第14話 少女の幸せ

 時刻は遡り、セルナス皇国にて。法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世が首都を出発した日の夕刻。


「今日はこちらにて宿泊となります。どうぞゆっくりとおくつろぎください」


 ナナキが馬車を止めたのは、首都から馬車で50キロほど離れた宿場町であった。この町につくまでの中間点に首都から最も近い宿場町もあったのだが、そこを飛ばしてこの町に来たのは事前にユフィとナナキで打ち合わせておいた通りだ。


 法話前の法皇がまさか訪れるなどとは言えなかったため、ユフィ・ナターシャが訪れるという名目で宿は予約されていた。宿側からすれば法皇もナターシャ公爵家も、雲の上の存在なのは言うまでもないから、対応に差異は生まれないだろう。


「お待ちしておりました」


 白い外壁が美しいその宿屋は一見して高級な宿であることが見て取れた。従業員総出でお出迎えをしているのだろう。馬車の降り口前には十数名の者たちが深々と頭を下げてユフィたちに歓迎の意を示していた。


 カナン教の信徒たちは法衣に身を包むのが慣例だが、位に応じて身にまとう色が変わってくる。

 最高位の法皇及び御三家の人間や大司教は純白の生地に金のラインが施された法衣に身を包み、公爵家相当の者が身に纏うのが紫色の法衣である。

 以下侯爵家相当の者は緑、伯爵家相当の者が青、子爵家相当の者が黒、男爵家相当の者が赤、一般信徒たちが黄色の法衣を着用する。

 法衣の材質はその資産状況に応じて選ぶことができるが、貴族の爵位を持つ者たちは概ね絹製の法衣を纏うのが一般的だ。


 本来であれば白の法衣を身に纏うべきセレマウが、今回は薄緑の法衣を纏っているのはその身分を隠すためである。

 つまり宿側からすれば、法衣で判断して今回の客人の中で最高位は紫色の法衣に身を包むユフィということになる。


 馬車を停車させ、馬車の降り口をナナキが開けたところで先にセレマウが降りてきて、それにユフィが続く。本来であれば逆の順序だが、こういう場では形式法衣の色は重んじるに越したことはないのだ。


「わぁ……!」


 わくわくとした表情で瞳を輝かせたセレマウに苦笑しながら、ユフィが宿の者たちと挨拶を交わす。紫色の法衣など、首都での法話に参加しなければ一生お目にかかれない者もいるレベルだ。

 慎重に対応しようという心意気に、ナナキは好感を持っていた。

 

 今回の国内査察で立ち寄る宿屋は3日前に全て手配を終えている。行程を踏まえてどこに宿泊するか、調べるのに丸2日かかったが、セレマウの安全のためとあってそれは必要な労力だったといえよう。

 案内されるままに宿の中に入った3人は、それぞれが別の部屋へと案内された。

 が、3人一緒がいい、というセレマウのお願い――わがまま――により、一番大きな部屋に案内されたユフィの部屋に3人が集まる形となるのだった。


 部屋におかれたキングサイズのベッドは、まだ15歳の少女一人と16歳の少女二人が眠っても余裕のある大きさだ。

 そのベッドの真ん中に大の字になって楽しそうに寝転ぶセレマウに、ユフィとナナキは安心したような笑みを浮かべていた。

 

 ここは中央貴族たちの視線もない。解放された空間なのだと、セレマウの表情が伝えてくる。日常が籠の中の鳥である彼女にとって、これ以上ないくつろぎとなっているのだろう。


「このままずっと3人でいたいなぁ……」


 その言葉は望んでも叶うことのない夢だが、口にすることだけは許してあげて欲しい。ユフィもナナキも、皇国においてある程度の立場にいる存在だが、セレマウはその比ではない。

