第73話 迫る危機

「グレイさん!?」


 間に合わない、ゼロがそう思った瞬間。


 敵意も悪意も何も感じさせていなかった穏やかな状態から一転して凶器を見せたグレイの剣は……セレマウの首筋の紙一重で止まっていた。


 あとほんの少しでも剣を押し込めば、セレマウの白い肌に赤い筋が流れるだろう。

 セレマウを守るはずの二人も、ゼロもルーも、グレイの抜刀の速さに反応することもできず、4人は固唾を飲んで驚愕の表情を浮かべるしかできなかった。


「私の覚悟は伝わったか?」


 だが、目を見開き驚いて4人をよそに、セレマウはグレイの行動に対して微動だにせず、表情一つ変えずにグレイの瞳をまっすぐに見つめ返していた。遅れて戦闘態勢に入ったユフィとナナキが「え?」と気の抜けた声を出してしまう。


「……お見事です」


 震えることもない彼女の声や視線を受け、グレイが剣を納めセレマウの前に跪く。


「ご無礼をお許しください。法皇様ならば、陛下とともに正しき道を導いてくださると確信致しました」


 突然のグレイの行動に焦ったゼロたちも、二人のやりとりにほっと胸を撫でおろす。セレマウにはグレイに敵意がないことがわかっていたのだろうか、ユフィとナナキは不思議そうな表情を浮かべていた。


――まただ……。


 彼女は時折ユフィの想像を超える。本当にセレマウなのだろうかと、疑わしい気持ちが沸き上がるときがある。


「私一人ではできなくとも、私には仲間がいる。グレイ殿もこれから頼りにさせてもらうぞ」


 ふっと小さく笑みを浮かべて見せるセレマウは美しかった。その表情は、やはりユフィの知るセレマウだった。

 セレマウの言葉にグレイが頷き、立ち上がる。


「お任せください。……しかしゼロ、ルー。陛下や法皇様を守るのであれば、いついかなる時でも油断するな。これから先、私利私欲のために戦争を望む輩が何を企んでくるかわからんぞ」


 剣を鞘に納めながら、長身のグレイが二人を見下ろしそう告げる。グレイが速すぎるせいだ、などと言い訳できるはずもなく、二人は肩をすくめて小さくため息をつく。


「……肝に銘じます」

「……貴様こそ、自分が何をしたか分かっているな?」


 その場が丸く収まったように見えてきたと思わせて、にっこり笑顔を浮かべた金髪碧眼の少女が密かにグレイの横に立ち彼を見上げていた。


「え?」


 グレイは助けを請うようにウォービルとミリエラへ慌てて視線を送るが、二人は揃って手を合わせ頭を下げていた。その姿はまるで「ごめん」と言うような、そんな姿。


「法皇殿に何かあってみろ。お前の首で足りるかな?」


 いっそのこと怒りの表情を浮かべてくれたほうが、少しは恐怖も和らいだだろう。だが、アーファの表情は先ほどから言葉とは裏腹な笑顔。普段は無表情で冷静なグレイの目が恐怖に引きつる光景を、ゼロは初めて見た気がしていた。



「いやぁ。陛下の勢いにつられて、うっかりお前の伝言を忘れてしまっていた」


 指揮官室では10人が机を囲んでいた。アーファの怒りを鎮めるのに全力を振るったグレイはぐったりした表情でウォービルを睨む。


「す、すまん……」


 グレイの発する無言の圧力に、ウォービルが肩をすくめて謝罪する。グレイは法皇の真意を知りたいとウォービルらに伝え、事前に先ほどの行動をする旨をアーファへ伝えるよう頼んでいたのだった。

 グレイの慌てた様子も、怒った姿も、父が肩をすくめる姿も、17年間の人生で一度も見たことがなかった光景に、ゼロは不思議な気持ちを抱いていた。


「グレイ殿に敵意がないことはわかっていた。女王よ、そう怒られるな」


 馬車内で見せたセレマウの姿と、法皇モードのセレマウの姿の違いに困惑しつつ、アーファはセレマウがそう言うのならと引き下がらなければ、グレイはどうなってしまっていたのだろうか。


