騎士たちは己の武を示す

第64話 一瞬の日常感

「ん……もう明るいな」


 目を覚ましたセレマウは馬車の窓から差し込む光に気付いた。作戦会議を終えて、明日のためにとアーファと共にベッドで横になったのだが、思ったよりもしっかり眠ってしまったらしい。

 寝起きの目をこすりながら上半身を起こし隣を見ると、可愛らしい寝顔の金髪の美少女。昨日の激動の出来事に疲れ切ったのだろう、アーファの寝顔に微笑みを浮かべつつ、セレマウはアーファを起こさないようにそっと身を起こし伸びをする。


 手櫛で自身の美しい黒髪をとかしてから純白の法衣のしわを伸ばしつつ、ソファー側の方へ移動すると、対面するソファーのそれぞれでナナキとルーが眠っていた。


「あ、御者代わったんだ……」


 眠る二人を起こさないように慎重に移動しつつ、窓からそっと外を眺めるとまだ夜が明けたばかりのようで、太陽の反対側には沈みゆく月がまだ出ているようだった。

 窓から見える景色は草原ばかりで、今どのあたりにいるのかセレマウには分からなかったが、この前までの旅よりもだいぶ速い速度で移動してきたのだから、防衛都市までだいぶ近づいたのではないかと思われた。

 御者台側のソファーで寝ているナナキを起こさないようにそっとソファーの裏に回り、今度は御者台に面した窓から手綱をとってくれているであろうユフィとゼロの方を覗いてみる。


「おお!?」


 窓越しに見えた光景に思わず声を出してしまったセレマウ。はっとして誰も起こしてしまっていないか振り返るが、セーフなようでほっと胸を撫で下ろす。だが窓から見えた光景をもう一度確認したセレマウの表情は法皇の威厳など一切感じさせない程、にやついていた。


――この夜の間にいったい何があったんだろう……?


 御者台に座るゼロの膝を枕にするように、ユフィは眠っていた。二人を覆うように不思議な黒い布のようなものがかけられており、それが寒さをしのいでいるのかセレマウの方に向けられたユフィの寝顔は穏やかだった。

 後で何があったか聞かなきゃな、と思ったところでセレマウはあることに気付く。


「あれ……もしやゼロさんだけ、寝てない?」


 手綱を握ったゼロが時折手を動かし馬車を操る。もちろん彼が眠ってしまっていたら大惨事なのだが、少なくともセレマウが眠るまでの間にゼロが眠っていたところは見ていない。

 万が一があった場合、一番戦力として頼りになるゼロを休ませなくてよいのだろうかとセレマウは頭を悩ます。だがセレマウには手綱を取ることなどできるわけもなく、ユフィにゼロと代わってもらうにも、あの幸せそうなユフィを起こすのも友人として気が引けた。


 だが昨日相当なダメージを負ったナナキとルーも、休ませたほうがいいのではと思う。


「……困ったな」


 ソファーの間に置かれたテーブルに両手をつき、セレマウは眉間に皺を寄せてどうするかを考える。


「優先順位……優先順位……」


 目を閉じ、最優先にすべきことを考えた末。


「ごめん、ユフィ」


 セレマウは意を決し、御者台側につけられた窓を開け、ユフィを起こすことを決意する。

 友人の幸せの邪魔をするのは申し訳ないが、セレマウたち一向にとってゼロは切り札的な戦力である上に、アーファの家臣なのだ。立場上自分の家臣にあたるユフィのせいでゼロが休めなかったとすれば、アーファに申し訳が立たない。


「おはようございます」


 窓を開けてゼロへ声をかけてから、素の状態で声をかけてしまったことに気付き、しまったと思うが、既に時すでに遅し。


――ええい、ままよ。


 割り切って素の自分のままゼロの返事を待つ。そういえば年の近い男性と話すのは久々だなと思っていると、少しだけ馬車の速度が緩められた後、ゼロが肩を回してセレマウの方へ顔を向けた。


