第33話 楽しいと寂しいは表裏一体
法話まで残り4日の昼過ぎ。
セレマウたちは芸術都市に到着し、サーカス団の公演を見ていた。
芸術都市は形式上は法皇直轄地の扱いだが、実質この都市を治める領主はいない。
皇国貴族には芸術都市への寄付金が定められており、その予算を使って芸術を志す者たちの代表たちに都市運営が任されている形だ。
もちろん治安維持のために皇国軍は派遣されているし、皇国政務官らも数人派遣されているが、形式上統治の中心は現在の都市代表としてウェフォール一座の座長であるウェフォール男爵となっている。
だが彼自身の芸術を志す意識は相当なものであり、定例の会議以外では彼が政治の場に姿を現すことはない。
それゆえ芸術都市では謁見する相手もなく、セレマウたちは到着後すぐに査察――という名の観光を始めたのだった。
お仕事モードになる必要もなく、セレマウは心置きなく目の前で行われる動物ショーに目を奪われているようだ。
「おお……! ボクも犬飼いたいっ」
目の前では大きな茶色の犬が連続でジャンプし、ピエロの恰好をした女性が持つ輪をくぐる。
「そ、それは少々難しいのではないでしょうか……」
テンションが上がっているセレマウの思いつきをナナキが困り顔で否定する。
法皇が住む約束の塔は1階の礼拝堂を除き動物禁制とされている。上層階に住む彼女のわがままで、ルールを変えるのは憚られる。
「ちゃんとお世話するからっ」
本来であれば着用している法衣から考えて、真ん中にユフィが座るべきなのだが、当たり前にようにセレマウが中央で右にユフィ、左にナナキが着席している。
「困らせてんじゃないわよ」
子どものお願いのような目をされて、怒れずに困るナナキにユフィがフォローを出す。周囲の観客の迷惑にならないように声を抑え、セレマウの頭を小突くユフィ。
周囲の観客、とは言ってもサーカス団の配慮で彼女たちの座席は高く見やすい招待席があてがわれているため、そこまで周囲に気を使う必要はないのだが。
突然中央貴族の、公爵家を示す法衣を着た少女が現れたことにサーカス団は心底驚いていたが、さすがはプロである。公演はきっちりとやってのけていた。
そして1時間程度の公演は、玉乗りや動物ショーなどのあと、最後に空中ブランコを成功させ大盛況のまま終演となった。
「いやぁ、面白かったな~。ボクも玉乗りとかできるようなるかなっ?」
サーカスを見終わったセレマウたちは、また当てもなく芸術都市を歩きだす。
手を繋ぎらながら歩く紫、緑、黒の法衣の美少女3人組は、かなりの注目を集めているのだが、セレマウがそれに気づく様子はない。
「やめときなさい」
ユフィの冷たいツッコミを受けセレマウは少しだけ落ち込む。
「そうですね、お怪我される予想図しか浮かびません……」
真面目な顔でナナキも追撃を加える。
味方のない状況にセレマウは数秒だけ落ち込んでいたが、また何かを見つけると一瞬で立ち直り、二人の手を引きつつ駆け出し始める。
「わっ、急に走ったら危ないでしょっ」
慌ててセレマウの歩調に合わせだす二人だが、皇国軍人としての側面を持つ二人からすれば、セレマウに合わせることなど容易かったようだ。
「何か見つけられたのですか?」
「ほら、あそこ!」
セレマウの視線の先を追うと、路上で営業している絵描きが目に入った。
元々いた場所からは割と距離があったのだが、どうやら前の客が丁度終わった光景を見たようで、セレマウは走り出したのだった。
絵描きの座る周囲には、彼の作品なのか美しい風景画や、ウェフォール一座の役者を描いたものが多かった。
「おにーさんっ。一枚お願いしていいかな?」
「こ、これはこれはお美しい女神たち! 私のようなただの人間に、貴女方のような高貴な女神たちを描かせていただけるとは、光栄の極みであります」
