第42話 到着
法皇法話前日の正午過ぎ。
昨日の雲は消え去り、穏やかな春の陽気が戻ってきていた。
「見えましたな。あの門が皇国首都の入り口です」
「ほう……我が国と大して違いはないな」
建築物は人間が生きてきた歴史を物語る。
いかに住みやすくするか、それを考えていけば、気候に大きな違いがない限り、自ずと行き付く先は同じなのだろう。
リトゥルム王国の都市と変わらぬ石造りの門に、奥に見える灰色のレンガ造りの民家たち。
「違うのは、あれくらいか」
門の先は南北を貫く真っ直ぐの大通りとなっており、遠くには円柱状の建物が見える。法皇が住まうという約束の塔を見つめアーファが呟く。
カナン大陸の中でもセルナス皇国の約束の塔ほど高い建物はないだろう。まるで天を目指すように高く作られた塔は、皇国の象徴だ。
「ついにこの日がきたんすね~」
軽口を叩くゼロにも、20日前には想像もつかなかった場所まで来た感慨深さが募る。
「いよいよ明日ですもんね」
ルーの表情にも僅かに緊張が浮かぶ。明日の法話でアーファが何を思うか。王国と皇国の長い歴史がどう変わるのか、明日が運命の日になる可能性もあるのだ。
それぞれがそれぞれの思いを抱き、馬車の中に静寂が訪れる。
沈黙を運んだ馬車は、首都の門をくぐり大通りを進む。約束の塔から離れたエリアである平民街区を抜けると、大きな邸宅が立ち並ぶ貴族街地区へと入ったようだ。
約束の塔を挟むように、東西に大きな屋敷が見える。西側にある屋敷は他の屋敷と異なり、白い外壁が特徴的な美しい屋敷だった。
約束の塔より1キロほど手前の十字路を東側に進み、しばらく進んだ後、馬車が停車した。
「長旅、ご苦労様でした。どうぞ、我が兄が中でお待ちです」
終始都市の景観を眺めていたアーファへ馬車を降りたアーデンが声をかける。
馬車を降りればそこは敵国の土地。車いすに乗る彼女がもし敵に襲われれば逃げることはほぼ不可能となる。
「大丈夫っすよ」
一瞬の不安に躊躇いを見せたアーファへの様子に何かを思ったか、先に下りて車いすの用意をしたゼロが再び馬車の中へ戻り、得意のスマイルを浮かべてアーファへ手を差し出す。
「ふ、そうだな」
ここまでの旅で見慣れたゼロのスマイルは、アーファに安心を与える。ゼロの手を取りアーファも馬車を降りると、慣れた動作で車いすに乗り込み、目の前の屋敷を見上げる。周囲の屋敷と変わらぬ、立派な作りの邸宅だった。
「どうぞ、お入りください」
アーデンに促されるままゼロが車いすを押し、アーファたちはクラックス侯爵家へと入る。
「ようこそおいでくださいました。このような大役を担えること、わが生涯の勲章であります」
屋敷の中で待ち受けていたのは、アーデンとよく似た顔立ちの老人だった。彼の方が老いを感じさせ、背筋も少し曲がっており、歩行の補助ために杖をついているようだ。
だがその目は老いてはおらず、相手を見定めるような鋭さを備えていた。
「貴殿がオーベン殿か。此度の協力、感謝する」
アーデン以上に年の差のある目の前の老人に対しても、アーファが物怖じせず対応する。
「弟より陛下の志は伝わっております。どうかこの老いぼれにも、平和へのご協力が出来れば幸いです」
情報の漏洩を恐れてか、屋敷の中に使用人などは見受けられなかった。いないということはないだろうが、どこか閑散とした様子の屋敷だった。
「お恥ずかしながら、侯爵位を賜るとはいえクラックス家は既に没落貴族と言っても差し支えない状態でございまして、大したおもてなしもできず、申し訳ありません」
ゼロがきょろきょろと屋敷の中を窺っていたことに気付いたオーベンは寂しげな表情でクラックス家の現状について語ってくれた。
跡取りを失い、オーベンもアーデンも退役し、既に皇国に貢献することも叶わず、侯爵位とは既に有名無実と化しているのが現状だという。そのため国からの給付金も少なく、使用人も大半に暇に出し、長年勤めた数人の使用人のみを雇い、貯めていた財産を切り崩しながら生活をしているとのことだった。
そんな様子をここまで欠片も感じさせなかったアーデンに対し、アーファたちは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
アーファたちと確実に合流するために初めて出会った村の買収を皮切りに、ここまでの宿泊費は全てアーデンが支払っていた。アーファたちも多分に資金は持っていたのだが、アーデンがそれを使わせなかったのである。
彼曰く、万が一にも貨幣の鋳造場所が発覚するリスクを抑えるため、とのことだったが両国とも戦火中で金品の奪い合いは多く、リトゥルム王国が鋳造した貨幣もセルナス皇国では大量に出回っている。
両国で含有される金銀の量はほぼ同額であり、鋳造場所を気にする商人などいないに等しい。
「迷惑をかけたな」
「もったいないお言葉。老い先短い我らですれば、このような出費惜しくもありません」
隣に立つアーデンに視線を向け、アーファが労うと、穏やかな笑みを浮かべてアーデンが答える。
アーファたちと共に過ごした時間は、アーデンへアーファ・リトゥルムという人間を理解させるに十分であり、彼は既に長く王国に仕えたような、確かな信頼を覚えていた。
「貴殿がアリオーシュ殿ですか。アリオーシュ家の名は我が国で知らぬが者ないほど轟いておりますが、まさかウォービル殿のご子息がこれほどまでに美男子とは……神は二物を与えられたのですな」
「お褒めに預かり光栄です」
オーベンの言葉に一礼するゼロ。いつものスマイルを浮かべて応えてはいるものの、まだ目の前の老人への警戒を解いてはいない。
ここは敵国。万が一が許されない状況。出発の日に王国の騎士団長たちから受けた期待を裏切るわけにはいかない。
アーデンは信用しているが、まだオーベンの真意は分からないのだ。
「明日に備え、今日はお休みになられますか?」
「いや、まだ日も高い。折角の機会だ。少しだけ街を見学させてもらおうと思う」
「畏まりました。平民街区は治安面で安全とは断言できませんが、貴族街であれば安全でしょう。大通りに面したエリアには貴族御用達の店も多くありますので、そのあたりをご覧になればよろしいかと存じます。アーデンよ、陛下をご案内してさしあげなさい」
「はっ、畏まりました」
悟られぬように警戒するゼロとルーをよそに、リスクを選択したアーファに二人は苦笑いを浮かべる。
だが皇国の首都を歩くなど、場合によっては二度とできない可能性もあるのだ。敵の経済力か技術力を図るのに、首都を見て回るのはうってつけだ。
荷物をクラックス家の客室に置くと、リトゥルム王国の一行はアーデンの案内で皇国首都の貴族街散策へ繰り出して言った。
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