんみたいに女性の騎士団長もいるけど、皇国軍に女性騎士ってほとんどいないんだ」
「たし、かに……」
言われるまで気づかなかったが、今まで戦場で見たことがある皇国軍はユフィのみ。ナナキも軍属と聞くが、二人以外を見たことがない。
「法皇に対しても、未婚女性って制約があるし……歴史があるからって、いいことばかりじゃないよ」
「ユフィ……」
「レールに乗ったら、私もあと数年で軍から離れさせられて、どこぞの貴族と結婚して、普通の皇国貴族の女性たちのように、自分の子どもに皇国に未来を託して、って人生を送るんだと、諦めてた」
諦めてた、という割に彼女は口元に手を当て小さく笑みを浮かべる。以前なら諦めたままだったろうが、今なら諦めなくてもいい、彼女はそう信じていた。
不思議そうな視線をゼロが向けると、ユフィは肩を貸すために上げていた腕をおろしてゼロの背中に回し、ゼロの正面に移ってからもう片方の腕もゼロの背中に回す。
「でも、これからの未来は、ちょっとだけ普通じゃないって思ってもいいかな?」
そう言いゼロの胸へ額を当てるユフィ。
何も言わず、ゼロもユフィの背中に腕を回す。
触れ合う温もりが、夜風の寒さを忘れさせてくれる。
「ん、約束するよ」
少しだけ彼女を抱きしめる腕に力を込め、ゼロはユフィと約束を交わす。
ゼロに合わせるようにユフィも抱きしめる腕に力を込める。
「死なないでね……?」
「俺は死なないよ。ユフィも死なせない。……俺が、守るから」
心配そうなユフィの声に、力強い言葉で答えるゼロ。
明かりの少ない小さな宿場町の夜空には満点の星空に浮かび、まるでひっそりと抱きしめ合う二人を祝福するように、美しさを称えていた。
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