第67話 皇国を支える男

「見えてきましたね……!」


 エドガーの脇に控える神兵の一人が緊張した面持ちでそう漏らす。進軍の途中から既に防衛砦の外壁は視界に入っていたが、眼前に迫れば迫るほど、その巨大さに圧倒されそうになる。

 ここ2年の戦いで皇国軍がここまで外壁に肉薄した記録はなく、8年前の攻略戦以来となる砦の威圧感を前に、歴戦の神兵たちといえども冷や汗が流れ落ちていた。


「あの砦を指揮するのはアルウェイ卿の倅だったか」


 自分を囲む兵士たちが緊張した面持ちを浮かべる中、エドガーは悠々とした態度で部下に確認を取る。その姿が与える安心感は、兵士たちにとって頼もしい限りだった。

 幾度となく戦いを繰り広げてきた両国にとって、お互いの主要な武人のデータはかなり知られている。素性が知られていないのは、王国ではブラウリッター団長のゼロの素顔と、皇国の戦場でマスクをかぶるユフィくらいなものだろう。


「諜報部の報告によると、そのようです」

「ふむ……たしか倅たちは今はシュヴァルツリッターだったかな」


 馬上で顎に手を当てながら思案するエドガーだったが、何かを思いついたようでその表情が少しだけ楽しそうになる。


「我らの動きは察知されているであろうから、もしやするとウォービルが来ているかもしれんな」

「なっ!?」


 楽しそうな表情を浮かべるエドガーに対し、周囲の神兵たちは皆一様にエドガーの言葉に慌てた様子を見せる。

 ウォービル、ウォービル・アリオーシュの名はカナン大陸全土に響き渡る豪傑の名であり、各国が一目を置くリトゥルム王国最強の男である。8年前の砦攻略戦より前から何度か戦場で見え、刃を交えてきたセルナス皇国最強のエドガーであるが、未だに彼との戦いに決着はついていない。

 いつか決着をつけたいと思っている内にウォービルもエドガーもおいそれとと最前線で戦える立場ではなくなってしまったため、もし奴が来ているのならばと思うと、エドガーにとってそれは僥倖であった。


 普段は温厚なエドガーだが、その高い戦闘能力は他の追随を許さない域にある。彼の手ほどきを受けたことがある者たちからすると、彼をして倒せない相手がいるとは全く想像もつかないのだが、ウォービルという男の名を聞けば、その可能性は否定できないという思いも浮かぶというものだった。


「一部でも外壁を破壊できれば砦の中の連中も打って出ざるを得まい。野戦に持ち込めば数で勝る我らの圧倒的優位だ。なんとかその状況を作らねばな」


 彼の言葉は皇国軍の勝利を導くものなのか、ウォービルと戦いたいという思いからくるものなのか判断はつかなかったが、彼を囲む者たちは一様にエドガーが味方でよかったと心から思うばかりであった。



 そして皇国の行軍開始からまもなく5時間ほどが経った午後3時頃、両軍ともに敵を視認することができる距離になったところで、皇国魔導団の大規模魔法が炸裂し、ついに両国の戦いの火蓋が切って落とされた。

 呼応するように砦外壁の上部に隠れていた国境警備隊の弓兵が一斉に皇国軍への射撃を開始する。

 皇国魔導団の生み出す岩塊が外壁に衝突する度に外壁には傷が生まれ、衝撃により国境警備隊が地に落ち皇国軍の刃に命を奪われる。国境警備隊の放つ無数の弓矢は詠唱する皇国魔導団や、国境門を打ち破ろうとする皇国軍を貫きその命を奪う。


 殺人が許される戦場に、多くの血が流れ出すのに大した時間はかからなかった。

 野に咲く草花たちが血に濡れ、踏み荒らされていく。それでも両軍は止まらない。

 王国側が野戦に打って出てくれば、戦場の過酷さはさらに増すことだろう。


 だが数に劣ることを知る王国側は砦内に閉じこもり、外壁上部の高みに弓兵が姿を現すのみ。開戦直後のまだ体力の残った状態で乱戦になれば、どう考えても数が劣る方が負ける。

