第11話 仮面の理由
「そういえば、アノンはどこにやったんだ?」
夕暮れ、初日は何事なく進み、予定通りの宿場町にたどり着いたリトゥルム王国の女王陛下一行は、宿屋の食堂に集まっていた。
事前に国内移動中に立ち寄る宿屋は一棟丸ごと借り上げるという荒業に、先ほどまで唖然としていたゼロたちだったが、彼らがそれも必要措置だと割り切った頃、アーファがふいにゼロに尋ねる。
その質問を受けたゼロは周囲を見渡す。
彼の動きに、給仕役の女性が一礼して食堂から出て行った。見た目こそ身分をやつしているが、一向がどういう存在かは重々承知のようだ。
国内の都市から都市の移動は、馬車で2日は要する距離が大半だ。野盗などのリスクを無視して夜通し移動すれば一日で着ける距離だが、今回の作戦はアーファの安全が最優先のため、騎士団長たちが考えた予定通り、夕暮れには宿場町にたどり着くプランで行動しているのだった。
宿場町は主に行商の一行が利用することが主だが、各地から貴族が王都を訪れる時に経由することもある。そのため、どの町にもある程度のランクの宿が備えられているのが常であり、今回借り上げたのは、貴族御用達のランクの高い宿である。
貴族たちの会話は内々の内容を含むことが多い。宿屋の者たちは皆、余計な騒動には巻き込まれないための処世術を身に付けている。
女性の気配が消えたところで、ゼロは右手を上げ、シャツの裾をまくる。彼の右手首には黒いブレスレットがつけられていた。
『こちらにおります、アーファ様』
気を使うように小さな女声が響く。少し離れた席に座っていた、護衛の馬車を操縦しているロートリッターの者たちも、物珍しいものを見るようにゼロの右手首を注視していた。
「ほお、そんな形にもなれるのか」
「これなら目立たないかな、と」
「お前はいるだけで目立つわ」
アーファの視線がゼロの顔に移る。苦笑いを浮かべた彼女は相変わらずの美貌を見つめ、そう言い捨てた。
「いや、連れてきたのお嬢じゃないっすか」
ゼロの抵抗は華麗にスルーされ。
「しかし、あの仮面の下がこの顔とは、皇国もよもや思いますまい」
少し離れた席に座る中年の騎士の言葉にルーも頷いていた。
彼らはロートリッターの一員であり、一定以上の戦歴を持つベテラン騎士たちだ。戦場でのゼロの姿も知る彼らは、仮面をつけて戦場を駆るゼロの姿を思い出していた。
「とりあえず、この形なら、何かあってもすぐ対応できるんで」
その言葉をきっかけとして、一瞬にしてゼロの右手に一振りの剣が現れ、ブレスレットが消える。魔力を込めれば、アノンはゼロの思う形にその形態を変える。
戦場のあらゆる局面で最適な武器となる、それは他の者たちからすれば羨ましいことこの上なかった。
「報告にあった、皇国のエンダンシー使いもマスク女だったか。……エンダンシー使いは顔を隠したがるのか?」
アーファは理解できないという風に呆れた表情を浮かべていた。
「そもそもお前なんで仮面つけ始めたの?」
再びアノンをブレスレットの形に戻したゼロにルーが問いかける。
「そうだな、私もあえて聞いてこなかったが、気にはなっていた。食事をとりつつ、話でも聞こうか」
ロートリッターの騎士に食事の提供を促すよう宿に伝えさせると、待機していたのだろうか、すぐに料理が運ばれてきた。
焼き立てのパンに、トウモロコシをすりつぶして作られたスープ、瑞々しい葉物野菜中心のサラダに、牛肉のハンバーグと、美しい皿に丁寧に盛り付けられたメニューが出てくる。
アーファは当然として、ゼロやルーも貴族の出自であるため取り立てて感動はないが、平民出身のロートリッターたちは「役得だ」という風に少し感動していた。
