第13話 14歳の少女

「交代の時間だぞっと」


 警備の前に少しでも仮眠しようとしたゼロだったが、結局自室に戻ってももやもやとした気持ちが拭えなかったゼロは一睡もしないまま、交代の午前2時を迎えた。

 薄暗い廊下の中で、3番目の警備役だったルーはアーファの部屋の前でカナン教の経典を読んでいたようだ。


「お、もうそんな時間か」


 ゼロに声かけられたルーは経典にしおりを挟み、立ちあがると大きく伸びをした。


「陛下はもうお休みになられてると思うから、静かにな」

「ああ、しかし、お前そんなのよく読めるな……」

「ん~、仕事の一環だったけど、この経典ちょくちょく魔導式が出てくるんだよな。まぁ簡単なものだったけど、国民全体を宗教の力で魔法使いに育て上げるものだとしたら、やっぱ皇国は脅威だよ」


 アーファから渡された経典は一般信徒向けの簡易経典だ。カナン教の教えが創世神話の中で語られる物語調で書かれているのだが、炎、水、風を起こす魔法を神が人々へ授けたというエピソードとともにその魔導式が書かれていた。


「魔法は神の恩寵ってことにされてるあたりも、よく出来た本だよ」

「ほほう、それはすごい」

「いや、まったく思ってねぇだろ! ったく、少しは読んでおけよ?」


 抑揚のないゼロの賞賛に脱力したルーは、自分が読んでいた経典を椅子の上に置き、ひらひらと手を振って自室へと戻っていった。

 先ほどまでルーが座っていた座席から経典を手に取り、腰掛ける。

 表紙をめくると『神は全ての人々へ幸福を約束する。祈り、信じ、手を取り合え』と経典の一節が書いてあった。

 そこまで読んで、というよりほとんど読まず、再びゼロは表紙を閉じた。


「手を取り合え、っつー割に好戦的な国じゃねえかよ」


 だらっと椅子に座ったまま、誰にともなくつぶやく。アノンも何も言わず、深夜の静寂が訪れた。宿屋の者たちももう休んでいるのか、薄明りのみに照らされた宿屋の廊下は少しだけ不気味さを内包していた。


「もう2年、か……」


 ゼロが騎士になって2年。

 初めて敵を殺めたのは、騎士になっての初陣だった。

 エンダンシーを持つブラウリッターの軍服をまとった仮面の少年兵は、2年前の夏前の西部での反乱鎮圧に参加した。それは今後も語り継がれるであろうゼロの初陣であり、王国中に衝撃を与えた事件となったものだ。


 そもそも反乱の起こったリトゥルム王国の西部は山間部を挟んで隣国の小国家との国境を抱える上に、土地が貧しく、王国内においても貧困とされる地域だ。そのため待遇改善を求めてしばしば反乱が起きる地域でもある。

 その西部を預かるフィセール公爵家は典型的な保守貴族であり、中央貴族との繋がりを保つことでその地位を維持する、無能ではないが御世辞にも良君とされる貴族ではなかった。

 彼の指示の下、西部の騎士団は国境警備のみに力を割き、内地の統率は中央の騎士団に比べると明らかに劣る質であり、王都へ反乱鎮圧要請が来ることは珍しいことではない。


 当時の反乱は公爵家への租税軽減を目的とした、西部の都と王都との中間地点にある中規模の町での300人規模の反乱だった。

 1週間経っても反乱の勢いが収まらない状況を受け、王都よりゲルプリッター40名とブラウリッター7名の総勢47名が派遣されたのだ。

 到着した時の状況は非常に悪く、町全体を人質に取った反乱軍の勢いは全く衰えておらず、むしろ西部の各地から公爵家への不満を持つ者たちが集まってくる始末。

 到着した王都の騎士たちは、町の入口で人質として脅されている町の住民を前にすぐには手が出せず、救出を優先するため町の外に駐屯地を作成した。


 そこで騎士団を率いたゲルプリッター団長シュヴァイン・コールグレイと当時のブラウリッター団長シーク・ヴァルトガイムが作戦を立てている中、仮面をつけたブラウリッターの少年兵は、騎士団が滞在していた駐屯地を離れ、単身で町の裏手から突入したのである。


 今思い返しても、無茶をしたとは思っているが、人質にされ怯え、泣く人々を見て、黙っていられなくなったあの気持ちは今でも覚えている。内なる怒りがゼロの身体を突き動かしたのだ。

 当時のゼロの所持品はエンダンシーの黒い棒のみ。

 なぜか仮面をつけている上に、多くの騎士たちが通常所持する剣も槍も持たず、鎧すら着用していなかった。

 それ故、謎の黒い棒を持った少年に反乱軍は呆気にとられた。

 反乱軍とは呼ばれるものの、大半は普段は農耕に従事している者たちであり、公爵への敵対心はあるが、まだ少年の姿のゼロに攻撃することを、反乱に参加していた者たちは躊躇ってしまったのだ。


