第15話 まるで別人

 翌日――塔を出発してからだと2日後――の昼過ぎ、セレマウを乗せたナターシャ家の馬車は工業都市へと到着した。


 昨夜は夕食のあとユフィから魔法を伝授され、魔法の実践という名目で町の露店で買い食いを試みた。そして宿に戻ってからはセレマウのわがままにより3人で一緒に入浴をし、夜遅くまでパジャマパーティという、学生の修学旅行さながらの査察要素0の時間を過ごした。

 

 そして現在。そんな夜更かしがたたったか、再びの移動となった馬車内でセレマウはずっと熟睡している。

 馬車内のベッドで寝ることを固くなに拒み、ソファーでユフィの膝を枕に眠り続けたセレマウはまるで幼い子どものようだった。

 

 優しい手つきでセレマウの美しい黒髪を撫で続けていたユフィだが、馬車が泊まったことに気付き、優しくセレマウの肩を叩く。


「ん……おあよぉ……」

「おはよう、もうすぐお仕事の時間だよ」

 

 舌足らずな言い方になってしまった彼女を愛おしく思いながら状況を知らせる。

 たった今到着した工業都市は皇国軍に支給される武具を生産している重要都市であり、首都から最も近い距離に作られた街でもある。


「本日は工業都市を治めるヴェーフェル公爵と会談を致したあと、本日の宿へ向かいます」


 工業都市の入り口で入場許可を取り終えたナナキが二人へこの後の予定を伝える。


「あれ、公爵家に泊まるわけじゃないんだっ」


 驚きながらも嬉しそうに声を弾ませるセレマウ。貴族の屋敷に泊まるとなると、昨夜のように気を抜くことはできなかっただろう。


「訪問許可を取ったのは私名義だけど、私とナナキと一緒に行動している、というだけでヴェーフェル卿もあなたが法皇セルナスだと分かってるだろうからね。夕方くらいまではお仕事って割り切ってもらうけど、その後は国内の査察ってことだから、民間経営の宿に泊まりにいくと伝えてあるのよ」


「ありがとっ。それくらいならボクも頑張るよっ」


 そもそもが慰安旅行というわけではなく、セレマウが皇国を知るための査察なのだが、普段の彼女を知るユフィとナナキは、なるべくセレマウの負担を減らしたいという方針で今回の行程を考えた結果だ。前向きになったセレマウにほっとする。

 また動き出した馬車から、セレマウはしきりに周囲を見渡していた。 


「独特な匂いの街なんだね~」


 燃料と木材の香りが混合した匂いの立ち込める工業都市は、実に人口の7割が工業従事者という工業に特化した街である。武具はもちろんのこと、貴族御用達の家具やガラスなど、生活に馴染むものの多くもこの街で作られている。

 ほとんどの建物が万が一の燃焼を防ぐためか木材を使わない建物となっており、街並みは無機質に見えるのも、この街の特徴である。

 馬車が進む大通りの道路はコンクリートという首都でも見たことのない材料で作られており、石畳のようなつなぎ目がなく、馬車の揺れを極限にまで減らしてくれていた。

 職人たちのプライドを端々から感じる、そんな街だ。

 窓から街並みを見続けるセレマウをつれて、一向は遠くに見えるヴェーフェル公爵の屋敷へと向かっていった。



 工業都市の入り口から1時間ほど進んだ頃だろうか、馬車は再び動きを止めた。


「お待ちしておりました」


 礼服姿の初老の男性が、到着した馬車へ近づき深々と一礼した。

 ナナキが男性へ一言声をかけた後、馬車を屋敷の者に預け、馬車の降り口を開ける。

 先に降りてきたのは、紫色の法衣だった。ユフィが馬車を下りた後、純白に金のラインが入った法衣に薄緑のヴェールをまとった黒髪の美少女が馬車を下りる。


「急な来訪を受け入れていただき、ありがとうございます」


 軽く一礼をするユフィ。中央貴族であるナターシャ家の方が格は上だが、一都市を預かる公爵家への礼儀を示す。


「大儀である」


 それに続きセレマウが一言発すると、3人を迎えた初老の男性はその場に片膝をつけて跪いた。


「おお、法皇様の御身を拝見できましたこと、恐悦至極に存じます」

「よい、面を上げよ」


――こればっかは、いつ見てもさすがね……。


 仕事モードのセレマウ、いやセルナス・ホーヴェルレッセン89世は無表情を貫く。

 この3年間でセレマウが身に付けた技術であり、まるで別人。知ってはいるものの、見慣れぬセレマウの姿にユフィも舌を巻く。


 15歳という年齢も知られていないため、それよりは上に見えているだろう。


「法皇様は工業都市の現状と今後について、ヴェーフェル卿のお話を伺えればと思います」


 セレマウの侍女として要件を伝えるナナキに頷き、初老の男性が屋敷の入り口を開ける。


「どうぞこちらへ、奥にて旦那様がお待ちです」


 先ほどまで子どものように熟睡していた様子など欠片も見せずに、セレマウはユフィに続き屋敷へと入って行く。そのセレマウを挟む形でナナキが続く。屋敷の中には美しい絨毯がしかれ、壁には名のある画家が描いたであろう絵画、典型的な貴族の屋敷だった。