「それでは、毒見させていただきます」
料理を運んできた給仕の若い女性の一人が申し出るが、アーファはそれを手で制した。
「よい。私たちが訪れた時から敵意は感じていない。私は、民を信じぬ王にはなりたくない」
「え、で、でも……」
上役から言いつけられていた仕事だったのだろう、アーファの言葉に給仕の女性が困惑を見せる。
「この宿を指定したのはリッテンブルグ公爵だろう。信頼に足る。それで十分だ。御勤めご苦労」
この場において最も年下の存在ながら、アーファの堂々たる振る舞いに、従者たる5人の騎士たちは言葉を失う。
「これで仲間や家族にいい思いでもさせてやるといい」
胸ポケットから王国金貨を一枚取り出し、女性にチップとして渡す。
「こ、こんな大金、あ、ありがとうございますっ」
驚きに声を震わせながら、女性は深く深く頭を下げる。受け取らないという選択肢はない。むしろ、平民たる自分が女王陛下へ給仕をするなど、もう一生ないであろう異常事態なのだ。
リトゥルム王国では首都にある造幣局が貨幣を鋳造している。平均的な食事は銅貨5枚、宿に泊まるのは銅貨30枚程度が一般的だ。銅貨は100枚で銀貨1枚に換金できるが、大半の労働者は一日働いて銀貨を1枚程度稼げればいい方だ。
その銀貨100枚と換金されるのが金貨なのだから、チップで受け取るにはあまりにも多い金額であった。
首都以外の貴族たちは各々の領内の税収を得るが、所領を持たない中央貴族は王国への忠誠と引き換えに爵位に応じた一定額の恩賞が与えられている。
また騎士団長や財務官、外交官、司法官など、国政に携わる役職に就いている者がいる貴族家は手当が多くなる方式で、高い教育を受けられる立場を還元することが求められている。
国家統合の折の序列として与えられた爵位は名誉のために与えられているものであり、覇権を争う時代において能力を重視した先代国王の時代から、爵位が下でも上位の役職を任命されることはある。そのためゼロの生家であるアリオーシュ伯爵家は騎士団長を3名輩出していることから、並の侯爵家よりも恩賞が多く、資産も多いのが実情だ。
「かーっこい~」
給仕の女性を下がらせたアーファに対し、一連のやり取りを見ていたゼロが茶化しながら先に食事に口をつける。
「あ、お前!」
食事の席に序列が上の者がいる場合、普通であれば下の者は許可が出るまで口にすることはない。だが、通常の礼儀を無視してゼロは一通りに口をつける。
「うん、“全部”うまいっすよ」
「……それは何より」
無礼ながらのその言葉にアーファが苦笑いを浮かべ、ルーやロートリッターの騎士たちがはっとした表情を見せた。
アーファも食事を始めたことで、他の4人も食事を始める。ロートリッターの騎士たちはとりわけ満足そうに食事をしていた。
「それで、なんでお前は仮面をつけてるんだ?」
食事の手を止め、アーファが食事前にしていた会話を思い出す。
「ふぁ?」
丁度パンを口にいれたところで話しかけられ、ゼロが間の抜けた返事を返す。
これが両親を前にしての食事だったら、即座に怒られていたに違いない。
最早ツッコむ気にもなれず、ルーは苦笑いを浮かべるだけだった。
慌てることもなく咀嚼してから飲み込んだゼロが手荷物から仮面を取り出しテーブルに置く。黒をベースとして中央に青のラインが入った仮面で、手入れが行き届いているのか、傷一つなく新品のようだった。
今やこの仮面を見るだけで慄き、皇国兵は戦場を退き、ゼロの相手を嘴のついたマスク女に相手を譲るようになっている。
「理由は2つあるんすけど、戦場って怖いじゃないっすか」
ゼロの言葉を待っていた4人だったが、予想外の言葉に疑問を浮かべた。
「え、怖くないすか?」