 ユフィもナナキも生家のために、いずれは誰かしらの貴族家へ嫁ぎ、軍属を離れ、塔を離れる日がくる。

 だが法皇は生涯を未婚で過ごし、神のためにその身を捧げることが決められている。次期法皇に法皇位を譲位するまで、彼女はずっと塔の中で過ごさねばならないのだ。


「ねっ、二人もおいでよ~、ふかふかだよ~」


 馬車の中では終始しゃべるか外を眺めるかしていたセレマウは、久しぶりの外出の疲れを感じさせず、楽しそうな表情を浮かべながら両手でばふばふとベッドを叩いていた。


「しょうがないわね」


 やれやれ、といった風にユフィはセレマウの左側へダイブした。


「ナナキも、きてっ」

「し、しつれいしますっ」


 礼を重んじるナナキも、セレマウのお願いには勝てず、迷ったあげくセレマウの右側へそっと寝転んだ。

 桃色、黒色、赤色と色とりどりの髪色をした美少女たちが川の字になってベッドに寝転ぶ姿は、世の男性たちが見たならばたまらない光景であっただろう。


「一日馬車の運転ありがとねっ」


 笑みを浮かべ、真っ直ぐに相手の目を見ての本心からの謝意は、ナナキの心にすっと沈み込んでいった。この笑顔が見られたのであれば、これ以上ない喜びとなる。

 セレマウの即位にあたり、ミュラー男爵家の出世のためにセレマウと年の近い存在として法皇の侍女に送り込まれたのが当時14歳のナナキだった。

 本人は幼少期からの訓練により軍属前ながら魔法騎士としての腕前も認められ、皇国近衛兵になるという道もあったのだが、コライテッド公爵に取り入ったミュラー男爵の一声で、彼女はセレマウの侍女となったのである。

 就任当初はミュラー家のためと思い渋々引き受けた役割であり、怠惰なセレマウに対し納得のいかないことも多く、ストレスの多い仕事だと思っていた。

 しかし身分差を感じさせずに話かけてくる彼女の人となりを知り、同年代のユフィからもセレマウの境遇を聞き続けた末、常に他者を気遣い、優しく接する、まるで一国の主たる気配もない少女のことが大切になっていた。

 セレマウの笑顔は威厳など欠片もないが、相手の心を解きほぐす力を持っている、そう思う。


「もったいないお言葉です……」


 セレマウは身分を気にせず、誰にでも優しい。怠惰で臆病なところもあり、国政に対して強く物申す中央貴族相手に対しては言いなりになるところもあるが、ユフィやナナキにとっては最上の主君と言える存在であった。

 だからこそ、彼女に害為す者があれば、躊躇いなく戦う決意が二人にはあった。主従を越えた友情が、3人にはある。


「法皇なんかになったのは嫌だったけど、二人に会えてよかったな~」

「“法皇なんか”なんて、外で言う言葉じゃないわよ」


 セレマウのぼやきに苦笑いを浮かべてツッコむユフィ。


『セレマウ様、私もおりますよ?』


 続けてユフィの右手首についた白いブレスレットからも声が響く。


「あ、ごめんね、ユンティにも会えてよかったよっ」


 人ならざるものに対しても優しく接する彼女の性格は、生来のものなのだろう。皇国東部がいかに平和か、その一端が見えてくる気もする。

 そんな時、満足そうな表情を浮かべ続けるセレマウのお腹から可愛らしい音が響く。


「あっ」


 恥ずかしそうに上体を起こすセレマウに合わせ、二人も上体を起こして顔を見合わせて笑う。


「食事のお願いをしてきますね」

「うん、ありがとっ」


 起き上がって宿屋の者へ連絡に向かうナナキに対し、セレマウは再び笑顔で感謝を述べるのであった。



「おぉっ! すごーいっ」


 宿屋の従業員から食事の用意ができた旨の連絡を受け、食堂へと移動したセレマウたちは宿屋の提供する食事に感嘆の声を上げた。

 いい具合にトーストされた食パンに、皇国特産のカボチャのスープ、スモークされたチキンと葉物野菜のサラダに、ミディアムレアに焼かれた牛肉のステーキと一般庶民ではなかなか手の届かない豪華な食事だ。


