第40話 似ている感性

「やっぱり戦争は悪だよっ」


 観劇を終えたセレマウたちは係の者に案内され、役者たちが戻ってくる控室へと案内されていた。

 歌姫マリアを初めとした一座の者たちと会えると知ったユフィは感動から落ち着かない様子になっている。

 落ち着かないのはセレマウも同様のようで、彼女もまた興奮気味に二人に感想を伝えている。

 素晴らしい舞台だったからこそ、その気持ちも分かるナナキは甘んじてセレマウの言葉を聞き続けていた。


「愛を守るために、戦争をなくさなきゃっ」


 まさか敵国の女王と同じ感想を皇国の法皇が口にしているなど、その場の誰もが誰も気づくはずもない。


「あの、セレマウ様、そろそろ、お仕事モードになっていただいてもよろしいですか?」


 熱く語るセレマウに、廊下の足音が聞こえたナナキは恐る恐る進言する。


「あ、うん、わかったっ」


 そう言いセレマウは数秒目を閉じ、再び目を開くとその表情からまるで感情が消えたようになった。


――本当に、すごい技だな……。


 いつ見ても舌を巻く技術だと、ナナキは感心するばかりである。コライテッド公爵の指導の賜物だが、果たしてどのような教育を施したのだろうか。

 コンコン、と軽い音が響き控室の扉が開く。扉の向こうからは舞台挨拶を終え、劇場入り口で観客の見送りを終えた役者たちが入ってくる。

 控室の入り口とテーブルを挟んで奥に座る3人は先ほどまで舞台で演じていた役者たちを前に緊張気味だった。


「本日はお越しいただきありがとうございました。座長を務めさせていただいております、グラム・ウェフォールです。しかしフィーラウネ公爵からご連絡を頂いた際は驚かされましたよ。まさか法皇様直々にお越しいただけるとは……。ですがご満足いただけたようで幸いであります」


 舞台で演じていた敵国の騎士団長の衣装である甲冑姿のまま、口ひげを蓄えた紳士は笑みを浮かべたまま代表して謝辞を述べる。

 おそらくセレマウたちの表情から満足してもらえたと確信したのであろう、嬉しそうな、貴族とは違った軽さのある口調にセレマウは内心好感を抱く。


「見事な舞台であった。私の方こそ、ウェフォール一座の方々に礼を言わせてもらおう。急な来訪にも関わらず対応していただき感謝する」


 椅子から立ち上がった薄緑の法衣を着た少女が法皇だと、頭で分かっていても驚きが大きかった役者たちは、言葉を発せずにセレマウのオーラに圧倒されていた。


 3日後の法話が、法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世が初めて公の場に現れる機会だと聞かされていた彼らにとって、皇国内の他の者たちに先駆けて彼女の顔を知ることが出来るとは夢にも思っていなかったであろう。


「礼など恐れ多い! 我らもまだまだ芸の道を究められておりませぬ。どうぞこれからも、機会がありましたらお越しいただければ幸いであります」


 姿勢を正して深々とグラムが一礼すると、それに続けて他の役者たちも頭を下げた。


「歌姫マリアにお会いできるなんて、夢のようですっ」


 ついに感動に耐え切れなくなったか、ユフィは秘めていた感情を解き放ち目を輝かせながら、銀色の髪の美女へ思いを伝える。


「傾国の美女と呼び声高いユフィ様にそう言って頂けるとは、ありがたき幸せですわ」


 聞く者の心を満たすような、心地よい声が室内に広がる。その言葉にユフィの目に涙が浮かんだ。


「フィーラウネ公爵にはいくら感謝してもし尽くせませんっ」


 感極まったユフィがマリアへ近づき握手を求めると、彼女はその美しい表情に小さな笑みを浮かべて両手でその手を握り返す。

 合わせてユフィも左手を重ね、公爵家に生まれた二人の美女たちはしばらく握手をしたまま話を続けていた。


「法皇様がこんなにも美しい方だったとは、皇国の民として誇らしいですわ」


 薄緑色の髪をショートカットにした美女がセレマウへ話しかける。彼女は先ほどの演目で主役の一人である王女役を演じていたシアラ・ウェフォール。

 座長であるグラムの娘であり、一座のヒロインでもある。平民出身とは思えない気品と美しさを備えた彼女には、貴族からも舞台後の求婚が後を絶たないと噂されるほどの淑やかな美女であった。