 堂々と町の中を進み、明らかに警備を強めている建物を見つけると、ゼロはその建物に入ろうとした。しかしさすがに入り口を守る屈強な男たちがそれを阻んだため、ゼロはそこでアノンに魔力を込めた。

 彼の右手に握られた、黒い棒から姿を変えた黒剣は、一瞬の内に男たちを切り伏せた。

 農耕による鍛えられた身体程度では、敵兵を倒すために鍛えられた彼の強さには到底及ばなかった。王国内で最も恵まれた環境で鍛えられたゼロの強さは異常とも思われるものだった。

 彼はそのまま建物の中に突入、呆気にとられたままの建物内にいた反乱軍の中心人物らを怒りのまま“皆殺し”にした。

 そしてその亡骸を建物から町の中心部に引きずり出したことで反乱軍の統率は崩壊。

 その直後反乱軍の異変に乗じて騎士団が一斉に町へ突入し、突入後は1時間も経たないうちに全反乱軍の者が拿捕され、反乱は鎮圧されたのである。


 あの時敵兵を殺めた感触は今でも覚えている。

 何が起きたか分からぬまま殺された者の表情も、恐怖に引き攣っていた者の表情も、世界を呪わんとする憎悪の瞳を宿した者の表情も、全部覚えている。反乱が鎮圧された時、その軍服と仮面は返り血に染まっていた。

 何とも言えない表情で、二人の騎士団長がゼロを見つめていたのも覚えている。助けたはずの人々も、怯えた様子でゼロを見つめていた。

 あの日に見た様々な目は、未だに忘れられない。駐屯地に戻ったゼロは、誰ともしゃべらず、震えていた。

 

 王都に戻る途中、上官であったシークから「俺たちがどんなに汚れてもいいんだ。陛下の目指す世界を白く輝かせるため、汚れは俺たちで引き受ける。お前は間違ってない」、そう言われたことが、自分のしたことに迷いを抱いたゼロの心を引きとめてくれた。


 その後は軍規違反だったにも関わらず、その功績だけを伝えてくれた騎士団長たちの計らいにより、先代国王より勲章を賜りその名声を高めた。

 新女王即位の儀における御前試合ではシークを破ったことで、ゼロは先輩のブラウリッターたちをさしおき団長に任命され、シークがシュヴァルツリッターに転団した。


――シーク団長、元気かな……。


 あっという間に騎士団長に昇格したゼロにとって、騎士団の上官だったのはシークだけである。ヴァルトガイム男爵家出身で騎士団長たちの中でも低い爵位ながら実力と人柄でブラウリッター団長まで上り詰めていた彼とは久しく会っていないが、今でもゼロにとって王国騎士団の中における兄貴分にあたる存在だ。

 今では父の部下となった彼だが、ブラウリッターの団長がある程度の実績を上げてシュヴァルツリッターに転団するのはリトゥルム王国の慣例ではあることを知ったのは、それからしばらく経ってからであった。


 その後2年前の初陣から今に至るまで、2度の野盗討伐と5度の皇国との戦いを経験した。今では仮面のブラウリッター団長ゼロ・アリオーシュの名は王国にも皇国にも知れ渡っている。しかし今でもあの初陣がゼロにとって忘れられない戦いとなっていた。


――誰も死なない世界……か。


 夜の静けさの中、しばし物思いに耽っていた時、背後の扉の奥から物音がした。そしてかすかに聞こえてくるすすり泣く声。


「……陛下? 大丈夫ですか?」


 何事かと焦ったゼロは、禁じられた“陛下”を思わず口にしてしまう。ゼロにとって年下の女王陛下は可愛い顔をしているくせに、年齢を感じさせない気丈な振る舞いと辛辣な言葉を吐く存在であり、泣いている姿など想像が出来なかった。


「……ゼロか?」


 部屋の中から返事がある。とりあえずの無事を確認し、ゼロはほっと胸を撫で下ろした。


「そこにいるなら、入れ」

「え?」


 予想外の命令に思わずまぬけな声を出してしまう。妹や母の部屋ならいざ知らず、女性の、しかも女王陛下の寝室に入るのは大きく躊躇われた。


「いいから、入れ」

「し、しつれいしますっ」


 僅かな灯りだけに照らされた室内の作りは、当然ながらゼロの部屋と同じ造りだった。その部屋の中で、絹製であろう質の良さそうなパジャマ姿のアーファがベッドに腰掛けていた。


