第61話 緊張の時
すっかり日も落ち、月明かりのみが辺りを照らすような闇夜の中、豪華な見た目の馬車は変わらず街道を走っていた。
先頭の馬たちに取り付けた発光魔道具が進行方向を照らしているが、馬車の左右の様子を伺うことはできない。警戒心を高めながら街道を進むが、昼過ぎから馬たちの休憩時間を除きずっと馬車を操縦してきたルーとナナキの顔色にも疲労の色が浮かんでいるようだ。
広い馬車内では疲れてしまったのか、向かい合うソファーの奥に置かれた簡易ベッドでアーファとセレマウが並んで横になっていた。誰がどう見てもの美少女二人が並んで眠る姿は、時と場合が違えば思わず微笑んでしまいたくなるような光景だった。
「決戦前にふらふらになってもらっちゃ困るからな、代わるぞ」
「ナナキも、私が代わるからちょっと休みな?」
携行食として積んでいたパンを御者台に面した窓を開けて差し出しつつ、ゼロとユフィが御者台の二人に声をかける。
「おー、さんきゅ」
「そんな、ユフィ様にこのような役目をさせるわけには参りませんっ」
ルーは馬車の速度を緩めてゼロからパンを受け取るも、ナナキは疲れた顔をはっとさせて首を振った。
「頑張ってくれるのは嬉しいけど、いざって時に動けなかったら意味ないでしょ?」
ナナキがちらっとルーに視線を送るも、彼は既に交代する気のようだった。
「二人の言うとおりだろ。おとなしくここは代わろうぜ?」
馬車内でゼロたちが作戦会議をしている間、御者台に座っていた二人も長く会話を重ねたのだろう。どことなく親しさを感じさせつつ、諭すような口調のルーの言葉にナナキが渋々従い馬車を止める。
「疲れたら、言ってくださいねっ」
「ん、ありがと。ナナキもちゃんと休んでね」
ルーとナナキが馬車内のソファーに腰を掛けたのを確認し、ゼロとユフィも御者台に並んで座る。夜通し進まねばならぬため、御者を交代したほうがいいと提案したのはゼロだったが、ユフィもその案には賛成だった。
明日は何が起こるかは分からない。何事もなく停戦してもらえればいいが、もし武力が必要な事態になってしまったら、ルーとナナキは貴重な戦力だ。
ゼロが馬たちを操り、再び馬車が動き出す。御者を務めたことがないユフィはゼロの動作をまじまじと眺めていた。
闇夜の中、街道を進む馬車の音だけが響き渡る。
沈黙が続けば続くほど、何か話した方がいいような気がユフィに襲い掛かってくる。だが、いざゼロと二人で並んで座るとなると、先ほどまで全く感じなくなっていた気恥ずかしさが突然顔を出し始め、ユフィは何を言えばいいか分からなくなっていた。
「おま……ユフィも休んでてもいいんだぞ?」
右隣に座るユフィが手持無沙汰に視線をいったりきたりさせたりしていることに気遣ったゼロが沈黙を破る。「お前」と呼びそうになったが、名前で呼んでほしいと言われたことを思い出して言い直すも、返事はすぐに返ってこなかった。
当のユフィはといえば、不意に名前を呼ばれたことに照れてしまい頬を赤くさせて俯くように下を向いてしまっているのだが。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫よ!」
ユフィの様子を心配したゼロがちらっと顔を向けた時、彼の左耳に付けられたピアスがユフィの目に入った。強がって答えたものの、そのピアスに意識が奪われユフィはそれ以上の言葉を発せなくなる。
「昼にあれだけ大魔法連発したんだから、流石に疲れてるんじゃないか?」
沈黙を疲労と勘違いしたゼロの言葉に、ユフィは思わず笑ってしまった。
「心配してくれてありがと。でもあのくらいで疲れたりしないわよ」
セルナス皇国でユフィに対して魔力消費を心配する者などいない。彼女を上回る魔力の持ち主など、誰もいなかったのだから。
だがそんな事情を知らずにゼロが心配してくれたことが嬉しくて、ユフィはにこっと笑顔をゼロに向ける。