「シアラ殿の演技こそ、皇国の宝であったよ」


 普段の幼さはどこへ消えたのやら、自身への賛辞を受け流しながら相手を賞賛するセレマウの話術は巧みだった。普段の彼女からは想像もつかない。


「ぜひまた来させてもらおう。もし中央にも劇場を用意したければ、いつでも申すがよい」


 しばし一座との会話をした後、最後にセレマウがそう締めくくる。

 そんなこと簡単にできるものではないのだが、とナナキは内心思っていたが、一座の者たちは感服するように目を輝かせてセレマウを見ていたため、ナナキは何も言わず、彼らの見送りを受け、セレマウたちは控室を後にするのだった。



「綺麗な人だったなぁ」


 観劇後そのまま芸術都市を出発し、再び首都へと戻る街道を進む3人を乗せた馬車の中。セレマウたちは継続して余韻に浸っていた。


「歌姫マリアも、シアラさんも、あんな大人っぽい人になりたいな~」


 奇跡の歌声を持つマリアは静の美しさを持つ美女だったし、一座のヒロインであるシアラは動の美しさを持つ美女だったが、どちらも落ち着いた気品を兼ね備えていた。

 仕事モードのセレマウであれば、既に大人っぽいどころの話ではないのだが、素の自分もいずれは落ち着いた女性になりたいのだろうか。


「セレマウがあと2年で、あんな風になれるとは思えないわね……」


 マリアと会えた感動に浸りつつも、ユフィはすっかり平常心モードを取り戻していた。


「えっ、あの二人ボクと2歳しか違わないの!?」

「そうよ、二人とも今年17歳の年齢だったはず」

「二十歳くらいかと思ってたや~」


 女優恐るべし、と心の中で呟くセレマウはちらっと窓から外を見た。

 少しずつ空には雲が広がり始め、まもなく雨が降りそうだなと思う。


 現在進んでいる街道は芸術都市と首都とを繋ぐ街道であり、今日の宿となる中間地点にある宿場町が、3人で過ごせる最後の夜となる。

 そう思うと、寂しさで胸がいっぱいになる。


 次第に薄暗くなっていく空は、まるでセレマウの心を映しているようだった。


 街道沿いの草原には緑が生い茂り、遠くには山脈が見える。あの山脈の向こうには何があるのだろうか、まだ見ぬ世界をまだ3人で見に行きたい、叶わぬ願いにセレマウは少しだけ表情に影を落とす。


 工業都市で豊かな生活をもたらす恩恵の裏にある技術を学び、農業特区で皇国を支える大規模な農地を見学し、水の都や芸術都市で人々の楽しみを知り、3年間塔の中に閉じ込められ続けた自分の世界が、大きく広がっていくのを感じるのは楽しかった。


 世界は広い。

 皇国の西部や北部にも行ったことはないし、カナン大陸には皇国以外にも小国家を含めれば無数の国家がある。


「いつか、もっと世界を見てみたいな……」


 窓の外を眺めるセレマウの心から溢れだす囁き。その囁きは誰にも聞こえずに、馬車の窓から外の世界へ流れだし、どこかへ消えていく。


「そういえば、クラックス家の子車いすだから、法話のときなんとかしてあげたいね」


 自分の心がしんみりしていくのを感じたセレマウは馬車内のユフィへ向き直り、話題を変える。


「そうね、約束の広場は劇場みたいに段差にはなってないし、人ごみに巻き込まれて怪我でもされたら可哀想だものね」


 ファラ・クラックスと名乗った車いすの少女を思い出し、ユフィもセレマウに同意する。

 彼女のそばにはあの黒髪の超絶イケメンの少年がいるはずだから、付帯して彼のことも思い出されそうなものだったが、観劇前までと異なり、ユフィはもう顔を赤くはしていないようだった。


「前日にクラックス侯爵家に使いを出す?」

「ん~、前日までに会えなかったら、当日朝に出そっか」

「ん、わかった。戻ったら手配するわ」


 このくらいなら、好きにしてもよいだろう。

 約束の塔内に蠢くコライテッド公爵や大司教など、野心溢れる者たちを思い出し、気が滅入る二人。


 だがやらねばならぬのだ。あの少女は法話を聞き来るのだから、そのためにやれることはやってあげたい。


 不思議な縁で結ばれた少女たちの正体に気付くはずもなく、セレマウたちを乗せた馬車は首都へと戻る街道を進むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る