第29話 交錯し出す運命
「おお……噂には聞いていたが、これはすごいな」
翌日の正午過ぎ。アーファたちを乗せた馬車は水の都近くの街道を走っていた。
街道からでも遠目に見える巨大な湖と、その上に立つ街並み。
カナン大陸でもここにしかない街並みに、思わず感嘆の声が漏れる。
「水の都と芸術都市は皇国における保養地として扱われておりますため、平和な街です。きっと陛下もお気に召すと思いますよ」
初めて見る光景に少しテンションが上がるアーファは、しきりに馬車の窓から水の都を眺めていた。
珍しく年相応の好奇心を見せる彼女に合わせるかのように、ゼロもルーもアーファの後ろからその光景を眺める。
「どうやって水の上に家建ててんすかね……」
「この湖は非常に塩分が強いので、木が腐らないのですよ。巨大な杭を大量に打ち、その上に建物の基礎を築いているだけです」
誰しもが思う疑問なのだろう。ゼロが口にした疑問に答えるアーデンは慣れた口調で説明していた。
「どうやって街中を移動するのだ?」
「各家庭がゴンドラを所有しておりまして、それに乗って移動を致します。車椅子はかなり不便な街ではありますが、ご了承ください」
「この湖の中って入れるんっすか?」
「入ることが出来る場所もありますよ。ただ、この季節はまだ水温が低いのでおすすめはできませんね」
予想の範囲内の質問につらつらと答えるアーデンはまるで学校の先生のようだった。低い水温と聞いたゼロは先日の川で濡れたことを思い出し、苦笑いを浮かべる。
「さぁまもなく馬車の預り所に到着致します。馬車は明日の出発まで置いていくことになりますので、お荷物の準備をお願いします」
アーデンの指示に従うまま、ゼロとルーが身支度を整え、アーファの着替え等も含めた荷物の準備を始める。
馬車を降りれば彼らはアーファを守る騎士ではなく、クラックス家に仕える、ファラ・クラックスの従者なのだ。
黒の法衣をまとうアーファも手鏡でウィッグの確認をし、万全を期す。正体がバレるという事態は最も避けねばならない。
ゆっくりと馬車が停車し、アーデンの従者の元黒のローブ1号2号が預り所で手続きをしに行く。
だが手続きもそこそこに慌てた様子で従者の一人が下車の準備をしていたアーデンらの下に戻ってきた。
「アーデン様、どうやらかなりの大物が滞在中のようです!」
何事かを確認すると、どうやら4頭立てのかなり豪華な馬車が預り所にあったのだという。馬を預かる厩舎には立派な白馬が4頭いたということもあり、アーデンはその大物に目星がついたようだ。
「白馬の馬車……となると、白を好むナターシャ家ですかな」
「ナターシャ家というと、あの大魔法使いの一族か?」
「左様でございます。ですが現在皇国は法話に向けての準備で慌ただしく、水の都を訪れている余裕などないと思うのですが……可能性があるとすれば、当主夫人でしょうかね……」
ナターシャ家についての記憶を引っ張り出して思案するアーデン。ナターシャ家当主は皇国軍最高司令官であり、次期当主は大司教の近衛騎士長、絶世の美女と噂されるご息女は法皇の付き人と聞いている。この時期に首都を離れるイメージはわかなかった。
よもやまさか法皇が首都を離れているなど露ほども思いつかず、残念ながらアーデンは間違った予測を立ててしまう。
「なるほど。それは会えるならばお会いしたいものだな」
そんなやりとりをしていると、手続きを終えた従者がアーデンらに下車を促し、彼は馬車を預り所へ動かしていた。
車いすへ移るのも慣れたもので、ゼロに手を取ってもらいながら、アーファは身体の弱そうなふりをして数メートル先の船着き場へ移動する。
「抱えていいっすか?」
「なっ……!」
車いすに乗ったままでは当然のことながらゴンドラに乗ることはできない。
想像以上に身体の弱い演技をするアーファに配慮したつもりのゼロだったが、アーファは少しだけ恥ずかしそうに考えていた。
「……許可する」
ゼロの配慮を汲み取ったアーファは、僅かに頬を赤くさせていた。
「では、失礼します」
得意のスマイルを浮かべたゼロがアーファをお姫様抱っこする形でゴンドラに乗り移る。
ゼロを信頼していないわけではないだろうが、アーファは頬を赤くさせたままゼロの肩へ腕を回し落ちないように必死になっていた。
――やっぱ軽いなー。
そんなアーファの気持ちなど一切気づかず、ゼロはゴンドラの中央部にアーファを座らせる。
続いてルーから車いすを預かりゴンドラに乗せる。
その後ルーとアーデンが乗り込み、最後にアーデンの従者たちがオールを持って乗り込んだ。
ゼロとルーはアーファを間に挟んで座り、3人が街並みを見やすいように、アーデンは後方に着席した。
「では、出発します」
