第44話 楽しかった時間を忘れない

「ユフィ様、お見事でしたね」


 ナターシャ家の使用人が御者を務める馬車の中で、ナナキがユフィに対して賞賛の拍手を送る。

 ちょっと前にファラ・クラックスと名乗った少女たちへ対応していたような穏やかな笑みは失われ、拍手を送られたユフィは顔を真っ赤にして両手で顔を覆っているのだが。


 近距離で会話をし、あの黒髪のイケメン従者と目を合わせた時の光景が脳裏に焼き付いて離れない。


「これで明日も近くに来てくれるだろうし、また会えるねっ」


 明らかに面白がっている笑みを浮かべたセレマウが追撃を放つ。

 宝飾品店で、ファラたちと会えたのは本当に偶然だった。

 明日の首都での法話が終われば、各都市での法皇法話巡礼が始まる。そうなればこの3人でゆっくりと過ごす時間はしばらく訪れない。それを惜しんだセレマウの提案でお揃いのアクセサリーを求めにあの店へ行ったのだが、3人でアクセサリーを選んでいる時にたまたま彼女たちが現れたのだ。


 最初に気付いたナナキがセレマウとユフィに告げると、車いすの少女に何か配慮をしたいと言い出したのはセレマウだった。

 そんな権限を持つのは彼女しかいないので当たり前の話なのだが、彼女の希望を伝えるべく、今回はユフィが自ら配慮の提案をするべく話しかける役に立候補したのである。


 芸術都市でウェフォール一座の公演を見て、愛に身分差はないっ、と意気込んだユフィだったのだが、勢いで会話をし終えてみれば結局この状態になってしまっているのだが。


 数多の貴族子弟から求愛される美少女の面影はそこにはなかった。


「普段は東部にいらっしゃるのであれば、我々が会ったこともなかったのも頷けますね」

「そうだねー。ボクが東部にいた頃はほとんど外出することもなかったけど、東部は本当に平和だから、療養には丁度よさそうだもんね」


 復活しないユフィをよそに、二人は会話を続ける。

 外を見れば、すっかり日も暮れ大通り沿いの街頭には灯りが点り出していた。


「あの従者もユフィ様の笑顔の前に照れておりましたし、“脈あり”というやつですかね?」

「え、そうなんだっ! うわ、それは見たかったなー」


 知識だけの言葉を使ってみるナナキをセレマウが羨ましがる。これまで浮いた話などしたことがなかった二人は、せっかく現れた楽しいネタにテンションが上がり気味だ。


「明日の法話後も、ユフィ様へのお礼を伝えにいらっしゃるでしょうし、そこでいよいよ名前を聞いてみるのもいいかもしれませんねっ」

「あ、そっか。ボクたちファラちゃんとアーデンさんの名前しか知らないんだった」


 赤面が続くユフィを置き去りに、セレマウとナナキは盛り上がる。

 そんな会話を繰り広げていると、3人を乗せた馬車があっという間に約束の塔に到着したようだ。


「今日は転んだりしないでね~?」

「わかってるわよっ」


 馬車を降りる段階に至り、ようやくユフィも二人と言葉を交わせる状態にまで回復したようだ。

 ナナキ、ユフィと順に馬車を降り、最後にセレマウが馬車を降りる。


 馬車を降りて目の前にそびえる巨大な塔を見上げ、セレマウは小さくため息をついた。


 これで、楽しかった旅も終わりなのだ。

 

 明日からは、法話と称してコライテッド公爵が作った原稿を読み上げる日々が始まる。

 皇国内の全都市を回る巡礼はおよそ半年に渡る長丁場の公務であり、ユフィとナナキも帯同はしてくれるが、コライテッド公爵と大司教という野心にまみれた者たちも常に同行することとなる。

 彼らのお供として皇国軍騎士や大司教の近衛騎士団も帯同するため、かなりの大所帯での移動となり、気の休まらない日々が始まってしまうのだ。


 この2週間は本当に幸福な日々だった。


 それを改めて痛感するセレマウは、立ち止まったまま塔を見上げ続ける。


「ふぇ!?」


 不意に背後から抱きしめられたセレマウが気の抜けた声を出す。

 ちらほらと礼拝を終え帰路に着こうとしている者たちが、すれ違いざまに彼女たちに視線を向けていたが、セレマウはまだ薄緑の法衣を着た状態のため、まさか彼女が法皇などとは誰も思いもしていないだろう。


「私はずっとセレマウのそばにいるからね」


 優しいユフィの声は、セレマウの表情に思うところがあったのだろう。背後から回された紫の法衣の腕を優しくつかみ、セレマウは親友の温もりに包まれる。


「私も、ずっとお仕えします」


 流石にユフィのように抱きしめることは恐れ多いと思ったか、ナナキは穏やかな声でユフィに同調した。


「……ん、ありがと。ボク、二人が大好きだよっ」


 嬉しさに、涙がこぼれる。

 

 時が止まり、この幸せが永遠に続けばいいのに。


 欲張りなわがままは胸に秘めたまま、しばしの間セレマウはユフィの腕の中で幸せを感じるのだった。

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