突然現れた美少女3人組を前に、営業トークに緊張の色を滲ませながら、若い男性絵描きが慌てて筒状の椅子を用意し、3人を座らせた。
しかし、その3人が貴族位を示す法衣を着ているのだから、彼としては気が気ではないだろう。
芸術都市は貴族の来訪が多いとはいえ、紫の法衣など早々見るものではないのだから。
「失礼ながら、その並びでよろしいのでしょうか?」
法衣の色で判断したのであろう、当たり前のようにセレマウが真ん中に座ったことに疑問を抱く画家。
「ええ、この子のためにここにきたのだから、これでお願いするわ。綺麗に描いてね?」
紫の法衣を身に纏った桃色の髪の美少女の微笑みに、画家は思わずドキッとしてしまう。気品ある完成されたユフィの微笑みに胸を高鳴らせるな、というほうが無理のある、美しい微笑みだった。
娯楽を心から楽しむため、相手から公開されない限り素性をあえて聞かないのが芸術都市の暗黙のルールだ。
ユフィの答えに何も言わず従う画家には好感が持てた。
「絵描きなら首都にも高名な方がいますかが、こちらでよかったのですか?」
構図が決まったら黙々と仕事を始めた彼の邪魔をしないように、ナナキは小さな声でセレマウへ尋ねた。
「今がいいの」
「?」
「今が楽しいから、今描いてほしいの」
それはセレマウの心からの思いであり、意思の強さを感じる声だった。彼女の言わんとしたことが通じた二人は、黙って絵の完成を待つ。
真剣な表情を見せる画家は、若くともプロの迫力を見せていた。
いつもならじっとしていないセレマウも、この時ばかりはじっと絵の完成を待ち続ける。
ちらっと視線を配ったユフィに、画家の真剣さが移ったようなセレマウの真剣な横顔が映る。
画家の背後には美少女たちを描く画家がどのような完成を辿るのか、覗き見るものもちらほらと現れていた。
☆
そして、少しずつ日も暮れて来た頃。
「できましたっ!! 女神たちの美しさに私の感性全てが刺激を受けた、これは生涯最高傑作かもしれませんっ」
興奮冷めやらぬというように、勢いよく立ち上がった画家は3人に視線を配らせながら叫びだす。
背後に完成を眺めていた観客たちもその完成に拍手を送る。
「見せてっ見せてっ」
先ほどまでの真剣な表情から一転、楽しそうな笑顔を見せてセレマウは画家の方へ近づいた。
「わあっ……!」
彼から受け取った作品の中では、3人の美少女が街並みを背景に楽しそうに笑みを浮かべていた。
もちろんモデルとなっている間、3人は笑っていない。だが、まるで本当に笑顔を浮かべていたような、3人が楽しそうにしている姿を切り取ったような、美しい完成度がそこにはあった。
「あら、よく描けてるわねっ」
「ほんとに、これは素晴らしいです……!」
ユフィとナナキもその完成度に賞賛の言葉を贈る。
「おにーさん、その絵が最高傑作なの?」
長々と嬉しそうに画家の作品を眺め終わったセレマウが、何かを思いついたような顔で尋ねる。
「はい! 不肖ながら人物画の練習のためにこうして路上で描かせてもらっていましたが、あらゆる作品の中で、正直ここまで満足した作品はありません! これも貴女方のような女神をお会いできたからです!」
未だ興奮冷めやらぬようで、己の描き出した作品を見つめる画家にセレマウは受け取った絵を返却した。
「じゃあ、これを越える絵を描けた時に、その絵を頂戴」
「え、こ、この程度ではご満足いただけませんでしたか!?」
ここまで終始にこやかだったセレマウの行動に面を食らった画家は狼狽える。ユフィたちも「え?」とセレマウの真意を測りかねていた。
「ううん、素晴らしい作品だと思う。私の部屋に飾りたいくらい。でもおにーさんなら、きっともっとすごい作品ができると思うから、その絵で満足してほしくないの。手元において、それを越えるような作品を描いてよっ」