「食後にはフルーツケーキとお紅茶を用意しておりますので、お気軽にお声かけください」

「はい、ありがとうございます」


 給仕終えたメイド服姿の女性にユフィがチップとして大銀貨紙幣を16枚渡す。

 セルナス皇国もリトゥルム王国同様独自の造幣局を持ち、同程度の物価の国家であるが、皇国では兌換紙幣の文化が進んでおり、10銅貨に相当する大銅貨紙幣と、10銀貨に相当する大銀貨紙幣、10金貨に相当する大金貨紙幣が存在する。銅貨と銀貨、銀貨と金貨の換金レートはリトゥルム王国と同様だが、紙幣がある分大量の貨幣を持たずに済むのが皇国の利点である。

 今回ユフィが渡した16枚という枚数は、給仕の女性から聞いたこの宿の従業員の総数に等しい。給仕した女性だけでなく、全員に渡せるようにとの計らいであった。

 この宿の宿泊費は一人当たり銀貨3枚という高級宿であり、貴族御用達の宿ではあるが、チップとして大銀貨紙幣を人数分渡される経験は給仕の女性としても初めてであった。

 その金額に対する驚きを隠しつつ、給仕の女性が一礼して下がったところでセレマウがナイフとフォークを持ち、早速食事に手を付けようとするが、ナナキが慌ててそれを制した。


「セレマウ様! ここは私が先に毒見を致しますので、お待ちくださいっ」


 小さな声で伝えられた言葉に、セレマウは少しだけ悲しそうな顔を見せる。


「そっか、ボクに何かあったら怒られちゃうのナナキだもんね、ごめんね、気が付かなくて」

「そ、そういうわけではございません……! もし御身に何かあったとなれば、私が悲しいのです」


 セレマウの表情に困惑するナナキだったが。


「でも、ナナキに何かあったら私も悲しいから、おあいこだよ?」 


 と無邪気なまでの素直さでセレマウが言葉を返した。二人のやり取りを聞いていたユフィは堪らず笑ってしまった。


「二人とも、この料理は大丈夫。安心していただきましょ」


 そう言ってユフィがスープに口をつける。その姿にナナキがまた慌てた様子を見せたのだが、ユフィはにやりと笑って見せるのだった。


「魔法って、便利なのよ。成分を見抜くことだってできちゃうんだからね」

「そ、そんな魔法まであるのですか……」

「え、それはボクも知りたいっ」

「ふっふっふ、魔導書庫の本は読みつくしたからね。皇国の魔法で私が知らない魔法なんて、ほとんどないわよ。確かにこの魔法覚えたら便利だから、セレマウにもナナキにも、あとで覚えさせてあげるね」

「やった~」

「あ、ありがとうございますっ」


 ユフィの万能さを痛感しつつも、二人も彼女を信じ食事を始めた。

 普段の約束の塔での食事は味こそ保証されているが、一人で食べることがほとんどのため、セレマウはここでも誰かと食事できることに満足そうな笑みを浮かべていた。

 後で覚えさせてあげる、とユフィは軽く言ってのけたが、実は相手の脳に直接魔導式を書き込むというのは、魔導式について完璧に理解していなければできない芸当であり、並の魔法使いに出来る芸当ではない。

 それを平然と行うだけあり、ユフィが皇国随一の大魔法使いと称されているのは伊達ではないようだ。


「誰かとご飯食べるのって、おいしいねっ」


 今日の出発の時から何回目か分からない、彼女の願いを叶えられてよかったという思いがユフィとナナキの胸に溢れてくる。

 15日後の法皇法話までの間、出来るだけ彼女を笑顔でい続けさせようと、二人は心に誓うのであった。

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