「ちょっと来い」


 左手で自分の横を叩いて命令するアーファの方へ、有無を言わずゼロは近づいた。入った時は気付けなかったが、やはりアーファの目は少しだけ赤くなり、頬には涙が伝ったあとが残っていた。

 何をしていいか分からないまま、言われるがままにゼロはアーファの隣に腰掛ける。すると、腰掛けるや否やゼロの胸にアーファがしがみついてきた。


「っ!?」


 何が起きたか思考がついてこず、思わず出しそうになった声を必死に抑える。自分の心臓の鼓動が速くなっている自覚もあるし、それはきっと彼女にもバレているだろう。普段であれば有りえない状況に、それくらいは許してほしいと思うばかりだ。


 しばしの静寂の間に、シャツの胸元がじんわりと湿っていくのを感じ、自然とゼロはアーファの頭を撫でていた。寂しがった妹にしてあげるように、優しく丁寧に頭を撫でる。無礼とは思ったが、勝気な女王様は何も言わずそれを受け入れてくれた。

 時間にして数分だったのだろうが、ゼロにとっては何よりも長い時間に感じる時が終わる。泣き止んだアーファはゼロから離れ、普通の女の子と変わらず、恥ずかしそうに顔を下に向けていた。


「何かあったんですか?」

「……笑うなよ?」


 目を赤くさせてはいるが、少しだけ頬を膨らませながら普段の調子で彼女が言う。


「内容次第っす」

「……父様と母様の夢を見た」


 その言葉に、ゼロは笑う気など全く起きなかった。同情するのも失礼かもしれないが、同情という感情が一番強くなる。

 彼女の母親、先代王妃は彼女が5歳の時に、父親である先代国王は12歳の時に病に倒れ他界してしまった。天涯孤独となり、12歳で責任ある女王という立場になった少女が何を思って生きてきたか、考えるほど胸がしめつけられるというものだ。


「迷わないと決めたのだがな……父様も母様も、私がやろうとしてくれていることを認めてくれるだろうか?」


 リトゥルム王国が世界六大国に名乗りを上げた先々代国王の時代をアーファは知らない。どんな思いで世界の覇権をかけた戦いを始めたのか、多くの騎士たちが命を懸けてきたのか、戦場を知らないアーファは想像しかできない。

 手を取り合えるならば、思いが重なるなら皇国の軍門に下ってもよいと思っている彼女を、遠くに行ってしまった人々が許してくれるのか、考えれば考えるほど不安になる。

 迷わないと決めた心も、記憶の中の両親に出会ったことで揺らいでしまった。自分が決めた道が、揺らぐのは怖かった。間違っているかもしれないと揺らぐことが怖かった。


「当たり前じゃないっすか」


 そんなアーファの不安を蹴飛ばすように、揺れる心へゼロは土足で踏み込む。


「誰も死なない世界、争いのない世界、みんな望んでるに決まってます」


 ゼロはアーファの両肩に手を置き、真っ直ぐに彼女を見た。ゼロの真剣な眼差しを受け、思わずアーファの頬が紅潮する。


「先代陛下から叙勲いただいたとき、陛下を頼むと言われました。あの子の望む道を助けてやってくれと言われました。たしかに先代陛下は名君でしたがもういない。今は陛下がこの国を決めるんです。そして、陛下の望む道こそ、この国の未来です。それを許さない奴がいるとしたら、俺たちが戦います。安心してください」


 少しでもこの少女の負担を減らしたい、助けたい、そんな思いがゼロの口から溢れていく。


「もし間違ってたとしたら、リッテンブルグ公爵も、ロート団長も、父さんも母さんも、陛下を止めてますよ。でも誰も止めなかった。それはみんなが陛下の道を信じたいからでしょ」


 そこでゼロが得意のスマイルを浮かべて。


「だから、大丈夫っすよ」


 そう言い切った。


「そう……だな」


 ゼロの笑顔につられて、アーファの表情に笑顔がこぼれる。元がかなりの美少女なのだ。その笑顔はあまりにも魅力的だった。


「王としてあるまじき弱い姿を見せてしまってすまなかったな」

「まだ14の小娘じゃないっすか」


 殴られるのを覚悟でおどけてみせたゼロにアーファは声を出して笑った。


「それもそうだなっ。これからも頼りにさせてもらうぞ、ゼロ」

「お任せあれ」


 その後しばらく自分の理想の国家像を語り尽くし、再び彼女が眠りにつくまで、ゼロはしっかりとアーファ・リトゥルムという少女の話を聞き入った。

 彼女が眠りについてまもなく、警備交代の時間を迎えたゼロは限界を超えた睡魔に破れ、自室にて起床時間を過ぎてから起きるという失態を犯し、昨夜のことを一切感じさせない通常運転に戻ったアーファやルーに叱責されつつも、作戦2日目を迎えていくのであった。

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