「……!」
その作品程度で満足するな、それはセレマウの期待と激励だった。それに気付いた画家は真剣な顔つきで頷いた。
「ボクに献上できるくらいになる日を、楽しみに待ってるからねっ」
身分を明かしていない以上、セレマウがどこの誰か分からないはずなのだが、画家の青年はまたいつか彼女に会えるだろうという確信を胸に抱いていた。
「不肖ながらこのアインス、そのお約束を果たすと誓わせていただきます!」
まさか自分よりも年下の少女たちに人生をかけても達成したい目標を定められるとは、彼女たちと出会う前のアインスは思ってもいなかっただろう。
だが、彼の目に新たな決意の炎が灯る。
「頑張ってねっ」
にこっとアインスに微笑みかけ、セレマウはその場を立ち去り、ナナキがそれに続く。
「アインスさん、貴方の名はこのユフィ・ナターシャが記憶致しました。何かあればナターシャ家を頼ってくださいね」
「ナ、ナタ――!?」
驚きのあまりそれは言葉にならない声となる。
「少ないけど、いいもの見せてくれてありがとう、これはお礼です」
驚いたままのアインスの手を開き、金貨を1枚手渡すとユフィもセレマウたちを追いかけた。
芸術都市はその才能によって収入は大きく異なる。アインスのような個人で絵を描き、売っている者など二日で銀貨1枚稼げればいいほうだ。
ナターシャ家という知らぬ者のない大貴族の名、莫大な報酬、美しすぎる少女たち、アインスは頭の整理をするまでしばらくの時間を要したが、その時以降彼の画家としての才能は大きく飛躍する。
後に彼が法皇お抱えの画家にまで出世するなど、今はまだ誰も思いもしなかった。
☆
「いい絵だったね~。なんか幸せな気持ちになったよ」
日もだいぶ暮れて来たこともあり、セレマウたちは芸術都市の宿へ向かった。
予約していたのは貴族御用達の最上級の宿の最上階の部屋で、そこで3人はいつものようくつろいでいた。
「そうね、心を温かくするような、いい絵だったわ」
「絵の中でも、あのようにお二方とご一緒させていただいたこと、嬉しく思います」
「ナナキは固いなぁ……ボクたちもうだいぶ前から友達だよ?」
「そ、そんなっ。滅相もないっ」
嬉しそうに頬を赤くさせながら、小刻みに手を振って否定するナナキが面白く、セレマウは笑っていた。
彼女にとってユフィとナナキはお世話係と侍女ではなく、友達なのだ。これはセレマウの中ではずっと前からそう思っている。
今日の画家とのやり取りを見ても思ったが、セレマウには自然体の時でも、法皇モードの時でも、人を惹きつける不思議な魅力があるとユフィは思う。
それは彼女の持つ天性の何かであり、誰でも真似できるものではないのだ。
「明日の舞台見終わったら、また塔に戻るのかぁ……」
明日はフィーラウネ公爵に予約してもらった、待ちに待ったウェフォール一座の舞台鑑賞の日である。
そしてそれは同時に、4日後に迫る法話のために、セレマウの見聞を広める旅も終わるということを示す。
明日の昼に観劇した後、そのまま芸術都市を出発し、2日後の夕刻には首都に戻っている予定なのだから。
寂しそうなセレマウの表情に二人は声をかけられなかった。
また彼女がこうしてのんびりと外遊できるようになるのは、果たしていつとなるのか。
ユフィにもナナキにも、セレマウ自身にも分からない。
首都での法話が終われば、各都市への法話巡業が始まるのだが、その巡業は公務であり、大司教を初めとした皇国首脳陣や数多くの護衛も同行することとなる。気の許せる3人での旅とはいかないのだ。
ずっとこの時が続けばいいのにとセレマウが思うことくらい許されてもいいだろう、彼女を大切に思う二人は、心の中でそう思うのだった。
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