「そ、そうか」
ユフィの笑顔から思わずゼロが視線を外す。いつもの彼であったのならば、その笑顔にスマイルを返すところだが、ユフィ相手ではそうもいかないようだ。
「ねぇ」
逆に自然な笑顔を出せたことで変な緊張がほぐれたユフィが、進行方向へと視線を向けるゼロへ声をかける。
「ん?」
「右耳用のピアスつけてる子って、どんな子?」
「は?」
今なら聞けると思い切って尋ねたユフィだったが、予想だにしていなかった質問を受け、ゼロは間の抜けた声を出してしまう。
「だって左にしかピアスつけてないじゃん」
「あー」
ユフィの言葉で自分がピアスを付けていたことを思い出すゼロ。どうやら恋人がいると思われてしまったようだが、たしかに勘違いされても仕方ない状況を作ったのはゼロの落ち度であった。
ゼロのピアスは確かにペアのピアスだが、セルナス皇国に入ってすぐの防衛都市を訪れていた時に露天商から押し売られただけのものであり、もう片方は誰の耳にもつけられることなくゼロが持ったままだった。
ゼロとしてはせっかく開けたピアス穴をふさぐのももったいないと思い今日までつけていただけなのだが。
「え、まさか何人もいるの!?」
「そんなことあるかっ」
天然なのかボケなのか驚いた表情でそう言ってきたユフィにゼロがツッコミをいれる。そして一度溜め息をついたところでゼロはユフィの方へ顔を向け。
「いないよ」
「は?」
「いないんだって」
思わず聞き返してしまったユフィだったが、ゼロにとってはそれ以上でも以下でもない答えのため、ゼロは同じ言葉を繰り返す。
「ふ、ふーん……」
納得いかないがどこか嬉しそうな、何とも言えない表情を浮かべるユフィ。
「右のやろっか?」
「え、それどういう……」
内ポケットから右耳用のピアスの入った箱を取り出し、冗談のように何気ない感じで尋ねたゼロだったが、ゼロの想像とは正反対に彼女の反応は悪かった。ユフィは一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐさま口をつぐみ言葉を留め、俯いてしまう。
「いらない」
しばしの間を置いて伝えられた言葉は、どこか怒りと悲しさを帯びた口調に変わっていた。流石のゼロも彼女の様子が変わったことに気付いたが、しばしその横顔を見つめた後「そうか」と一言返し、ピアスを内ポケットに戻すと、それ以上は何も言わずに視線を前方に戻す。
沈黙の中、闇夜に向かって街道を進む馬車の手綱を取りながら、ゼロは浮かれ気分になっていた自分を反省した。戦場で出会い、好敵手として特別な感情を抱いていたものの、自分とユフィは仕える主君も違えば身分も大きく異なる。
王国と皇国の戦いを止めるために進んでいるが、もし戦いが止まらなかったらゼロは王国のために皇国と戦うことになるだろう。それに加え皇国軍を率いる指揮官は彼女の父親なのだ。彼女の兄との戦いではうまくいったが、彼女の父親はゼロの父親と同じく、それぞれの国家で最強を誇る存在だ。戦うことになったとすれば、どちらかが死ぬ可能性は高い。
だからこそ、今この場で不必要に彼女に近づきすぎるのは楽観的すぎると、ゼロは自分を戒めた。
確かに彼女は美しく、その笑顔は自分が出会った女性の中で断トツに魅力的だ。始まりの広場での共闘では自分がしてほしいと思うことを察して行動してくれた信頼感もある。阿吽の呼吸が取れるような、戦場での理想的な相棒に近い存在だった。
だからこそ近くにいれるだけで浮かれてしまっていた。
そんな自分を反省する。
すぐそばにいるのに、手を伸ばせば相手に触れられる距離に座っているというのに、その距離をあまりにも遠く感じながら、ゼロは前だけを見据えて手綱を握るのだった。
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