 初老の男性に促されるままに応接室では、部屋の奥にてヴェーフェル公爵が椅子に座らずに待っていた。


「お初目にかかります、法皇様、この度はこのようなむさ苦しい街までお越しくださり、誠にありがとうございます」


 深々と頭を下げた公爵は恰幅のいい中年の男性だった。白髪が混ざり始めた黒髪は刈り上げられ、顎に蓄えられた髭の丸顔は、どことなく愛嬌があるように思えた。


「ナターシャ卿のご令嬢の御美しさはこの街へも広まっておりましたが、法皇様も先代法皇様に劣らず、なんとお美しい姿か――」

「世事はよい。本題へ移ろう」


 公爵としては少しでも法皇とお近づきになりたいとの思惑もあったのだろうが、別人格を疑いたくなるほどセレマウは公爵の言葉を遮り、本題を求めた。

 彼がセレマウの容姿を称えたのは本心からのことであったのだが。

 事実、純白の法衣とセレマウの美しい黒髪の対比は幻想的ですらあった。


 各々が着席し、メイドたちが紅茶とケーキを用意し終わったところでヴェーフェル公爵はゆっくりと話を始める。


「ご依頼のあった皇国魔導団用の軽鎧1000組は予定通りの納入出来るでしょう。また皇国兵の武器強化実験も順調に進んでおり、従来の鋼よりも軽量で強度の高い鋼の開発もまもなく目途が立ちそうです。他にも……」


 つらつらと工業都市に出された依頼の進捗状況、現在の開発状況を話し出す公爵。

 公爵と向き合う席にセレマウが座り、その右隣にユフィが座る。侍女として列席しているナナキは椅子には座らず、セレマウの斜め後ろに立ってメモを取りながらその話を聞いていた。


 その後1時間ほど公爵の話は続いた。ユフィとナナキは時折相槌を打ったり質問したりしていたが、セレマウは表情を変えずに話を聞き続けていた。そうして話が区切られそうなところでようやく彼女が口を開く。


「ヴェーフェル卿、戦争はいつ終わると思う?」


 その質問にユフィとナナキがはっとした表情を浮かべてしまう。普段の彼女はまるで威厳がなく、頼もしさなど皆無で、国の行く末は人任せにしか見えない。

 だが、いかに戦争を優位に進めるか、これからの戦いでいかに新たな兵器を生かすかについて語る公爵と、それらについての作り方や運用方法、必要経費を尋ねていたユフィたちと、彼女の視点は明らかに異なっていた。


 セレマウはを踏まえた上で、を尋ねたのである。


 平和への道筋を探す一歩先の視点、ユフィはセレマウの中に国家元首の片鱗を見た気がした。


「いつ、ですか……。それは難しいご質問ですな……」


 だが、残念ながら公爵はセレマウの質問の意図を捉えきれてはいなかった。公爵が考えたのは工業都市で製造された兵器が実戦で活用され、他国を蹂躙し始めるまでの時間である。


「神が約束するのは全ての人々の幸福だ。幸福のための開発を私は望む」


 具体的なことは一切言わない辺りが読み切れないが、セレマウは様々な想像を公爵へ与えた。都市を預かる彼であれば、法皇が何を望むのか、考えればいつしか見えてくるものもあるだろう。


「貴重な時間であった。これからもカナン神及び皇国全土のために励まれよ」


 一方的に会談を打ち切り、セレマウが立ち上がる。その一挙一動が優美さを備えているようで、彼女の動きに合わせて揺れ舞う法衣もまた美しさを感じさせた。

 彼女の動きに慌ててナナキが対応し、応接室を出ていくセレマウのためにドアを開く。ヴェーフェル公爵も慌てて立ち上がりセレマウを見送ったが、二人が退室後もユフィは一人扉の前で立ち止まる。そして改めて彼女はは公爵の方へ振り返った。


