第62話 強くなりたい

「おつかれさん」


 馬車内に戻ったルーは対面のソファーに腰掛けたナナキへ水筒から水を注いだカップを手渡す。ソファーを挟んで御者台と反対側の簡易ベッドでは仲良くアーファとセレマウが眠っており、起こさないようにと声は小さめだ。


「ん、ありがと」


 ルーからカップを受け取ったナナキに笑顔があるわけではないが、どこかほっとしたような、穏やかな表情を彼女は浮かべていた。

 何だかんだ、始まりの広場からそれぞれの主君を退避させ、シックスに為す術なく破れ、御者台に共に座り、終日行動を共にした二人はお互いに対する警戒心を薄れさせていた。


「こうして寝てると、ほんと普通の女の子だなぁ」


 ソファー越しに眠る二人をのぞき見たルーが感慨深げにそう呟く。

 二人にとっても人生で一番激動の日だったことに違いないだろう。正直、オーベンの裏切りによって正体がバレた時、ルーは死を覚悟していた。アーファもそうだったに違いない。あの場でセレマウが手を取り合うと言ってくれなければ、多勢に無勢だ。今頃どうなっていたか想像するだけでぞっとする。

 そういえばゼロの拳を食らって気絶したオーベンが、広場に戻ってきた時いなくなっていたことを思い出したルーだったが、後ろで結んだ髪をほどくナナキの姿に目を奪われ些末な疑問は一瞬で消え去った。美しい赤い髪を下ろしただけで印象が大きく変わり、その姿に思わずルーはドキッとしてしまう。


「私たちはよい主君に恵まれたな」


 そんなルーの内心など露ほども知らず、ナナキがほっとした表情でそう呟く。

 馬車内では今後の方針についての話し合いが行われていたわけだが、日中ずっと手綱を握っていた二人はその話には参加できていない。その代わりお互いの自己紹介や仲間の話に花を咲かせていたのだ。

 なんとなく相手の人となりを知った気になり、二人の距離は近づいていた。

 特に、お互い自由な主君と破天荒な仲間に苦労しているという点で共感し合った際は自然と笑ってしまったものだった。


「そうだねぇ」


 ナナキの言葉に落ち着きを取り戻したルーがしみじみと同意する。苦労はしているが、苦ではない。ルーがアーファとゼロを好きなように、彼女もセレマウとユフィが好きなのだろう。一緒にいると楽しいという感情は、人間関係において最も重要なものだとつくづく思い知らされる。


「主君もだし、仲間にもだな」


 正直、半日ほど前にゼロがシックスを倒した時は衝撃を受けた。自分にとって手も足も出なかった相手を、ギリギリの戦いだったとはいえ、ゼロは倒したのだ。喜びもあったが、これほどまでに自分とゼロの実力の違いを痛感したのは初めてであり、情けない気持ちと、もっと強くなりたいと願う気持ちの板挟みになる。

 ユフィにしても、あれだけの皇国兵を相手にいとも容易く一蹴してみせたという話を聞き、同じ魔法使いとして格の違いを痛感する。


「ああ。……私も、もっと強くなりたいな……」


 ソファーに体育座りしたナナキは膝に額をつけて小さく声を漏らす。アーファやセレマウは、ルーとナナキにゼロやユフィほどの強さを求めてはいないだろう。人には向き不向きがある。

 ルーもナナキもそれぞれの国では上位層に入る実力を持っているため、戦闘に向いていないわけではないが、ゼロとユフィがあまりにも規格外なのだ。それに加えて彼らは世にも珍しいエンダンシー使いだ。追いつこうとしても追いつけないほどの差が、彼らにはあるのだ。

 軍人として、強さは正義だ。己の信念を貫くには絶対的に強さが必要だ。何かを守るためには、強くなくては守りきれない。

 それぞれの主君のために、二人は静かに強くなるのだと決意を胸に刻む。


「そういえばさ」


 しばしの沈黙が流れたが、疲れているのになかなか眠くならないルーが沈黙を破った。ナナキも同様だったようで、ルーの言葉に顔を上げて反応を示す。


「ユフィさんは皇国に恋人はいるのか?」

「む、なんだ? ユフィ様に惚れたか?」


 重い空気を変えるようなルーの質問にナナキはにやっとした表情を浮かべる。ユフィの美しさは誰が見ても圧倒的だ。惚れたとしても不思議はない。


「ちげーよっ」


 寝ている二人を起こさないように気を付けてはいるようだが、否定する言葉のボリュームが少し大きくなってしまい、ナナキが慌てたように口元に指を立てて「しーっ」と合図を送る。

 その動作にルーがそっと背後で眠る二人の少女を覗き見るが、幸い眠りから覚めてはいないようで、ルーはほっと胸を撫で下ろす。


「ナターシャ家の令嬢なんて、俺からしたら雲の上の存在だよ。確かにすげー綺麗だとは思うけど、恐れ多くて正直話すのすら緊張するわ」


 ルーの言葉は分からないでもなかった。ナナキとてユフィがセレマウの友人ではなかったら、一生関わることはなかっただろう。皇国内でも法皇に次ぐ地位を持つナターシャ公爵家と、ナナキのミュラー子爵家では身分の差が大きすぎるのだ。


「その気持ちは分からないでもないな。だがじゃあ、なんでそんなことを聞く?」


 訝し気な視線を送るナナキ。


「んー、プライバシーに関わる話だけど、たぶんゼロはユフィさんのこと好きだと思うんだよな」

「なんだと……?」


 ルーの言葉に目を細めるナナキ。ルーとてゼロから直接聞いているわけではないが、ゼロがユフィと初めて交戦したあの日から、マスク女の話はちょくちょく聞かされていたのは事実だ。


「芸術都市からかなぁ。なんかあいつ変だったんだよな」


 ゼロは必死に平静を装うとしていたとは思うのだが、子どもの頃からの付き合いのルーの目は誤魔化せない。首都についた際「一目惚れ」だの「青春」だのとおちょくってみたが、振り返れば、ゼロが変になるタイミングは常にユフィがそばにいる状況だったのは間違いない。


「アリオーシュ殿が、か……」


 顎に手を当ててしばし考え込むナナキ。その表情から質問の答えを察することはできず、ルーは彼女の言葉を待つ。


「ここだけの話だが、ユフィ様も初陣で出会った仮面男の話をしょっちゅうされていたぞ」

「え、マジ?」

「ああ。2回目以降の出陣は全て仮面男と戦いたいからだったと聞いている。なんというか……嬉々としてその話をされていたからな」


 仮面の少年とマスクの少女は戦場で出会った。お互いを好敵手と認め戦い合ってきたのに、その裏でお互いを敵ながら好意的に考えていた事実を知り、二人は苦笑いしかできなかった。


「ユフィ様に好意を寄せる皇国貴族は多いが、お相手にされているのは見たことがない。……ちゃんと顔を合わせ、お互いがお互いを認識したのはつい先ほどだというのに、あの二人はずっと思い合っていたということか」


 二人が出会ったユフィの初陣は約1年前。顔も知らぬ相手だったというのに惹かれあっていたとは、ルーとナナキの感覚では理解できるものではない。


「割と、運命的な二人なのかな……」


 揃って御者台側の窓から、二人の背中に視線を送る二人。馬車の進む音に御者台での会話は聞こえないが、恋心というものをいまいち理解していない二人でも、ゼロとユフィの会話を想像するだけでなんだかむず痒い気持ちが湧き上がる。

 いつか自分にもそんな人が現れるだろうかと思いながら、二人はうとうとと眠りについていくのだった。

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