ゆったりと動き出すゴンドラ。馬車よりも遅く、水面を移動する特有の揺れは、春風と合わさって心地よさを誘った。
湖の奥に見えるドーム型の屋根を宮殿はリトゥルム王国にはない建築様式だ。おそらくあれがこの街を治める公爵の住まいなのだろう。
船着き場からほど近い距離にある建物は民家程度の大きさだが、宮殿近くには遠目にも大きいと分かる屋敷が立ち並んでいた。
レンガ造りやベージュの外壁が目立つ中、白い外壁を持つ屋敷は宮殿に匹敵するサイズに見える。
「お父様、叔父様のお屋敷もこの街にあるのですか?」
ちらほらとすれ違うゴンドラが見受けられたからか、アーファはアーデンの子としての振る舞いする。お父様というには些か年が離れすぎているのだが、愛人の子、ということなので、有りなのだろう。
「いや、クラックス家の別荘はないのだよ」
黒髪の眼鏡をかけた身体の弱い美少女を演じるアーファが、普段では見られない穏やかな笑顔をアーデンに向けている。
アーデンも穏やかな表情で答えているが、ゼロとルーからすれば驚愕以外の何ものでもなかった。
やはり彼らが仕える女王アーファ・リトゥルムのイメージとは、年齢を感じさせない落ち着き払った冷静さを備える金髪碧眼の美少女なのだ。
本人なのだが別人のような演技に脳が混乱しかける。顔に出さないように二人は必死だった。
「今日は宿をとっているから、そちらに泊まるんだよ」
「そうなんですね、楽しみですっ」
きゃぴっ、という効果音が聞こえそうなアーファの笑顔が、彼女の従者たる二人にある種の恐怖を与える。
今日の振る舞いについて触れれば、誰かに話そうものなら、命はないかもしれない。そんな予感を思わせる。
そんな二人の心情など気にも留めずに、6人を乗せたゴンドラは水の都の建物が立ち並ぶエリアまで近づいてきた。
左右を見渡せばちらほらと営業中の雑貨屋や食料品店もあるようだ。
水の都は全ての食料を輸入に頼っているため、食料品の相場が高くなりそうな街ではあるが、別荘を持つ大貴族たちには維持費に加えて一定額の寄付金が要求されるため歳入が多く、住民たちが購入する食料品類へは街の歳入からの補助金が出るので、他の街と遜色なく購入することができる。
むしろ、貴族たちからの寄付金により生活水準は首都に次ぐレベルで高いと言える街なのだ。
生活の安定は心の余裕を生むのだろう、ゴンドラで行き交う人々も皆穏やかな表情を浮かべている者たちが多かった。
「いい街ですね……」
穏やかなアーファの囁きは、おそらく彼女の本心だろう。この国と戦争をしていることを忘れさせる光景が、この街には溢れていた。
「む、これは驚いた……ナターシャ家のご令嬢がおいでなさっていたのか」
のんびりと街を眺めていたアーファたちの耳に、アーデンの驚いた声が届く。
「反対側の通りを進むゴンドラが見えるかな?」
アーデンが指差すのは、枝分かれした商店街のアーファたちとは反対側を進むゴンドラだった。遠目にだが紫、薄緑、黒の法衣のまだ少女ともとれる3人が乗っているように見えた。
「紫の法衣が示すは公爵位。桃色の髪の少女が乗っているだろう? おそらく彼女はナターシャ家のご令嬢。傾国の美女と呼ばれるほど名高い美貌の持ち主だよ」
「ほほう……」
――桃色の髪……。まさか、な。
アーデンの示す方向に視線を向けながら、ゼロのみ少し違うことを考えていた。
皇国に入ってからちらほらと桃色の髪は見受けられる。
ナターシャ家といえば皇国でも最上位の貴族であり、リトゥルム王国どころか大陸全土に知れ渡る大魔法使いの一族だ。その大貴族の令嬢であれば、高い魔力を宿しているだろうが、常識で考えて戦場に出てくるはずがない。
この戦争下において水の都でバカンスに来るくらいなのだから、戦争とは無縁のとこにいるに違いないだろう。
「彼女は法皇の付き人と聞いていたが、法皇の法話巡礼が始まれば忙しくなるだろうし、法話前に暇でも頂いているのだろうなぁ」
「流石大貴族のご令嬢だな」
皇国を支える身分の家に生まれながら、状況を理解していない行動を取っていると判断したのか、思わずアーファは素がでていた。
アーファが変装していることにより、彼女の素性に気付く者がいないように、まさか法皇自身が侯爵位を示す緑の法衣を纏って水の都を訪れているなど、考え付く者などいない。
リトゥルム王国の女王とセルナス皇国の法皇、両国のトップが気付かぬまま近くにいたこと。
戦場のライバルとして決着のつかない戦いを繰り広げた仮面の少年とマスク女が近くにいたこと。
人知れず運命が邂逅したことに、まだ誰も気づいていないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます