少女は己の無力に絶望する

第41話 母と娘

 法話まで残り2日の早朝。空はあいにくの雨模様だった。


「いよいよだな。明日には皇国首都に到着だ。気を抜くなよ」


 クラックス家の馬車に乗り込んだアーファは昨夜までの芸術都市を満喫していた表情とは打って変わって、真剣な顔つきになっていた。一国を背負う少女が、一世一代の思いで決行中の計画もいよいよ大詰めだ。


「何があっても、お命だけはお守りしますから」


 彼女が思いつめないように、抱え込みすぎないように、ゼロは得意のスマイルを浮かべてアーファに答える。


「ええ。命に変えましても、アーファ様は守り抜きますので」


 王都を出立した際は緊張を隠せなかったルーも、今ではすっかり気軽にアーファと話せるようになっている。

 その変化もまた、アーファにとっては心地よいものだった。


「ここまで怖いくらい順調なのもあれっすけど、正直バレてんだとしたら、大手柄狙った奴らがもっと先に手を打ってるでしょうし」

「たしかに、それは一理あるな」


 3人は口にしないが、万一クラックス家が裏切っていたら、という思いはやはり拭えない。

 だがそれを口にすることはアーデンへの非礼となる。ここまでは尽くしてくれた彼の誠意、あの日の涙を、アーファたちは信用するまでだ。


 芸術都市を抜け、セルナス皇国首都への街道を走り始めた馬車の南側の窓から景色を眺めるアーファ。

 今朝からしとしとと降り続く雨は、南方のリトゥルム王国でも降っているのだろうか。


 雨は嫌いではない。雨は大地を育み、未来を創る。冷たさは人の温もりを思い出させてくれる。


 願わくば、彼女の望みが叶うように。

 従者たちはただ純粋に、主のためを思っていた。



「ほんとに、大きな屋敷だねー」

 法話2日前の夕刻、ナターシャ家の馬車が主の屋敷へと到着した。

 約束の塔へセレマウが戻ると告げてあるのは明日。セレマウの思いつきで始まった3人の旅も今日が最終日。最後の夜はナターシャ家でのお泊りだ。


 工業都市のウェーフェル公爵家や水の都のフィーラウネ公爵の宮殿よりも大きな屋敷、それがユフィの生家ナターシャ家の屋敷であった。

 特徴的な白い外壁は皇国内でも珍しく、観光客がその外観を見に来るとまで言われている。

 屋敷の門から屋敷までは広大な庭園が広がり、中隊規模の兵士たちが訓練できそうなほどの広さがある。

 丁寧に手入れされている庭園には、春の華やかさが広がっていた。生憎の空模様なのが惜しまれる。


 屋敷の扉の前で3人が馬車を降りる。ここからは使用人たちが馬車を置き場へ動かし、馬たちを労わってくれるとのことだった。


「色んなとこ連れてってくれてありがとねっ」


 セレマウが長く働いてくれた白馬たちを一頭一頭撫でてあげると、白馬たちも嬉しそうに鳴き声を上げていた。

 そうして白馬たちと別れ、ナターシャ家の中に入った3人をメイドたちが応接室へと案内する。


「ようこそおいでくださいました、法皇様」


 応接室に入ったセレマウたちを出迎えたのは、ユフィと同じ桃色の髪を長く伸ばした、美しい女性だった。

 傾国の美女と称されるほどの彼女の母親らしく、年齢を感じさせない美しい顔は穏やかな笑みを浮かべ、セレマウたちを歓迎する。


「貴女がナナキね。いつもユフィと遊んでくれてありがとうね」

 この母あってこの子あり、というほどユフィと似た女性に、セレマウもナナキも緊張気味だ。


「もう、お母様ったら」


 子ども扱いされることに頬を膨らませるユフィ。

 彼女がお母様と呼んだ女性はフィーリア・ナターシャ。皇国軍の軍事を司るナターシャ公爵家の当主エドガー・ナターシャの妻であり、大司教の近衛騎士長を務めるシックス・ナターシャと法皇の警護役を務めるユフィの母親だ。


「今日はエドガーもシックスもコライテッド卿に呼ばれて留守にしており挨拶もできませんが、どうぞ我が家と思いくつろいでいってくださいね」


 穏やかな言葉の端々から溢れる気品は、彼女が大貴族として生きてきた経験によるものだろう。少しだけ緊張がほぐれたセレマウにも笑みが浮かぶ。


「はい、ありがとうございます」


 法皇モードではない、素の状態のセレマウが礼を述べる。なんとなくだが、彼女の前では仮面をかぶらなくてもいいと、セレマウは感じていた。


「ねぇねぇお母様っ。私、歌姫マリアに会えたんだよっ」

「あら、それは羨ましい」


 普段から母とは仲良しなのであろう、久々に会ったユフィが嬉しそうに話し出すと、フィーリアも楽しそうにそれを聞く。


 その光景がセレマウには羨ましかった。だが、それを今顔に出すほど野暮ではない。


「せっかくだし、今回の旅行の話、いっぱい聞かせてね」


 セレマウとしては法皇として皇国への理解を深めるための“査察巡礼”だったのだが、ユフィは母親に“旅行”と伝えていたことにナナキは苦笑いを浮かべる。


 メイドたちがお茶菓子と紅茶を運んできたことで、応接室のテーブルに向かい合った4人は、どこへ行ったか、何を見たか、何を学んだか、話に花を咲かせるのだった。

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