第12話 平和に見せる世界


 上質な宿だな、とゼロは思った。


 掃除の行き届いた宿屋の中を歩き、ゼロは外へ向かう。

 夕食を取り終えたあと、アーファの部屋前で警備をする順番を決めた男性陣は各々の時間を過ごすこととなったのだ。


 夕食を終えたのがおおよそ午後7時。明日の朝食が午前7時。日中は御者を行うロートリッターたちの負担を減らすため、彼らは2時間、馬車に乗るゼロとルーは3時間ずつということで順番を決めたのだが、4番目、午前2時からの順番を引き当てたゼロは半端な時間の使い方に悩み、アーファに渡された経典を読むという選択肢を考えるまでもなく捨てたゼロはとりあえず宿の外へ向かっていた。

 きっとルーはしっかりと読み込んでいるはずだ。あとで要点を教えてもらえばいい、ゼロの中にはそんな甘えもあった。


 先ほど入浴を済ませてもまだ午後8時。一日中馬車の中にいたため、身体を動かしていないせいか眠る気にもならなかった。


 まだ王都から半日も移動していないこの町は、普段の出陣の折に立ち寄るまでもなく通り過ぎられる街だ。町全体も戦争の傷もなく、この町に立ち寄るのは今回のような上流階級の者が他の都に向かう時くらいなのだろう。


 春で暖かくなってきたとはいえ、夜の空気は少し肌寒かったが、王都よりも灯りの少ないこの町の夜空は無数の星たちに彩られ、美しかった。


 宿に面した町の大通りだけは石畳で丁寧に舗装されていた。通り沿いには青々とした葉をつけた街路樹が立ち並び、町全体がある程度裕福なのであろうことが窺えた。

 遅くまで仕事をしていたのか、町の外から帰還したであろう人々は意気揚々と町の酒場へと入っていく。家族で食事をした帰りなのか、両親に手を繋がれた子どもは楽しそうな笑顔を浮かべている。


「わぁ、お兄さん綺麗な顔してるねー」


 何気なく大通り沿いを歩いていただけだが、露店で焼き鳥を売る愛想のいい中年女性に声をかけられた。実際すれ違う者皆ゼロの方を振り向いてはいたのに、当の本人は気付いていない様子だ。


「どう、まだ若そうだし食べ盛りだろう? 1本いかが?」


 王都において平民街区を歩いたことはあるが、その際は母親と一緒か、騎士団員になってからであり、庶民から庶民と思われる経験が新鮮だった。


「いくらっすか?」

「いいよいいよ、そんな綺麗な顔見れて嬉しくなっちゃったし、サービスさっ」


 懐から財布を取り出したところで、気前のいい笑顔を見せた女性が炭火で焼かれていた焼き鳥を1本差し出してくる。


「いいの? ありがとっ」


 ゼロもお礼とばかりに得意のスマイルを浮かべ、焼き鳥を受け取る。幼い頃は人見知りだったゼロだが、母親と妹と王都を歩く度に、こういった露店商――主に女性――から声をかけられ続け、その都度ゼリレアから「スマイル!」と言われ続けた結果、この対応を身に付けた。


「お、うまい」


 露天商の女性に手を振り別れ、焼き鳥を頬張りつつまた歩き出す。庶民の恰好に扮してるからこそ、堂々と食べ歩きができるが、普段であれば許されない行為への背徳感も、美味しさのエッセンスになっているかもしれない。ぷりぷりとした鶏のもも肉は炭火で香ばしく焼かれていて美味しかった。

 月明かりに照らされる時間だが、まだ町が眠るまでは数刻あるようで、いくらか営業している飲食店は多かった。 


「平和、だなぁ」


 世界が覇権を争う戦争を繰り返し、リトゥルム王国は隣国のセルナス皇国と終わらない戦いを繰り広げているとはいえ、戦火の遠い町はそんなことを忘れさせてくれるかのように穏やかだった。


『そうね。ずっとこんな時が続けばいいのに』


 ゼロの独り言に応える姿のない声。ゼロにしか聞こえない程の大きさの声で答えてくれた声は、ゼロにとってかけがえない相棒だ。


「おにーちゃん、かっこいいねっ」


 焼き鳥を頬張り終えた頃、帰路につく母親と手を繋いで歩く少女に声をかけられる。それに手を振って応えるゼロ。王都よりも気軽に声をかけてくる人が多いのは、土地柄なのか、ゼロが庶民を装っているためか。

 仲の良さそうな親子だった。いつかは自分も親になるのだろう、と漠然に思う。


 両親が結婚したのはウォービルが24歳、ゼリレアが22歳の頃だったという。

 当時ウォービルがブラウリッター団長で、ゼリレアはブラウリッターからヴァイスリッターに昇格した頃だったようだ。

 たしか、戦場で父が母を救ったことが出会いとは聞いている。そしてその3年後にゼロが誕生したということは、ウォービルは27歳、ゼリレアは25歳で親になったということだ。


 漠然と10年後の自分を想像する。自分の隣には誰がいるのだろうか。


――って、なんでだっ!


 ふと頭に浮かんだのは好敵手として戦場で出会ったマスク女。素顔も知らないというのに、敵ながら嫌いになれないあの少女は、果たしてどんな顔をしているのか。


――皇国兵、だもんなぁ……。


 会ってみたい、とは思うが今回の作戦中に会えたとしても、ゼロは自分の身分を明かすことはできない。バレてしまったときは、敵になるだけだ。

 そもそも、自分も顔を知られていないのだから、見つけようもない。彼女がエンダンシーを使う場面があれば判明するが、その時は十中八九戦闘中だ。避けなければならない事態だ。


 なんとなくもやもやした気持ちのまま、ぽつぽつと飲食店の灯りが消え始め、露天商も店じまいを始めた頃、ゼロは宿へ戻って行った。

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