少女は世界の広さを知る

第10話 美少女3人旅、開始

「セレマウ様、出発の準備整いましてございます」


 黒い法衣に身を包み、赤い髪を後ろ側で結った凛々しい顔立ちの少女が黒髪の少女の前に跪いていた。


「よし、じゃあいこうかっ」


 薄緑色に染色された絹製の法衣に身を包んだセレマウに続き、紫色の法衣に身を包んだ桃色の髪の美少女が用意された馬車に乗り込む。

 約束の塔正門の前に止められた4頭立ての馬車は金銀で装飾が施された、ナターシャ公爵家の馬車である。馬車内には絨毯が敷かれ、座席はソファー調となっていた。そこらへんの宿屋の何倍も豪華な内装だ。

 心地よい晴天の下、馬車に乗り込んだ二人を確認し、御者台に黒い法衣の少女が座る。


 国内視察を決めて5日後、奇しくもリトゥルム王国で女王アーファ・リトゥルムが出立した日と同日、セルナス皇国の法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世も塔を出発するとは、どんな因果があるのだろうか。


「2日後に工業都市に到着予定だっけ?」

「はい、ユフィ様のご提案通り、安全に配慮し、夜間の移動は行いませんので、本日と明日は街道沿いの宿場町にて宿泊となります」

「ん、よろしくね」

「疲れたら代わるから、気兼ねなく言ってね、ナナキ」

「め、滅相もございませんっ」


 進行方向を向いて並んで座ったセレマウとユフィは、御者台に座った赤い髪の少女に声をかける。御者台とは連絡が取りやすいように窓がついており、そこを開けることで会話ができるようだ。

 馬車を動かすセレマウの侍女であるナナキは、中央貴族のミュラー子爵家出身の魔法騎士でもあり、ユフィと同じ16歳だ。

 彼女のトレードマークは皇国にはあまりいない赤い髪。顔立ちもかなり整っており、ユフィやセレマウほどではないが、十分に美しいと称されるレベルだった。ややつり目がちな眼差しから、どことなく冷酷な雰囲気を感じなくもないが、セレマウとユフィに対しては丁寧に敬意を払う姿の方が印象的である。

 

 ユフィとナナキだけという、法皇を護衛するには心もとない人数に見えるが、防衛都市に行かないのであれば皇国内の危険は然程大きくない。首都を離れれば盗賊などが現れる可能性もあるが、ユフィはもとより、ナナキも皇国内では上位の腕前を持つ魔法騎士であり、二人の実力があれば皇国の一個小隊程度でも相手取ることができるだろう。

 見送りの貴族もなく、セレマウを乗せた馬車は出発していくのであった。


「しっかし、誰も見送りにも来ないなんて、ひどい家臣団ね」


 横並びに座ったユフィが不満を示す。


「んー。ボクはこういう方が楽でいいなぁ。あいつらの息のかかったお供がついてくるくらいなら、3人で旅行できたほうが気が楽だよ」

「まぁ、それはそうだけど……」


 セレマウの言葉は理解できる。

 野心渦巻く中央貴族連中を相手にしなくていいというのは、気が楽である。ユフィは時折戦場に赴くが、セレマウはずっと塔内にいて、あの貴族連中の相手をしていると思うと、同情の気持ちが大きくなるというものだ。


「でも、すごい馬車だねー。荷物もたくさん積めたし、ベッドまであるなんて、ここで暮らせちゃうんじゃない?」


 セレマウが話を変えたことから、ユフィもこれ以上追及しないことにした。

 今3人が乗っている馬車は、ユフィが約束の塔に赴く際に使用するものだ。同様のものが生家には父、母、兄、自分用と4台用意されており、この馬車はユフィ専用のものである。

 馬車内は向かい合う形で置かれた4人がけのソファーが2つ、進行方向から見て後方のソファーの裏にベッド、その奥に荷物を置くためのスペースと、かなり広い作りになっている。窓は前後左右に合わせて6か所あり、外の光が差し込みかなり明るくなっていた。


「長距離移動もできるように、って目的もあるみたいだしね。でも、法皇専用の馬車の方が豪華なんじゃない?」

「んー、どうだろうね。まだ乗ったことないからな」


 右手で毛先をくるくるといじりながら、セレマウが答える。彼女は権力というものに本当に興味がないのだな、とユフィは苦笑いを浮かべた。


「そっか。じゃあ法話の日が楽しみね」

「ユフィも一緒に乗ってねっ」


 まるで遠足の約束をするように、セレマウが楽しそうに言う姿にユフィは温かな気持ちになった。


「御者はナナキだよっ」

「お許しが出るのであれば!」


 侍女であるナナキが声を大にして答える。馬車内は防音構造となっているため車輪が回る音も、外部の音も静かなものだが、セレマウたちに背中を向けているナナキはそうはいかない。ほどよい速さで進んでいるからこそ、二人の会話もまだ聞こえるが、もう少しスピードを出せばそれも叶わなくなるだろう。

 約束の塔正門から外壁まではおよそ500メートルほどの距離があるが、ふと窓から外を見ると、徒歩で塔へ向かう司祭たちがすれ違う馬車に対して立ち止まり深く礼をしていた。