 どんなに自分に力があると思っていても、一人では戦争には勝てないのだ。ウォービルも、グレイも、ミリエラもそれを重々承知の上で、彼らはじっと機を待っていた。


 一斉攻撃の機を待つは皇国側も同じであり、魔導団が外壁を壊すか、皇国騎士たちが国境門を破壊するかをエドガーは待っていた。

 そうして開戦から30分ほどが経過した後、皇国軍本陣に紫色の法衣を着た男性を乗せた馬車が到着する。


「伝令! コライテッド公爵が到着なさいました!」


 本陣で国境突破後の動きを打ち合わせしていたエドガーたちの下へ伝令兵がやってくるや否や、即座に報告を告げる。 


「む、コライテッド公爵が?」


 一昨日に確認した話では、エドガーはリトゥルム王国内で反乱が発生している好機に乗じて大規模侵攻を開始し、王国を攻め落とし、コライテッド公爵は法皇法話巡礼に同行し、法皇の存在感を高め、来る大陸支配に向けた国家の一体感を強める役割を務める、となっていた。

 だからこそこの場にコライテッド公爵が現れるなど、エドガーは予想すらしていなかったのだ。


「ナターシャ公爵! 緊急事態だ!」


 伝令兵の連絡から数分で、紫色の法衣を着た男性が本陣に顔を見せる。その表情には焦りが見え、首都で何事かが起きたのだと予想させた。


「法皇様のそばにいるはずのコライテッド公爵が、いかがなされた?」


 何かきな臭さを感じつつ、急いでやってきたであろう公爵を労うこともなく着座したままエドガーが問う。

 現在攻撃を行っていない部隊を指揮する10名の神兵たちも怪訝そうな表情を浮かべていた。

 皇国へ厚い忠義を誓い、エドガーを信奉する彼らは法皇たるセレマウを傀儡のように扱うコライテッド公爵に対していい思いは持っていない。セレマウがコライテッド公爵を頼っているように思えているからこそ、エドガーを含め彼らは何も言わないが、法皇のそばにいるべき彼が単身でこの場に現れたことがエドガーたちの不信感を煽っていた。


「クラックス侯爵の弟、アーデン・クラックスが翻意し王国の女王と内通していた。まさかとは思うだろうが、法皇法話にかの国の女王が紛れておったのだ!」

「ほお……」

「クラックス侯爵の密告により広場に現れた女王らを捕らえようとしたのだが、法皇様の偉大なる決意を聞いた女王がまさかの停戦と和平の申し入れをし、法皇様がそれを受け入れたのだ!」

「ふむ……」


 焦るコライテッド公爵と対照的に、エドガーは何一つ顔色を変えずにその報告を受ける。しらじらしくもセレマウを“法皇様”と呼ぶコライテッド公爵に対し、周囲の神兵たちは不快そうな表情を浮かべていた。


「女王は護衛としてアリオーシュ家の倅と魔法使いの小僧を連れておった。あの魔法使いはなかなかの手練れそうであったし、何か魔法の影響を受けたのかもしれん」


 あの場でセレマウが洗脳魔法を受けていないことなど、コライテッド公爵自身百も承知だったが、現場を見ていないならば謀れるとの思惑があったのかもしれない。


 だが、彼の言葉にエドガーは声を上げて笑う。


「な、なにがおかしい!?」


 エドガーの行動が理解できず、コライテッド公爵が憤る。


「法皇様を掌の上で転がしておられたつもりだったのだろうが、貴殿こそ逆に利用されていたのではないか?」

「な、なんだと!?」

「法皇様のそばにいたのは、シックスとユフィだぞ? ナターシャ家の者があの場にいながら、法皇様に魔法を食らわせるなどできるとお思いか?」

「っ!!」


 セルナス皇国で最大級の魔力を誇るナターシャ家の一族が二人、さらには史上最高峰の魔力とも囁かれるユフィがその場にいたということの意味を問うエドガーの表情は、先ほどまでの落ち着いたものから一転し、あらゆる者を黙らせる迫力に満ちていた。


「俺の子らを舐めるなよ?」


 武と文、別な面から皇国を支えてきた両者だったが、その貫禄の違いは大きかった。目先の権力を手に入れることに執心してきたコライテッド公爵と、皇国の未来を見据えていたエドガー。

 エドガーの睨みに、コライテッド公爵はその場で腰を抜かす。


「もし法皇様が王国との和平を望むのならば、それが皇国の意思であろう。それを止める権限がどうしてお前にあるというのだ?」


 蛇ににらまれた蛙のように、コライテッド公爵は悔しそうな表情を浮かべたまま固まった。セレマウが即位してからの3年間、事実上の権力者としてふるまってきたコライテッド公爵であったが、自分が選択を間違えたことを悟る。


