第72話 手を取り合うために

 砦の内部は無機質な壁と似たような扉が立ち並ぶばかりで、侵入者を目的地へ到達させない構造となっていた。


――こんなとこ、一人じゃ絶対迷子だよ……。


 真面目な顔つきで連れていかれるままに歩くセレマウは内心でそんなことを思う。

 どうやって覚えているのか不思議だったが、前を歩くウォービルとミリエラは迷うことなく指揮官室へ到達し、扉を開ける。


「陛下! ご無事で何よりです!」


 扉が開くや否や、アーファの姿に気づいた黒の軍服をまとう黒髪の青年がアーファの前に跪く。指揮官室内にいた他の黒い軍服の騎士たち数人も、彼に呼応するように片膝をついて礼を示す。


――本当に、立派に女王やってるんだなぁ……。


 ゼロやルーがアーファに忠誠を誓っているのは昨日から十二分に感じていたが、先ほどからウォービルやミリエラ、そして今この場では防衛砦の指揮官を担っていたグレイという青年たちと、アーファよりも明らかに年上の者たちが皆彼女に対して礼節を尽くす様を見て、セレマウは無意識に自分と比べてしまった。

 それと同時に自分はここまで皇国貴族たちから心から信頼されている自信がないな、と少しだけやさぐれたい気持ちになる。


 コライテッド公爵の傀儡と思われていた事実も知っているし、自分でそれを演じてきたのだから自業自得なのだが、もし自分が彼女のように本気で国を思い、国のために行動してきたならば、今回のような皇国軍が出兵するような事態を防げたかもしれない。

 悔しい、という思いがセレマウの中で広がっていく。


「私が無事でも、国が無事でなければ意味がない。急ぎ東部の反乱についての情報をまとめたい」

「はっ。ただいま地図をお持ちいたします」


 アーファの言葉を受け、グレイが立ち上がり指揮官室内の棚に収納された地図とペンとインクを取り出し、テーブルの上に地図を広げる。アーファはペンとインクを預かると、おもむろに現在地である防衛砦と王都、商業都市を丸で囲み、ウォービルとミリエラ、エドガーらとこれからの動きについて話し始めた。

 王国の内情は王国で、と慮った皇国の3人に加え、適役はウォービルとミリエラだろうと判断したゼロとルーはその話し合いには参加せず、指揮官室の壁にかけられた肖像画を眺めていた。


「この方が、英雄王イシュラハブ?」

「そうです。陛下の祖父にあたる、現リトゥルム王国を大国へと発展させた英雄です」


 肖像画を眺めるユフィはゼロに聞いたはずだったのだが、その質問に答えたのは真面目そうな声だった。

 5人は振り返り、グレイの方へ向き直る。彼の整った顔立ちに愛想などはなく、目元にかかった前髪の印象からも、本能的にセレマウは彼を警戒した。彼が向ける視線は、セレマウが皇国で幾度となく見てきた、自分を人間としてではなく、立場として見てくる者のそれだった。