――やっぱ、この人カッコいいなぁ。


 ユフィの想い人でなければ、自分もお近づきになりたいと思うほどの甘いマスクを向けられ、少しだけドギマギするセレマウ。


「おはようございます。なんか、こんな態勢で申し訳ありません」


 昨日の戦闘や会議の時は頼りになる雲の上の存在のように見えていたが、ぺこぺこと頭を下げながら挨拶をしてくるゼロの日常を垣間見て、セレマウは思わず笑ってしまった。


「な、なにかありましたか?」


 緊張した面持ちでゼロが笑ってしまったセレマウへ問いかける。


「あ、いや、なんでもないんです、ごめんなさい」


 二人で話すのは初めてなのにいきなり笑ってしまうとは失態だったなと思いつつ、セレマウをぺこっと頭を下げる。


「それに、ユフィが迷惑かけてごめんなさいね」


 ちらっと眠ったままのユフィへ視線を向けてから、再びゼロへ謝罪する。


「あ、いや、これはなんというか……大丈夫ですよっ」


 歯切れの悪いゼロへセレマウは小首をかしげる。そのまるで法皇の威厳など皆無の、可愛らしい年相応な振る舞いに今度は思わずゼロが笑ってしまった。


「それより法皇様も、なんというか、昨日はやはり無理されていたんですか?」

「ふぇ?」


 あ、そういえば素のままだったと改めて思いだし、セレマウの顔が赤くなっていく。他国の者に見せていいはずの姿ではないのだが、ここからどう挽回するかセレマウは必死に脳をフル回転させる。


「その、芸術都市や皇国首都で3人でいらっしゃった時は、今のように普通の女の子って感じでしたので」

「あ、あー……」


 まさか自分も見られていたなど露ほども思っていなかったセレマウは乾いた笑いで誤魔化そうとする。無礼にも普通の女の子と言われたものの、セレマウにとっては悪い気はしない言葉だった。歯に衣着せぬ物言いは、セレマウが好むところなのだ。


「うちの陛下も、法皇様のようにもっと肩の力を抜いてもらえればいいのですが」


 そう言ってゼロが苦笑いを浮かべる。

 その言葉にセレマウはアーファのことを思い浮かべる。昨日初めてお互いを認識し、話し、友となった――と思っている――のだが、確かに彼女は自分よりもずっと一国の長としての威厳を備えていた。


「アーファって、いまいくつなんですか?」

「陛下は今年14歳になられましたよ」

「え、年下!?」


 思わず大きな声を出してしまうセレマウ。たしかに見た目は幼いが、その落着きからまさか自分より年下ではないだろうと思っていたのだが、アーファが自分より1歳年下だという事実に衝撃を隠せない。


「ん……ごめん、寝ちゃった……」


 そしてセレマウの声でユフィが目を覚ます。寝ぼけたままゼロへ謝罪したつもりのユフィだったが、半分ほど開けた目がセレマウの視線と合わさり、ユフィの目が一気に開かれた。


「え、あ、セレマウ!? 違うの! これは違うの!」


 何が違うのだろうかという周囲の疑問すら薙ぎ払うように一気に覚醒したユフィが身を起こそうとする。


「って、あれ、起きれない!?」

「あ、ごめん」


 ゼロが謝ると、テンパったユフィの身体を外気から守っていた黒い布のようなものが一瞬で消え去った。


「え、すごい、今の何ですか!?」


 頭が混乱しているユフィを無視しつつ、セレマウは黒い布のようなものが消えたことに驚きゼロへ聞き返す。ゼロがすっと右腕を上げる。そこには黒いブレスレットがつけられていた。


