第34話 麗しの彼女
「実に素晴らしい場所だったな」
セレマウたちが画家と出会った同日、アーファたち一向も夕刻に芸術都市へ到着していた。
到着するや否やお目当ての美術館を見学したアーファは宿に戻っても満足した表情を浮かべていた。
「ご満足いただけたようで何よりです」
案内をしたアーデンも、アーファの満足した表情に嬉しそうな笑みを浮かべる。
ルーも何やら楽しみながら美術館を回っていたが、芸術というものに疎いゼロには正直その感動は分からなかった。
車いすの移動が早すぎて、今日一日で何度アーファに怒られたか分かったものではない。
美術館を閉館ギリギリまで見学したアーファたちは、アーデンが手配していた宿に移動し、その一室に集まって美術館の素晴らしさを語り合っている。
相当上等な宿なのだろう、アーファに一室、アーデンに一室、ゼロとルーで一室、アーデンの従者たちに一室と4部屋を借りたのだが、アーファの部屋でも十分全員が泊まれるほどの大きさが備わっていた。
しかもアーファたちの借りた部屋よりも上のランクの部屋もある。そちらは先約がいたようで借りられなかったが、宿場町で立ち寄った宿とは比べられないほど上質な宿だな、とゼロは内心驚くばかりだった。
王侯貴族が頻繁に訪れる都市なのだからそれも当然なのだが。
「ちょっと外出てきまーす」
誰の絵がよかっただのなんだの盛り上がる3人にこっそりと断りをいれ、ゼロはアーファの部屋を出る。
アーデンの従者たちはよく文句も言わずあの場にいれるな、と感心するばかりだ。
彼らが泊まるこの宿は7階建てとなっており、上階に行けばいくほどランクが高い部屋になっているらしい。ゼロたちが借りた部屋は5階にあり、5階の4部屋全てを貸し切っている形となっている。
「上すぎるのはどうなんだろうな、何かあったとき、どう守るか」
『高いところを好む、とは言うけど、たしかに非効率的ね』
階下へ向かう階段は左右対称に作られている宿の構造のため左右にあるのだが、いざという時は逃げ場を失う可能性があるように思えた。
アノンは枕詞こそ言わなかったが、高い身分の者は何故上から見下すことを選ぶのか。
「それだけ平和、ってことか」
少しの間天井を見上げた後、有事の際のシミュレーションをしつつ、ゼロは階下へ向かう。
ここまで旅はすこぶる順調そのものだが、油断大敵だ。悪意や敵意を探りながら、ロビー階まで下りていく。
――ま、なんもないよな。
水の都も芸術都市も、まるで世界は平和だと思っているかのような様子だった。
これがあるべき姿なのだろうが、少し釈然としない気持ちも沸いてくる。
一部の人間が命を懸け、一部の人間は戦争を知らずに生きる。生まれは運次第、とはかつてアーファが言っていた言葉だが、それは理不尽なことだとゼロは思う。
アーファの目指す世界、それを早く実現したい、今回の計画を進めれば進めるほどその思いは強くなっていた。
「ん?」
少し考え事をしながら階段を下りてきたが、たどり着いたロビーは閑散としたものだった。
手紙の集積所に紫色の法衣を着た桃色の髪の女性が一人いるのみ。
紫色の法衣は公爵位を示す。皇国内では当たり前の常識なのだが、桃色の髪という情報が先にゼロの思考を止めた。
その女性が目に留まったまま、彼は無意識に立ち止まり、視線を外せなくなっていた。
何故だかわからないが心がざわつき、不思議な緊張感にゼロは困惑する。
手紙の依頼を終えたのか、桃色の髪の少女が階段の方へ向き直る。
――!!!!!
振り返った桃色の髪の少女と目が合った時、人生で経験したことのない感情がゼロの中で誕生した。
見つめ合ったまま得意のスマイルを出すこともできず、ゼロに出来たのは数秒遅れて一礼することだけだった。
混乱する頭の中、自分はアーファの従者として来ていること、紫色の法衣は公爵位を示すことを思い出したゼロに出来たのは、たったそれだけだった。
頭を上げたゼロに微笑みを返し、軽く会釈した桃色の髪の少女が悠然とゼロの横を通り抜け、階段を上がっていく。
彼女の後を追いかけることも、ましてや振り返って目で追うこともできず、速くなった心臓の鼓動を抑えるため外へ出る。
夜の風はまだ冷たく、街を行き交う人々もだいぶ少ない。
だが先ほどの少女を思い出すと、まだ鼓動が速くなる。得体の知れない感覚の正体を考えるため、ゼロは宿から少し離れた通り沿いのベンチに腰を下ろした。
「アノン、今の子、見たか?」
傍から見たら独り言を始めた怪しいやつでしかなかったが、そんなことを考える余裕もなく、ゼロは自身の相棒に声をかける。
理屈は知らないが、ゼロと視覚を共有しているアノンなのだから、見えていないということはないのだが。
『ええ、とても綺麗な子だったわね』
美しい女性ならば数多く見てきた。普段行動を共にしているアーファも、母も妹もかなり整った容姿をしていると思うが、今のような感覚に陥ったことはなかった。
触れたくなるような美しい桃色の髪、透き通るような白い肌、形の良い唇、大きくくりっとした、吸い込まれるように美しい碧眼、小柄で華奢な身体は守ってあげたいという想いを湧き上がらせる。
いまだかつてゼロが出会ったことのない美しさを、彼女は備えていた。
いや、美しさだけではない何かを、ゼロの心は感じ取ったようにも思えてくる。
見つめ合っていた数秒が惜しまれる、今になってそんな思いが去来する。
『アーデンの話の通りだとしたら、彼女がナターシャ家の令嬢なのでしょうね』
「ナターシャ家……か」
アノンの指摘に現実に戻されるゼロ。ナターシャ家といえば皇国の軍事を支える皇国筆頭貴族であり、大陸中にその名を轟かせる大魔法使いの一族。
一言で言えば、敵だ。敵の中でも最上位に強敵といえる存在とも言える。
だがアーデンの言う通り、傾国の美女という言葉の意味はすっと飲み込めた。
彼女が法皇の警護役を務めていることも、戦場でマスクをつけて戦っていることも、何も知らないゼロは先ほどの少女の微笑みを思い出し、しばらく外でぼーっとし続けるのだった。
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