「新たなエンダンシーは生み出せそうですか?」

「残念ながら、科学者たちを集めても、その目途すら立っておりません。いつ、いかなる工程で生み出されたのか、エンダンシーに宿る意思は何者なのか、今後も研究を続けさせて参ります」

「よろしくお願いします」


 一礼し、今度こそ退室するユフィ。ここまで話を聞き、ヴェーフェル公爵は都市全体のことを把握している、良い領主だと判断してよいだろう。己の保身のための統治ではない、都市で働く人々を誇りに思い、皇国のために貢献することを目指す姿が感じられた。


「……中央貴族の話と全然違うではないか……!」


 ユフィの姿も見えなくなったところで、ヴェーフェル公爵が脱力したように椅子に腰を掛けた。全身から冷や汗が噴き出るのを感じる。恐怖感ではないが、得体の知れない、自分の腹の中を探られているような感覚がずっとまとわりついた時間であった。


 法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世は傀儡法皇であり、無能。

 実権はコライテッド公爵と大司教が握っているようなもの。

 

 それが公爵が事前に仕入れていた情報である。警護役のユフィこそナターシャ公爵家の令嬢で切れ者と聞いていたが、ユフィ以上に法皇こそが警戒すべき相手だったと痛感する。

 あの美しき少女のような法皇ならば、他国をも支配し、彼女の理想を実現できるのではないかと錯覚してしまう。


「……開発部門への資金を増やせ。魔導兵の開発を進めるぞ……!」


 この訪問によりセルナス皇国の工業発展が加速していくとは、この時はまだ誰も気づいていないのであった。



「うあ~。疲れた~」


 法衣を脱ぎ、上半身は下着姿のまま、ヴェーフェル公爵家を離れ出発した馬車の中でセレマウは脱力していた。


「中途半端な着替えで終わらせないのっ」


 さっきまでの姿はどこへやら。完全に脱力し切った姿を見て、彼女が潜在的に王の素質を持っていると感じた気持ちが吹き飛びかける。


「あのケーキ美味しそうだったなぁ~」


 ソファーに寝転びながらそんなことを言う彼女はただの15歳の少女以外の何者でもないように見える。


「しかし、よくあんなに長い話を理解できたわね」


 叱られてしまったため、ゆるゆると薄緑の法衣に着替え始めた姿を確認して、ユフィは正直な感想をセレマウに投げかけた。


「そのくらいボクだってできるよー。でも大砲の小型化とか、すごい開発進めてるんだねぇ」


 さらっと“そのくらい”と言ってのけたが、正直ユフィは全ての話を覚えている自信がない。

 大砲の小型化の話は中盤で出てきた開発中の兵器の話題だったはずだが、公爵の話の後半に登場した魔導兵の話が興味深すぎて、今セレマウに言われるまで忘れてしまっていた。

 想像以上のセレマウの記憶力に、ユフィは純粋に驚くばかりである。

 普段の怠惰で無邪気な姿で忘れがちだが、彼女も皇国の御三家で生まれた、由緒正しい出自なのだ。

 法皇になるとは考えられていなかっただろうが、幼い頃より受けてきた教育の質は国内でも最上位に値する。

 腹立たしくもコライテッド公爵を初めとする一部の中央貴族たちが、陰では彼女を無能と蔑んでいるのは知っているが、騙されているのは彼らのかもしれない、そう思えた。


「なんで、いつ戦争が終わるかを聞いたの?」


 着替え終わったセレマウに、真剣な表情でユフィが問いかける。


「ん~? だって、兵器はどう使うじゃなく、何のために使うが大事でしょ? 目的は戦争に勝つことだろうけど、勝ったらそこで世界が終わるわけじゃなく、そこから新たな世界が始まるじゃん。今じゃなく、未来でも意味のある開発をしてほしいからさ。その時のためのことも、少しずつ始めて欲しかったんだよね」


 やはり、とユフィは背筋がぞくっとする思いを感じていた。

 お世話しなければいけないと思い込んできたこの少女は、法皇なんかやりたくないと言いつつも、自分の立場を理解し、少しでも役に立とうと決意しているのだ。

 セレマウの視点には“現状打破”だけではない“これから先”が備わっていた。

 ヴェーフェル公爵にその真意が届いたかどうか定かではないが、彼はおそらく約束の塔で権力を得たとふんぞり返っている貴族や大司教とは違い、法皇のすごさを痛感したであろう。

 この3年間を、彼女はのほほんと過ごしてきたわけではないのだ、怠惰で無邪気な妹分が、実は大きく成長していたことを実感し、ユフィは嬉しいような、少し寂しいような、なんとも言えない気持ちを胸に抱くのだった。

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