明らかにベテランであるロートリッターの騎士たちにゼロが逆質問する。
「怖くない、わけはないですが……」
戦場は命を懸ける場所であり、命を奪い合う場所だ。世界中で常にどこかしらが戦場になっており、今も誰かが命を落としているかもしれない。誰かを殺す場は、誰かに殺されるかもしれない場という意味合いを持つのだから。
初陣からここまで運よく死ななかったが、ロートリッターとして抜擢されるまでに失った戦友たちは数知れない。
「アリオーシュ家で生まれて、父さんと母さんも強くて、そんな人らに鍛えてもらって、アノンもついてて、そりゃ強くて当たり前だろ、って思われてるってのはわかってんすけど、やっぱ戦場は怖いんすよ」
魔法使いであり、現在は体調を崩しているグリューンリッターの団長の代わりに騎士団の指揮を執るルーは最前線に行くことはないが、ゼロの率いるブラウリッターは個人戦闘に長けた少数精鋭の騎士団であり、常に最前線で騎士たちを導くように戦う使命を持つ騎士団だ。想像するに難くなく、最前線は恐ろしい場所である。
「殺されるのも怖いけど、それ以上に殺すのが怖い。自分の立場はわかってるけど、なんていうか、騎士として人を殺す自分と、普段の自分を区別したいんすよね」
そこでゼロは一拍間を置いた。
「仮面で自分を隠す臆病者なんすよ、俺。少しでも普段の自分と変われたらって思ってつけ始めたんすけど。今じゃ戦場に行くスイッチみたいなのにもなってます」
誰しも行かなくていいのならば、戦場には行きたくないだろう。
望んで人を殺したい者も、いないだろう。
だから戦場で人を殺す役は仮面に引き受けてもらう。
王国七騎士団の一つを預かり、若い騎士たちの憧れの的でもあるゼロが、恥ずかしがることもなく自分を“臆病者”と言い切ったことにアーファは少しだけ驚いていた。
ゼロの言いたいことが伝わったのか、ロートリッターの騎士たちの頷きがアーファへ戦場の恐ろしさを感じさせた。
「それで、もう一つは?」
すっかり食事の手が止まってしまったが、構わずアーファは2つ目の理由を聞く。
「え、そりゃ……」
続ける言葉に想像がついたルーは「あー。はいはい」と一足先に食事に戻る。
「仮面つけてなかったら、俺目立っちゃうじゃないっすか」
先ほどまでの影を落とした雰囲気から一変させ、恥ずかしげもなく得意のイケメンスマイルで言い切ったゼロにロートリッターの騎士たちが堪えきれず笑う。それに応えるようにアーファも珍しく笑顔を見せ。
「聞いた私が馬鹿だった」
と言葉でゼロを一刀のもとに切り伏せた。仮面だって十分目立つだろう、という言葉は飲み込む。
「まぁ今回はこの仮面のおかげでお前を連れてこれたから、よしとしよう」
テーブルの上に置かれたゼロの仮面を手に取り、何気なくアーファが仮面をつけようとする。華奢な美少女の仮面姿は想像以上に滑稽だった。
「眼鏡つけたままつけるもんじゃないっすよ」
仮面の裏側について固定用の紐を縛るのに手間取っているアーファを見たゼロが座席を立ち、アーファの後ろにまわり、眼鏡を外してあげ、アーファの手から紐を奪い優しく結ぶ。
「ほら、できたっすよ」
紐を結び終わったゼロがぽんとアーファの頭に手を置く。
「子ども扱いするなっ」
「いや、自分でまだ14の小娘って言ってたじゃないっすか……」
仮面をつけた金髪の少女と黒髪のイケメンが言い合う様子は見ている者たちの気を楽にさせた。
ふざけすぎてしまった結果、すっかり冷めてしまった夕食を綺麗に食べ終えてから、一向は食堂を後にするのだった。
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