少女は祖国の平和を誓う

第69話 失脚

「エ、エドガー様! ウォービルです! ウォービルが現れました!!」


 エドガーがコライテッド公爵を捕縛し、全軍攻撃停止命令を出したおよそ30分後の午後4時頃。段々と日も沈んでいく中、慌てた様子で伝令兵が本陣に現れそう喚く。


「やはり来ていたか……!」


 焦るでもなく、悔しそうな、だが少しだけ楽しそうな表情でエドガーが反応する。


「アレッド! 本陣を任せる! 奴が暴れれば誰も止められまい。俺が直々に停戦を要請してくる!」

「え、あ、はい!」


 先刻からウォービルの脇に控えていた神兵の一人、アレッドは言うや否や立ち上がって愛馬に向かって走り出したウォービルの後ろ姿へ返事を送る。

 最前線にウォービルが現れたとなれば、確かにあの男を止められるのはエドガーだけだろう。

 力なく地に膝をついたままうなだれているコライテッド公爵へちらっと視線を投げかけ、どうかこのままじっとしてくれと、アレッドは小さくため息をつく。

 小さくなっていく白馬にまたがったエドガーを見送りつつ、アレッドはまたため息をつくのだった。



 エドガーが本陣を離れて1時間後、平原を夕日が眩しく照らす午後5時頃。

 一台の豪華な馬車がバハナ平原の街道を最高速度で進み、皇国軍の本陣へと現れた。


「なんだと……!? シックスが負けたというのか……!?」


 気力を失い、うなだれていたコライテッド公爵が真っ先にその接近に気づき、地べたに座ったまま彼は目を見開いて驚いていた。


 法皇法話が行われた約束の広場を守っていた皇国騎士や皇国魔導団が敗れるならまだしも、あの馬車の到着は大司教の近衛騎士団長であるシックスの敗北も意味する。

 公爵が手駒と思っていた者の中でも最たる実力者であるシックスがよもや負けるとは思っていなかった公爵は、その馬車の到着に2度目の絶望を覚えた。

 御者台に座る赤い髪の少女と黒髪の少年は本陣に馬車を横付けすると、馬車の扉が開き薄紫の法衣に身を包んだ美少女が馬車から降りてくる。


「ユ、ユフィ様!」


 本陣に控えていたエドガーの従者であるアレッドを筆頭に、指揮官であるエドガーの娘の突然の来訪に、神兵たちが片膝をつき敬意を示す。片膝をつく彼らにユフィは微笑を浮かべて応えつつ、馬車側へ振り返り手を差し出す。

 差し出されたユフィの手を取った純白の法衣が姿を見せると、神兵たちの表情に一気に緊張が走った。


「ほ、法皇様!?」

「アレッドか。エドガーはどこにいる?」


 馬車から降りた純白の法衣を着た黒髪の美少女、セレマウは法皇モードの表情を浮かべ見知った顔であるエドガーの従者に視線を向け尋ねる。その溢れる気品に、神兵たちは息を飲む。

 余計な手間を生み出さないように馬車の中で姿を隠すアーファは「まるで別人だな」と法皇モードになったセレマウへ密かに苦笑いを浮かべていた。


「はっ! エドガー様は現在停戦を申し入れるため、最前線へ向かわれました!」

「え、停戦!?」


 停戦させに来たはずなのに、すでにその方向に話が進んでいるとは夢にも思っていなかったユフィが、間の抜けた声を上げてしまう。

 たしかにそう言われてみれば、眼前に広がる部隊が交戦しているような気配がなく、攻撃魔法が飛び交う音も、平原が焼ける匂いもしていないことに気づく。

 拍子抜けと言っては不謹慎だが、あまりにも理想的な状況にセレマウは内心安堵を覚えていた。そしてアレッドの言葉から、おそらく何が起きてそうなったかを推測し、彼女は本陣の様子を探るように視線を動かす。


「……無様だな」


 セレマウの視線が、一人の男性で止まる。後ろ手に縄で縛られた状態のコライテッド公爵を見つけ、哀れみの目を公爵へ向け、セレマウは一言そう告げた。


「ほ、法皇様……!」


 礼を示そうにも自由に体を動かせないコライテッド公爵がもぞもぞと体を動かす様を冷たい目で見つめながら、セレマウがコライテッド公爵の側へ移動する。


「コライテッド卿」

「は、はい!」


 この時、セレマウは果たしてどこを見ていたのだろうか。自分に向けられているはずの視線が、まるで自分を捉えていないように感じたコライテッド公爵は、初めて法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世に恐怖した。

 自分が育てたはずの少女は、いつの間にこんな風格を漂わせるようになったのか。彼女を一人の人間としてではなく、肩書として扱ってきた公爵は、このような状況になってセレマウという少女の存在感に圧倒された。

 自分のしでかしたことの大きさと、彼女から放たれる言葉に、ただただコライテッド公爵は恐怖していた。


「これまでの忠義、大儀であった」


 目線の高さを合わせることもなく、見下したまま放たれたその言葉が、セレマウの感情の全てだった。

 彼がセレマウに法皇として必要な知識や振る舞いを教えてくれたのは事実であるし、彼が政を進めてくれたことに感謝しているのも事実だった。だが、彼は踏み越えてはならないセレマウの逆鱗に触れてしまった。

 平和を求めるセレマウと真逆の方向を求めたコライテッド公爵を、もう信用することはできない。


「その忠義に免じて、一族の安全は保障しよう。貴様の処遇はエドガーに任せる。……さらばだ」


 セレマウに冷たく突き付けられた現実に、コライテッド公爵が深くうなだれる。皇国最上位の権力を持ち、気品に溢れていた公爵の端正な顔立ちはやつれ、もはや見る影もない。


「法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世の名において告げる! 皇国はリトゥルム王国と和平を結ぶ! かの国との争いは終わりだ!」


 コライテッド公爵に背を向け、皇国軍本陣に集う神兵たちへ右腕を突き出しながら、芝居がかった振る舞いで力強く宣言するセレマウ。


「これより我が国は、王国で起きた反乱鎮圧に助力する! 援軍の指揮官にはエドガーを任命する! 各々指示があるまで、待機せよ!」

「「はっ!!」」


 まだ幼く華奢な姿のセレマウが放つ威圧感の前に、神兵たちが深々と頭を垂れ返事をする。法皇の姿を初めて見た者もいたようだが、その姿に感動を覚える者もいるようだった。


 しかし何より、エドガーが既に停戦を決断していたのはこれ以上ない幸いだった。

 本陣に残るアレッドに指示を出した後、セレマウとユフィは再び馬車に乗り、エドガーがいるという最前線へと馬車を進めるのであった。

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