「申し遅れました、私はシュヴァルツリッターのグレイ・アルウェイ。防衛砦の守護を務めさせていただいております」


 5人の方へ近づいたグレイはそう言うと純白の法衣を着たセレマウへ一礼する。


「団長よりお話は伺っております。停戦は陛下の御心に叶うもの。感謝致します」

「此度の侵攻は家臣を御しきれなかった私の落ち度でもある。停戦を受けれていただき礼を言うのはこちらの方だ」


 先ほどのウォービルとの会話と同じく、グレイに対しても停戦の受け入れについて礼を言うセレマウ。感謝というのは言いすぎることはない、というのがセレマウの持論である。


「私はユフィ・ナターシャです」

「ナナキ・ミュラーと申します」

「ナターシャ? あちらにいらっしゃるエドガー殿のご息女であられますか?」


 セレマウに続いてユフィとナナキもグレイへ自己紹介を行うと、グレイはユフィの名に反応を示した。ゼロとは違い、ユフィの容姿を見ても彼に動じる様子はない。


「ええ。以後、お見知りおきを」


 貴族令嬢然とした優雅な一礼を見せるユフィの姿に見とれるゼロ。その様子に気づいたルーが苦笑いを浮かべる。


「ゼロもルーもご苦労だったな。よくぞ陛下を守り抜いてくれた」

「え、あ、ありがとうございます」


 ユフィに見とれていたゼロは突然自分に声をかけられたことに慌てていたが、ルーはグレイの賛辞を受け丁寧に一礼する。


「グレイさんに褒められるのは、嬉しいっす」


 ゼロが騎士団長であり、グレイは騎士団こそ違うものの副団長という肩書のため、ゼロの方が立場は上ではあるのだが、ブラウリッターから昇格し現在シュヴァルツリッターまで上り詰めたグレイをゼロは尊敬していた。

 シュヴァルツリッターの面々は全員が相当な実力者なのだが、その中でもグレイはウォービルを除きシュヴァルツリッターで上位五指に入るほど強い。何度か稽古をつけてもらった経験からゼロはまだ彼には敵わないことを理解しているからこそ、その彼に褒められたことに素直に笑顔を浮かべるのだった。

 

 無表情のグレイとは対照的に人懐っこい笑顔を浮かべたゼロを見て、今度はユフィの表情がひそかに緩んでいた。それに気づいたナナキがちらっとルーへ視線を送ると、ルーは意味深に頷いて見せる。


「失礼ながら、何故陛下の停戦をお受けくださったのですか?」


 ひとしきりゼロとルーを労ったグレイがセレマウへ向き直り尋ねる。先ほどは礼を言ってはいたが、法皇法話を聞いていたゼロやルーとは違い、グレイにはまだセレマウの人となりを理解することはできていない。

 停戦は願ってもないことだが、先ほどまで侵攻作戦を展開していた相手をすぐに信頼しろというほうが無理難題だろう。

 ミリエラはアーファの言葉を疑わず、ウォービルは常識では計り知れない存在のためそれぞれ停戦を受け入れているようだが、1年ほど前から防衛砦の指揮官に任命され、度重なる皇国軍の侵略を阻止してきたグレイは停戦という言葉の現実感のなさに戸惑っているようだった。


「グレイ殿は、戦いの先に何があると思う?」


 グレイの問いに、セレマウは逆質問で答える。彼女が何と答えるか、4人は視線を送って言葉を待っていたのだが、予想外の返答にグレイが眉をひそめていた。


「人の欲は尽きない。何かを欲すれば、延々と続く欲の連鎖が始まる。どこかへ行きたいだの、あれが食べたいだの、日常の中の欲であれば、それは人の性だと笑うこともできよう。だが誰かを支配したい、もっと権力を高めたいと思い始めれば、それらは誰かの不幸の上にしか成り立つまい。私は法皇、カナン神の代理人として、全ての人々と手を取り合い、全ての人々の平和と幸福を望む。それだけだ」


 答えないグレイの言葉を待たずに淡々と語り出したセレマウだったが、彼女の声には揺るぎない信念があった。彼女の言葉には相手の心に届くような、力強さがあった。

 見るからに弱そうで華奢な黒髪の少女の想いは、耳にした者の胸に突き刺さる。


「……貴族とは、その欲の塊ではありませんか」


 セレマウの語る理想は魅力的だった。グレイとて戦争を望むわけではなく、平和こそ理想だと当然に思っている。だが幼い頃より貴族として育ち、騎士になってからもグレイこそ未来のロートリッター団長だと囃し立て近づいてくる狡猾な貴族たちを数多く見てきた彼にとって、セレマウの言葉は綺麗すぎた。

 理想だけでは、世界は変えられないとグレイは思ってしまっていた。


「戦争をしなければ少なくとも無用な血は流れない。理想のために、言論を以てその欲深き者たちと戦うことこそ、国を統べる者の責務だろう」

「なるほど。強い覚悟の上で、ということですね」


 セレマウの言葉を理解したのか、グレイは大きく頷いてみせる。

 法話の際に彼女の思いを聞いていた4人も、改めて聞く彼女の思いに同調するように頷いていた。

 セレマウの思いを聞き、場の空気が緩んだ瞬間だった。

 室内を走る白刃の軌跡が、ゼロの目に入った。

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