少女は平和へ決意を語る

第16話 皇国領へ

リトゥルム王国内


 その後アーファたち一向の旅は順調に進み、王都出発から4日後の夕刻、国内移動最後の滞在地となる町へと到着した。

 この町は皇国の侵入を防ぐ要の防衛砦にほど近くに作られた国境警備隊の兵士たちが住む町で、規模は小さいが多額の助成金が与えられた裕福な町である。

 防衛砦から東西には長く防衛壁が築かれており、この砦を通過しなければ皇国には入ることができないようになっている。


 初日の夜以降、アーファが取り乱すこともなく、どの町の夜も平和であった。

 この間にルーは経典を読破し、ゼロも内容を教えてもらうことで何となくカナン教について理解を進めた。

 カナン神に対する祈り、相互扶助精神、魔法は神の恩寵、巡礼義務、これらのワードはリトゥルム王国にはない文化であった。特に巡礼義務により毎年の終わりのひと月の間に、信徒たちは首都にある約束の塔を訪れることが定められているという。宗教的なイベントなのだが、他国のアーファからすれば、「経済効果が高そうだ」という認識である。

 人の移動は時間と労力とともに金がかかる。冬場に野営をするのは避けたいだろうし、それで宿場町が利用されれば町が潤う。首都から遠ければ遠いほど費用は嵩むが、その点は補助金が配布されている点も巧みな政治だと思われた。

 道中にその話題になった際、宗教とは便利だな、と皮肉ながらに言っていた時のアーファの悪そうな顔は印象的であった。


 そしていよいよ国境を越える日。防衛砦から十数キロ北上したあたりにて。


「さて、ここまでの護衛大儀であった。諸君らには有事に備えここに滞在していてもらうが、異変の際は諸君らの団長に従え」

「はっ。御身の御無事をお祈り申し上げます」


 ここまでは馬車3台で移動してきた。だが、国境の先を馬車3台で進むのはさすがに目立ちすぎる。国内移動では行商を装う体をとったが、皇国で行商を行うには許可証が必要との情報もあり、リスクが高い。

 そういうわけで、アーファは馬車を操縦してくれていたロートリッターの3名を労った。ベテランの彼らは慣れたように敬礼を捧げる。

 ここから先は荷物を最小限にし、戦火から逃れるカナン教の信徒に扮する予定である。


「陛下のことをお頼みします」


 アーファの乗る馬車を操縦していた、一番ベテランのロートリッターはゼロの肩へ手を置き、思いを託す。


「もちろんっす」


 20年以上の戦歴を持つロートリッター騎士たちは、ベテランと呼ぶにふさわしい騎士たちだ。ロートリッターは王国上位兵を示す騎士団であり、相応な努力の結果が築いた結果に他ならない。だが彼らは実力の上でゼロやルーに及ばないことを自覚している。

 平民上がりの彼らと貴族であるゼロやルーでは、生来の魔力量と幼い頃から受けてきた教育の質が大きく異なる。この差は早々埋められる差ではないことを、彼らは自覚しているのだ。

 リトゥルム王国の一部の貴族たちは大陸東部に伝わる神話に登場する神々の末裔と言われている。

 事実、神話に登場する神々の名と同名の貴族家も存在する。それが真実なのか、貴族家の名前が神になったのか、それは今では誰も分かることではないが、一部の貴族が生来の魔力量が多かったのは事実。

 魔力量は遺伝されることから神話に登場しない貴族家も神話に登場する神々の名を冠する貴族家の者と子を為すことが繰り返された結果、今では「貴族=高魔力」という図式が完成している。

 もちろん魔力は精神力でもあるため、平民でも鍛えることで伸びしろはあるのだが、鍛えたとて貴族が持つ生来の魔力に追いつけないことが大半だ。

 魔力量は魔法を使うことにはもちろん必要であるが、武器に魔力を乗せることで魔法攻撃を防いだり、攻撃に転用したりと、魔力の高さがそのまま強さに直結する要素となる。

 そしてそれを扱うための技術も貴族は幼い頃より専門の教育を受けるため、貴族と平民の生まれの違いは、その者の強さを大きく隔てさせる要因となるのである。

 とりわけゼロ・アリオーシュという少年は貴族と平民の違いを見せつける象徴的な存在だ。

 現在のリトゥルム王国以前の小国時代から、アリオーシュ家は脈々と続く由緒ある貴族家だが、アリオーシュの名は神話においては闘神アリオーシュとして登場し、数々の怪物を倒した英雄として伝承されている。

 神々の末裔なのか、神々の名になったのかは分からないが、いずれにせよアリオーシュの名は強さの象徴。

 それに加えてエンダンシーという規格外の武器を持ち、平民上がりの兵とは次元の違いを見せつける存在として王国内では知られている。


 幾多の戦場を経験した他の王国七騎士団の団長たちに比べ、ゼロはまだ下位の実力だが、彼の伸びしろを考えればいずれは王国最強も見えてくるだろう。彼の父がそうであるように。

それゆえ。


「必ずここに戻ってきますから」


 ゼロはその期待に応えるべく、未来を断言してみせる。約束や期待は重圧にもなる。

 だが、それに応える義務が自分にはあるのだとも思う。アリオーシュ家に生まれたこと、期待されていること、年下のアーファの涙を見たことは、ゼロを少しだけ大人に成長させていた。


