第51話 伸ばした手
――え、え、え、え、え、え、え、え!?
怒りと混乱と悲しみとセレマウにもよくわからない感情が絡み合いセレマウは混乱していた。
コライテッド公爵の独断による遠征決定への怒り。
クラックス子爵の娘と名乗っていた少女がリトゥルム王国の女王だったという混乱。
彼女と内応していた子爵が刺され、目の前に人が倒れている悲しみ。
信徒たちのように取り乱されたら、どんなに楽だろうか。
思考停止に近い状態になっているセレマウが法皇モードの表情を保てているは、単純に奇跡であった。
泣き喚き、この場から逃げ出したい思いが溢れてくる。
全てを投げ捨てて生家である東部で引きこもって暮らしていきたい。
現実逃避にも似た思いがあふれ出ているセレマウなのに。
「法皇セルナスよ! 決断を!」
自分よりも幼いであろう目の前に立つ金髪碧眼の美少女の視線が向けられているのは、他ならぬ自分なのだ。
当たり前だ。自分はセルナス皇国を治める法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世なのだから。
自身の混乱が収まらず、セレマウはどうすればいいか分からなくなっていた。
「あのダイヤきれいだな」や「彼女の従者の超絶イケメンが実はユフィが戦場で会いたがっていたゼロ・アリオーシュだったとかどういう奇跡だよ」など今は関係ないことも脳内を駆け巡る。
「なりませんぞ法皇。今ここでこの者を捕らえれば、王国は簡単に我らの手に落ちましょう。異教徒と手を組むなどなりません!」
実権を握るのがコライテッド公爵だとしても、形式として皇国で最上位の権力を持つのはセレマウだ。彼としてもセレマウの命令なしに乗り込んできたリトゥルム王国の女王を捕らえることはできないのだろう。
今この広場には数多くの人々が集まっている。どこまでがコライテッド公爵の思惑なのか分からないが、彼の言葉に却って冷静になれたセレマウがいた。
「黙れ小物が! 私は法皇の答えを聞いているのだ!!」
見た目はまだ少女というのに、圧倒的な王の貫禄を見せつけたアーファの一喝に、セレマウたち3人は驚きつつも、どこか胸がすく思いがした。
娘ほどの年齢の少女の覇気に、コライテッド公爵も気圧されたか怯んだようだ。
セルナス皇国にはコライテッド公爵に対し「小物」など言える者はいない。
法皇セルナスだろうが、同格のナターシャ家だろうが、誰もそんな言葉を言うことはできないのだ。
こんな状況だというのに、ユフィは少しだけ口角が上がっていた。
「今私が死ねば、怨嗟の渦はこれからも長い戦いの火種となり、両国の兵が、民が死に続けることになろう! 私は王として、そんな未来を認めるわけにはいかない! この身果てるまで、私には平和を志す覚悟がある!」
真っ直ぐにセレマウを見つめてくる碧眼から、セレマウは目を逸らせなかった。瞳を通じて、強い意思が届けられる。
「今、貴女の言葉を聞かせてほしい!!」
仮面をつけたゼロも、風魔法を行使したアーファの従者も、セレマウを見つめる。
皇国側の者たちも全員、セレマウを見つめていた。
彼女の発する言葉が、今世界を決めるのだ。
すっと目線をおろし伸ばされたアーファの手を見ると、その小さな手は震えていた。こんなに堂々としているのに、自分よりも明らかに一国を治める者として適格な人物だろうに、彼女の手が震えているのだ。
「大丈夫、私たちがついてるよ」
決断できないセレマウに、すっとユフィが近づきセレマウを後ろから抱きしめる。後ろから回されたユフィの右手首には、シルバーのブレスレットがつけられていた。
ユフィに合わせナナキもセレマウへ近づく。彼女も右手に付けたシルバーのブレスレットをセレマウへ示す。
それは昨日、友情の証としてセレマウが選んだお揃いのブレスレットだった。
セレマウも自分の右腕に付けているシルバーのブレスレットを眺める。
ユフィとナナキがいれば、自分は大丈夫。そう言い聞かせる。
ユフィの腕をほどき、一度振り返って二人と目を合わせたセレマウは、力強く頷いた。
青く晴れた空と降り注ぐ日差しを感じるほどに、セレマウの心が落ち着いていく。
一度深呼吸をし、再び目を開いたセレマウの目は、法皇セルナスの目ではなく、セレマウの目だった。
「あーーーーーーーーー!!!」
広場全体へ響き渡るほどの大きな声で、セレマウが一度絶叫する。ユフィの拡声魔法も合わさり、予想外の彼女の行動にあらゆる者が驚きの表情を浮かべた。
「“ボク”だってもう誰にも死んでほしくない! アーファ・リトゥルム! 貴女を信じる!!」
「法皇様!?」
拡声魔法を通じて広場に集まった者全員へ届けられたセレマウの魂の叫びに、コライテッド公爵が動揺を見せる。
彼の慌てふためく姿を見られたことに、セレマウは少しだけ満足感を覚えた。
「法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世の名において、皇国はリトゥルム王国と手を組むことを誓おう!!」
一瞬素が出てしまったが、即座に法皇モードに戻り、アーファの手を握り返すセレマウ。
「な、何を仰るのですか!?」
法皇の言葉に広場からもどよめきが起こり、演台に上がっているコライテッド公爵とシックス、大司教が「信じられない」といったような表情を浮かべていた。
「その決断、感謝する」
ふっと笑って見せたアーファの笑顔に、セレマウが笑顔を返す。まだ少女と呼ぶに相応しい者同士が握手を交わすその光景は、今まさに歴史が動いた瞬間だった。
「異教徒と手を組むなど……法皇のご乱心だ! 敵の魔法を受けているのかもしれん! 法皇含め、この者たちを確保せよ!!」
苦虫を噛み潰したような表情になるコライテッド公爵が、シックスの拡声魔法を受け指示を出す。その言葉を受け、広場を囲っていた皇国魔導団が演台の方へと動き出す。
「力無き者は広場から逃れよ!!」
大剣を構えながら、ゼロとルーを牽制しつつシックスは集まった信徒たちへ退避命令を出す。
敵国の者が現れたこと、皇国魔導団が動き出したこと、これらの情報から導き出された人々の答えは、広場が戦場になるかもしれないという事実だ。
広場に集まっていた者たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
「ナナキ、セレマウをお願い」「ルー! 死んでも陛下を守れ!」
「お任せをっ」「わかった!」
自分の主君を、コライテッド公爵に捕らわれるわけにはいかない。ユフィとゼロが指示を出すのは同時だった。
セレマウやアーファを捕らえんとする皇国軍は皇国魔導団400名と皇国騎士十名、そして大司教の近衛騎士団長を務めるシックスだ。
対する味方は、リトゥルム王国の者と共闘したとして4人。
圧倒的な戦力差を感じつつも、ユフィの表情に諦めはなかった。
「お互いの主君が手を取り合うと宣言した。仮面男! あんたを味方と思っていいわね?」
ユフィは仮面をつけた少年へ視線を送る。物腰穏やかだと思っていたユフィの乱暴な口調に、ゼロが驚きの表情を浮かべる。
「え、そ、その呼び方って、え!?」
ゼロの驚きに満ちた声にユフィは挑戦的な笑みを浮かべ、右手に着けたシルバーではない、白のブレスレットに魔力を込める。
彼女の魔力に呼応するように現れたのは大きな長弓だった。
「えええええええええええええええええええ!?」
仮面越しに発せられるゼロの絶叫。
ここ最近の戦いで決着がつかなかった好敵手と同じ武器、同じ桃色の髪、ゼロを仮面男と呼ぶ、それらの情報は、ゼロを混乱へと落とし込むのには十分であった。
「マ、マスクは!?」
「あんなの普段から持ってるわけないでしょ!」
何度も命を懸けた戦いを繰り広げた相手だというのに、ゼロとユフィはまるで過去など気にしてないとでも言うように違和感なく言葉を交わす。
「そっか」
そう言いマスクを外したゼロはこんな状況だというのに、どこか嬉しそうだった。
二人が会話する最中、ナナキがセレマウを、ルーがアーファを演台から降ろす。コライテッド公爵と大司教も、シックスが護衛するようにして演台から降りていっていた。
「ユフィ・ナターシャ。お前に背中を預ける」
「しょうがないわね。ゼロ・アリオーシュ、私もあんたに背中を預けてあげる!」
リトゥルム王国で王家の剣と呼ばれるアリオーシュ家のゼロと、セルナス皇国の武を支えるナターシャ家の大魔法使いユフィ。
黒髪の信じられないくらいの美少年と、桃色の髪の作り物かと疑いたくなるほどの美少女は演台から飛び降り、まるで長年共同で戦闘訓練を積んできたような様子で、向かってくる皇国魔導団の兵へ向かい合う。
敵はおそらく410人。対するはゼロとユフィの二人きり。
『まさか貴女と共に戦う日が来るとはね。私はアノン、よろしくね』
『こちらこそ、想像もしてなかったよ。私はユンティ。お互い無茶な主を持つと苦労するわね』
ゼロとユフィが持つエンダンシー同士もお互いに挨拶を交わす。
お互いの主君の願いを叶えるための戦いが、願わくはこれが最後の戦いとなることを願いながら、セレマウとアーファは、自分が最も信頼する人物を見守っていた。
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