「法皇様が大陸を統べるためというから今回の作戦に同意したが、そもそも貴様、なぜ王国で反乱が起きるとわかっていたのだ?」


 今回の侵攻作戦の準備を進めたのはコライテッド公爵であり、法皇法話に合わせるなどエドガー自身腑に落ちない点もありながら、セレマウの意思だと聞かされていたからこそ指揮官を引き受けたエドガーだったが、彼がかねてより疑問に抱いていたことをぶつけられたコライテッド公爵の表情は強張った。

 沈黙は時に言葉よりも多くを物語る。


「……もしや、背後に誰かいるというのか?」


 コライテッド公爵は野心に溢れ、法皇の名を利用するという不敬を働いたが、無能ではない。情報に聡く、勝てる算段のある戦いしか踏み込まないだろうというのが彼へのエドガーの評価だった。

 今回の大規模侵攻の計画を伝えられたのは約一か月前。その彼が大規模侵攻を決行したのだから理由があるとは思っていたのだが、王国の反乱を事前に知っていたのであれば筋が通る。公爵がわかっていたかどうかは判断しかねていたが、かまをかけた結果どうやら図星のようだった。


――背後にいるのは、誰だ……?


 張り詰めた両公爵の様子に、本陣に詰める神兵たちの表情が曇る。


「和平や停戦など、長く戦ってきた我らが実現できるなど思うか!?」


 エドガーの問いには答えず、コライテッド公爵が声を大にして叫びだす。だが額に冷や汗を浮かべ、必死な形相の彼が何かを隠そうとしているのはエドガーの目には明白だった。


「こんな好機またとないのだぞ!? 敵だった者と手を取り合うなど絵空事だ! 平和には力が必要であるとわからぬ貴様ではあるまい!?」


 生まれた頃より強さを求められ、先祖代々セルナス皇国の武を支えてきたナターシャ家の家長であるエドガーも彼の言い分は理解できた。確かにリトゥルム王国の内乱は王国を攻めるまたとない機会であるし、敵対関係であるならばまたとない好機だろう。

 だが、ナターシャ家はカナン教の敬虔な信徒であり、神の代理人である法皇へ絶対の忠誠を誓う一族だ。先祖代々より法皇の名の下に剣を取り、皇国に仇なす者たちを討ってきた一族だ。法皇の決定こそ至上命題であり、法皇が和平を望むならその実現を果たすのがナターシャ家の務めだと心得ている。

 コライテッド公爵派に属する権力や財産への野心が強い一部の皇国貴族たちが、怠惰で政に関心を見せないセレマウを法皇としての適性がないと思っていることはエドガーも知っている。コライテッド公爵の傀儡として彼の意のままにセレマウが内政や外交を決定してきたのも事実だ。

 セレマウが従うのみだったからこそ、エドガーも思うところはありながらもそれに従ってきた。


 だが、エドガーはセレマウこそ法皇として申し分ない力を持っていると確信していた。娘のユフィから聞いている話もあるし、エドガー自身が彼女と話す中で、セレマウが歴代法皇の中で誰よりも優しい心を持っていることを知っていた。

 法皇88世が逝去した3年前、急遽法皇として据えられた東部生まれの少女は、初めは泣いてばかりだったが、弱音を吐いたとしても、その責務から決して逃げ出さなかった。

 怠惰で面倒くさがりな面を表面上見せていても、コライテッド公爵の教える法皇としての帝王学を真剣に学ぶ姿をエドガーは見続けていたのだ。


 彼女には法皇としての力があると、エドガーは確信していた。

 だからこそ。


「法皇様の望む道こそ、我らが進む道である! それに逆らう貴様こそ奸臣だ! この者を捕らえよ! 全軍に撤退命令を出せ!!」


 立ち上がったエドガーがそばに控える神兵へ命を下す。エドガーを信奉する彼らは迷わずコライテッド公爵を捕縛し、前線へと伝令兵が駆け出し始める。


「こ、こんなことをして済むと思うのか!? 中枢会議も経ずに、こんな決定をして済むと思うのか!? 北部と西部が黙っておらぬぞ!?」


 戦場に出ることがない文官であるコライテッド公爵に彼を捕らえる神兵に抵抗することもできず、後ろ手に縄を結ばれる屈辱を味わいながらも、彼はエドガーを責め続ける。


「そんなもの、後でどうとでもできる」


 コライテッド公爵を見下しながら、エドガーは彼の背後にいたであろう者について思案を巡らせるのだった。

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