第35話 初めての感覚

「なになになんなの!?」


 ロビーで両親へ近況報告の手紙を出しにいっただけだった。手紙を出したらすぐにセレマウたちのところへ戻るはずだった。


 そんな短時間の間に出会ったジャケット姿の黒髪の少年の顔が頭から離れない。

 ユフィはセレマウの部屋に戻れず、自分の部屋のベッドにダイブし顔を枕に押し付けて得体の知れない感情と戦っていた。


 黒瞳を宿す少しだけつり目がかった眼差し、美しいラインを描く鼻梁、薄めだが形のいい唇、それらとのバランスが恐ろしいほどにとれている輪郭、目元に届かないほどの、さらさらの黒髪。

 あまりのカッコよさに、数秒時が止まったように錯覚してしまった。いや、カッコよさだけではないような、不思議な感覚。


 彼が礼をしてくれたおかげで、何とか数秒で冷静さを取り戻し、微笑んで一礼を返せたはずだが、ちゃんと微笑めたかどうか、心配になってくる。


 これまで数多くの貴族子弟と会ってきたが、あんなにカッコいい少年とは会ったことはなかった。


「黒髪に、あいつと、同じくらいの身長だったな……」


 彼女が別な意味で会いたいと思う仮面をつけた少年兵、リトゥルム王国のブラウリッター団長ゼロ・アリオーシュと、先ほどあった少年を脳内で対比させる。


 だが皇国の、ましてや芸術都市にリトゥルム王国の者がいるはずもない。法衣も着ていなかったことから、おそらく階下に宿泊している貴族の従者なのだろう。


『一目惚れかな~?』

「な、何言ってるのよっ」


 冷やかすようなユンティに声を荒げて否定するユフィ。だが、火照った頬は治まりそうになかった。


『いや~、すごいイケメンだったもんねぇ』


 普段見せることのない主の様子を楽しむように、ユンティは追い打ちをかける。

 そのうち心配したセレマウかナナキが来るだろう。それまでに何とかこの気持ちを抑えねばならない。

 しかし考えれば考えるほど、先ほどの少年の顔が頭に焼き付いて離れない。

 経験したことのない感覚に苦しみながら、ユフィはベッドの上でじたばたし続け、結局様子を見に来たセレマウたちに全て話すことになるのだった。



 翌朝。

 

 結局ほとんど眠れなかったユフィは目をどんよりとさせながら、宿のサービスで運んでもらった朝食を前にしていた。


「フルーツくらい食べなよ~」


 焼いたトーストをはむはむと頬張りながら、セレマウがぼーっとしているユフィの頬をつつく。


「ん~……」

「この宿に泊まっているってことは、貴族に仕える方なのでしょうし、芸術都市に訪れている貴族なのだとすれば、本日のウェフォール一座の舞台は予定に外せないのでは?」

「!!!」


 ナナキの指摘にユフィの目が一瞬大きく見開かれ、頬が赤くなる。

 普段は見られないユフィの様子を見て、セレマウはにやにやと笑い出す。


「恋ってやつですかな~?」

「な、そ、そんなじゃないわよっ」


 セレマウの言葉を全力で否定するユフィだが、正直この場にいる3人ともが、恋というものをよく理解していない。

 貴族の娘として生まれた以上、家のための役割を担わなければならないこともある。そう思っていたせいか、彼女たちは男性にときめくという感覚がまだ分からなかった。


「でも、そんなカッコいい人かぁ。会ってみたいねっ」

「セレマウ様のお力があれば、強制的に召し抱えることもできるのでは?」

「そんな悪い女にはなりませんよーだ」


 形式上皇国で最高の権力を持つ彼女だが、好き勝手に生きることはセレマウの本意ではない。

 彼女がそんなことをしないと分かっている二人だが、彼女の誠実さを確認しナナキは少しほっとする。


「公演はお昼頃からですし、ユフィ様がこのような状態ですから、少しゆっくりしてから向かいましょうか」

「そうだね、目的地が一緒だとしたら、きっと“会える”もんね」

「“会える”……」


 再度ユフィを刺激するワードを発してしまったのか、少し落ち着いてきたユフィの顔が真っ赤になる。


 恋とは人を変にするものだなぁ、とセレマウは笑いながらも、少しだけ羨ましく思うのだった。

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