『ご挨拶が遅れましたが、私はアノンと申します。ゼロのエンダンシーです』

『すごいんですよセレマウ様。アノンは万能型のエンダンシーなので、自在な形になれるのです』


 姿はないが、2つの新たな声がどこからともなく3人の耳へ届けられる。


「ほうほう! アノンさんっていうんだ! ボクはセレマウ、よろしくねっ。あ、ユンティもおはよっ」


 セレマウもエンダンシーには慣れているのか、姿なき声にも慌てる様子はない。むしろ当たり前のようにその事実を受け入れており、ゼロはセレマウへの評価を上方修正する。


『ユフィが寒がってたので、アノンが毛布変わりになってくれてたんですよ』

『私はゼロから離れられないので、ゼロともども包む形になってしまいましたが』


 二人のエンダンシーの説明を受け、先ほどまでの不思議な光景に合点がいったセレマウだったが、ユフィは恥ずかしそうに顔を赤くしていた。


「ユフィを守ってくれてありがとうございますっ」


 姿形も見えない相手にも関わらずセレマウは満面の笑みを浮かべてアノンへお礼を言う。その素直さを間近で感じたゼロは、アーファも見習ってほしいなと密かに思っていた。


「いや~、でも朝からいいもの見れた感じだよ~」


 再びユフィへ視線を移したセレマウは完全にいたずらっ子の目つきをしていた。恥ずかしさに耳まで赤くしたユフィは何も言い返せず、上半身だけを起こした態勢のまま固まっている。


「でも、うん、起きたばっかのところでごめんなんだけどさ」


 ひとしきりにやにやした顔でユフィをいじった後、セレマウは落ち着いた声でユフィへ話しかける。


「ゼロさんにも休んでほしいから、御者代わってもらえる?」

「あ、うん! そうね!」


 セレマウの提案に大きく頷いてユフィがゼロの手から手綱を取ろうとする。


「いや、俺は平気ですよ」

「いやいや、ゼロは寝てないんだから、ちょっとでも休んだほうがいいよっ」

「大丈夫だって」


 手綱を取り合うやり取りを無言で見ていたセレマウにはどう見てもいちゃいちゃするカップルにしか見えなかったのだが、あえてそれは口にしないことにした。

 どうなるかなー、と様子を眺めていたセレマウだったのだが。


「なんだ、昨日の今日でやたらと仲良くなってるではないか」


 寝起きの不機嫌な声が新たに会話に加わってきた。


「あ、アーファおはよ~」


 気づかぬうちに真横に立っていたアーファに気付き、セレマウが普段通りの挨拶をする。またしても言ってから昨日は終始法皇モードで彼女と話していたことを思い出すも、もう後の祭りだ。


「おはようセレマウ……一晩経ったらだいぶフランクになったな」


 寝起きの目つきなのか、怪訝に思ったのか、半目のままアーファはセレマウへ向き合う。元々寝起きのいいほうではないアーファだが、その姿はセレマウとは対照的だった。


「それよりゼロ。なんとなく話は聞こえていたが、休んでいないなら休め」


 寝起きに入ってきた大量の情報を処理しきれぬまま、アーファが御者台で手綱を取り合うゼロへ命令を下す。


――おお、これが女王の威圧感……!


 自分より年下と聞いたばかりのアーファが睨み付けただけで、休もうとしなかったゼロが一瞬にして大人しくユフィへ手綱を渡すのを見てセレマウは感動にも似た感情を抱く。

 アーファが女王に即位したのは2年前で、自分が法皇となったのは3年前だが、元々女王になる未来が約束されていたアーファと急遽法皇に据えられた自分とではこうまで違うかと痛感する。


「おい、何をユフィ殿に手綱を渡している?」

「え?」


 ユフィがゼロの膝を枕に眠っていたことを知らないアーファは、ユフィも眠っていないと思ったのだろう。金髪碧眼の愛らしい14歳の少女とは思えぬ迫力でゼロに圧をかけた。その迫力にセレマウとユフィすら背筋を伸ばしてしまう。


「ルー、起きろ」


 全員がアーファの雰囲気に飲まれたまま、彼女がソファーに眠るルーの肩を揺さぶるのを止めることはできなかった。


「ん……へ、陛下!? おはようございます!」


 寝起きの視界に飛び込んだアーファの顔を見て、ルーは即座に身体を起こす。その騒がしさにナナキも目を覚ましたようだ。


「寝起きで悪いがゼロを休ませたい。手綱を頼む」

「りょ、了解です!」


 寝起きがいいなぁ、とセレマウが眺めている間に馬車は段々とスピードを緩め、停車するのだった。

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