「御武運を!」


 ロートリッターの騎士たちがゼロとルーへ敬礼を捧げる。


「うむ。では二人とも、ここからクラックス侯爵に出会うまでこれに着替えろ。私も衣装チェンジだ」


 そう言って手渡されたのは黄色く染色された法衣だった。カナン教における、一般市民の正装だ。

 ご丁寧にかなり使い込まれたような色合いや破れが見受けられる。戦火から逃れたカナン教の信徒、という設定がうまく反映されているようだ。


 予定では今日の夕刻前には予定の合流地に着く手はず。アーファから皇国潜入計画を言い渡されてから10日目。

 10日前には想像もしなかった場所へついに踏み入れる。


 与えられた法衣は見た目以上に動きやすい素材で作られており、いざと言う時を想定していると思われるその法衣は、二人の気を引き締めた。 


「よし、では出発だ」


 宿の入り口でアーファを待つ二人に、彼女の声が聞こえてくる。


「……まじかよ」

「そ、それで、いくんですか?」


 5日前にもばっさりとアーファが髪を切って現れたことで衝撃を受けたが、今日もまた予定外の姿となった彼女が登場した。

 リトゥルム王家の一族は代々金髪碧眼で生まれてきており、ゼロにとって陛下とはそういうイメージを抱いていた。だが着替えを終えたアーファは肩より少し長いくらいの黒髪になっていた。この旅の間つけている眼鏡は健在だが、やはり髪型というものは大きくイメージを変えるもののようだ。

 そして彼女が両手で押してきたのは、簡単な座椅子の両側に車輪がついた、いわゆる車いすだった。王都でも時折目にするが、足を悪くした者、病気や高齢の者が使用しているイメージだったが、アーファは当たり前にようにそれを持ってきて、そこに座った。


「お前らの髪の色に合わせたほうが、同じ村から逃れてきたと思われやすいだろう。ここまでは行商を装ったが、この先はバハナ平原の集落からの避難民だからな。それにこの方が同情も引きやすかろう」

「いや、色々言いたいことはあるんすけど」

「これはゼリレアの提案だぞ?」


 まるで玉座に座っているかのような座り方に、ゼロとルーは苦笑いを浮かべていたが、アーファの言葉にゼロは何とも言えない表情へ切り替わった。


「クラックス侯爵家も黒髪だというからな。リスクはできるだけ下げる」

「……御意」


 よくよく見れば黒髪になったとて、彼女の美しさは変わることなく、彼女の美少女然とした雰囲気が変わることはない。むしろゼロたちの方が、見慣れない美少女に少しぎこちなくなりそうである。

 ゼロが車いすを押す形で出発する。見た目は安物の車いすなのだが、どうやらこの車いすもクッション性のある車輪がつけられた王都の一品のようであった。街道とはいえ進むのは土の道だが、これならば彼女の負担も少ないだろう。

 歩いたほうが疲れないのでは、ということは考えないことにする。


 ここまで馬車に積んできていた着替えなどの荷物は全て置いていき、今は着の身着のまま、という形で3人は進んでいた。ルーが背負うリュックサックに万一に備えた野営用のテントと食料と水がいれられている。


 法話まであと10日。まずは無事にクラックス侯爵とやらに出会えるよう、3人は歩を進めていった。



 数刻歩き、時刻はおそらく正午を回った頃。

 まもなく国境を越える予定であったのだが、3人が進むバハナ平原を貫くように作られた街道から少し逸れた大木の下で、一向は足止めを食らっていた。


「通り雨っすかね~」


 野営用のテントは大きな雨粒に打たれ、そばにいても話し声は聞き取りづらい。

 梅雨時期はまだ先で、この時期は比較的快晴が続くはずなのだが、人間には天候を操ることはできない。急な大雨に慌てて近くにあった大木の下へ駆け込み、テントを設置してから既に30分以上が経過していた。


「侯爵との約束の日は今日なのだ。ある程度強行軍となっても、今日中に進まねばならぬ」


 この雨の中でも進もうとする意思を見せるアーファに、ゼロとルーは少し困った表情を浮かべた。

 見た目こそ薄汚れた法衣だが、王都の職人の技術により作られたであろう3人の法衣は、水をはじく加工がされている。それゆえにアーファは進もうと思っているのだろうが、戦場を経験している二人の思いは別だ。

 雨は体温を奪い、衣類や荷物に重みを与え、靴を濡らし不快感を覚えさせ、体力を減少させる。これから油断ならぬ場所へ進んでいくのだ。やはり強行軍は躊躇われた。


「もう少し待ちましょう」


 はやるアーファを諭すようにルーが進言するが、まだ見慣れぬ黒髪の美少女の不満そうな表情にルーは緊張を隠せない。


「そもそもこの雨じゃ、ちょっと“それ”はしんどいっすね」

 ゼロがテントの入り口付近に置かれた車いすを指差す。街道は土だ。この雨でぬかるみもできているだろう。車輪がとられてしまう可能性も高い。

 理屈で分かっているものの、感情として不満を露わにするアーファにゼロがわざとらしくため息をつく。


「しょうがねぇなぁ。ある程度道が回復するまで、俺がお嬢を背負うから、ルーはそれと荷物、頼むわ」


「な、なんだと?」

「早くいかなきゃならないんすよね? なら道の回復なんて待ってらんないじゃないっすか」


 実際のところ、車いすさえなければ、アノンを傘の形状に変化させて進むこともできたのだ。だが、男性従者二人と車いすがクラックス侯爵に伝えている特徴ということで、車いすを外すことはできない。

 だが想定外のゼロの提案にアーファは不満気だった表情を慌てた表情へと変化させていた。


「たぶん、あと四半刻もすれば雨は弱まると思うんで、そうなったらゼロの提案通りで出発しましょう」


 法衣の水滴を拭きながらルーがゼロに案に賛同する。どうやらゼロがアーファに説明している間、テントから出て空の確認を行っていたようだ。遠くに少しずつ晴れ間が見えてきたらしい。


「……丁重に扱えよっ」

「仰せのままに」


 少し頬を赤らめて言い放つアーファにゼロは得意のスマイルを浮かべて答えるのだった。

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