「何はともあれ状況は分かった。シュヴァインが向かっているのならば安心だろう。私はこれよりセレマウとともに一度王都へと戻る。その後態勢を整え、東部の反乱鎮圧に合流する」


 先ほどまでグレイに向けていた笑顔から一転、真剣な顔つきで指示を出すアーファへ一同も真剣な顔つきで頷く。


「エドガー殿、皇国軍の援軍はいかほどを頼めそうか?」

「そうですな……全軍、と言いたいところですが今回の我らの動きが皇国貴族たちにいつ伝わるかわかりません故、5000ほどですかね」


 エドガーの言葉を聞き、表情に影を落とすセレマウ。コライテッド公爵が言っていたように、セレマウは王国との和平を一存で決めてしまった。これほどの大決定は通常、皇国の東部、北部、西部を治める御三家と呼ばれるセレマウの血族たちと中央貴族の公爵位による中枢会議で決められる。

 血族とはいえ、東部に法皇を輩出させてしまった北部や西部はセレマウをよくは思っていない。これまで御三家はコライテッド公爵との水面下の戦いを繰り広げていたため、表面上御三家同士は結託する様相を見せていたが、コライテッド公爵が失脚したとなれば、彼らの動きも変わってくるだろう。

 これから先のことを考え、セレマウはもう何度目か分からないため息をつくのだった。


「いや、1兵だろうとありがたい。ウォービル、お前はエドガー殿と共に参れ」

「む、私がですか?」


 てっきり自身は最前線へと赴くとばかり思っていたウォービルが聞き返す。ウォービルでなくとも、王国最強と言われるウォービルを最前線へ送らないという選択に疑問を抱いたようだった。


「そうだ。ウォービルがエドガー殿とともに戦場に現れれば、私が説明する以上に皇国との和平を伝えることができるだろう」

「それは、そうですが――」

「俺が行くから大丈夫だよ」


 歯切れの悪いウォービルに答えたのはゼロだった。割って入るように口をはさんだゼロに視線が集まる。さらに。


「わ、私もゼロとともに行きます!」

「え!?」


 ゼロの言葉に続けてユフィが名乗りを上げる。まったく予想外だった提案にゼロが驚きの声を上げるが、それは周囲の者も同様だったようだ。


「いや、ユフィ殿は――」

「覚悟はあるんだろうな?」


 ユフィの提案をやんわりと断ろうとしたアーファにエドガーが口を挟む。真剣な顔つきで父親の視線を受けたユフィの表情が緊張したように強張るが、ひるむことなくユフィが頷く。


「今回の任務は計画の延長、ってことでいいっすかね?」


 ゼロとユフィを援護するように、ルーがアーファに確認を取る。


「セレマウ様が行かれるのであれば、私も行かぬわけには参りません」


 ルーに呼応するように、ナナキがセレマウへ頷いて見せる。

 二人の言葉を受け、セレマウもアーファへ頷いて見せる。


「ではここは、これからの時代を担う者たちに任せるとしますか」


 彼らの様子を見てウォービルがにやりと笑う。彼の言葉にエドガーもまんざらでもない顔で頷く。


「後ろには我らが控えている。厳しそうなら無理はするなよ」

「決まりだな。グレイ、ミリエラ、お前たちは先に王都に戻り今回の動きを伝えてくれ」

「了解です」

「私は陛下の護衛を――」

「先に戻れと言ったのだが?」

「か、かしこまりました……」


 先ほどアーファから叱責を受けたグレイは一も二もなく頷き、ミリエラはしょんぼりした様子を見せるが、そんなことでアーファの決定が変わることもない。


「出立は明朝。砦より少し進めば国境警備隊のための宿場町がある。今日はそこで休むとしよう」


 皇国との全面戦争を避けられた喜びも束の間、次なる戦いが迫る。

 各自その時に備え、力強く頷いた。

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