 4頭立ての豪華な馬車など、皇国内でも公爵家以上の身分の者以外乗ることはないのだから、彼らからすれば必ず身分が上の存在と判断しているのだろう。

 

 まさか、法皇自身が乗車しているとは露ほども思っていないだろうが。

 

 そうこうしていると外壁がすぐそこまで迫っていた。近くで見ると、本当に大きな壁だ。セレマウが約束の塔に連れてこられたときは、わけもわからぬ状況下だったため考えなかったが、圧倒的な大きさを持つ外壁は、自分が外界と遮断されていたことを痛感させてくれた。


「3年ぶりだなぁ……」


 外壁門を警護する守衛に手続きすることもなく、守衛の敬礼を受け、馬車は外壁門をくぐり、市街地に入る。


「わぁ……!」


 ソファーから立ち上がり、御者台からの窓から顔を出したセレマウは、久々に見る街並みに感嘆の声を漏らす。

 東部から連れてこられてからの3年間、彼女は法皇としての資質を育むという名目で一度も外壁の外に出ることはなかった。

 外壁門を出て真っ直ぐに伸びる大きな石畳の道路は広く、道路沿いには露天商がずらっと並び、立ち並ぶ建物は全て灰色の壁で統一されていた。

 塔の上層階から眺めた時は茶色い屋根の建物ばかりだと思っていたが、下から見上げると今度は灰色が目立つ。初めて見るに等しいその景観はセレマウを惹きつけた。

 行きかう人々はその日その日を過ごすための買い物に頭を悩ませたり、知り合いと道端で話し込み、笑いあったり、東部にいた頃の当たり前が思い出される。


「あ、法話の広場! ナナキ、法話の広場に寄ってっ」

「かしこまりました!」


 約束の塔を中心とし、碁盤の目状に作られた首都にはいくつかの大通りがある。セレマウが首都の様子をしっかりとその目に納められるよう、ゆったりと進む馬車は、最初の大きな交差点を右に曲がった。

 曲がるとすぐに、開けたエリアが見えてくる。


「お見えになりますか? あれがセレマウ様が法話をなさる“始まりの広場”ですよ」


 ナナキが示した広場では、15日後の法話に向けて、石畳の手入れをする多数の職人たちがいた。

 広場が見渡せる位置に停車した馬車の窓から、セレマウは黙って広場を見渡していた。おそらく自分が法話を行うであろう演説台はけっこうな高さがあった。集まった信徒たちを見下ろす自分を想像すると、緊張で吐きそうになる。


「当日は色とりどりの花々と、レッドカーペットが敷かれるのですよ」

「ほほう……」


 落ちたら怪我じゃすまないかもしれない高さの演説台を眺めるセレマウの表情は、初めて見るものに心を奪われる幼い子どものそれと同じだった。彼女のそんな姿に、ユフィもナナキも微笑ましい気持ちになる。

 停車した馬車に気付いた職人たちは、晴れやかな笑顔で馬車に一礼し始めた。


「作業は順調であります!」


 おそらく親方なのだろう、白髪の職人が大きな声で馬車に声をかけてくる。


「大儀である! そのまま励まれよ!」


 その言葉に応えたのは御者台のナナキだ。彼らからすればこの馬車に乗っているのが誰かは分からないが、貴族ということだけはわかる。彼女の言葉に再び一礼した職人たちは、また作業を再開する。


「みんな、法皇セルナス・ホーヴェルレッセン89世の初法話を楽しみにしているのよ」


 再び動き出した馬車の中で、ソファーの定位置に戻ったセレマウは神妙な顔をしていた。


「雨降ったら、どうするの?」


 何を真面目に考えているのだろうかと思っていたユフィだったが、その質問に思わず笑ってしまった。


「当日は皇国魔導団が広場外周に総勢400名配置されるの。危険物の感知や侵入を防ぐついでに、広場への雨も防いでくれるのよ」

「へぇ、魔法って便利だねー」


 皇国魔導団はコライテッド公爵が指揮権を持つ、普段は約束の塔の警備・守護を行っているカナン神への信仰熱い魔法使いの集まりだ。団員はちょくちょく塔内で出会うが、真面目さが売りだとセレマウは認識している。


「そろそろ簡単な魔法くらい覚えなさいよ」

「いやー、ボクは苦手だなぁ……」


 魔法の源は精神力であり、全ての人間が本来その素養を持っている。精神力を基に何かを生み出す技術が魔法であり、魔導式という魔法の構成要素を理解さえしていれば誰でも行使することができるのだ。

 問題はこの魔導式なのだが、セルナス皇国ではカナン教の経典の一部に魔導式が書いてあることから、魔法を使える者は多い。司教たちがそれを信仰の力と民衆に伝えたことから、爆発的にカナン教の信徒が増えたとも記録されている。誰しもが使えるはずの技術を、神の恩寵と思わせているというわけだ。

 

 そういう体裁を取っている以上、セレマウが魔法を使えないと法皇として立場が危ういのだが、集中力に欠ける彼女は未だに魔法の習得を苦手としていた。

 皇国魔導団が行う結界魔法など、高度な魔法は国立図書館の閲覧制限がかかった書庫にある魔導書などを読まないと知り得ることはできないが、セルナス皇国の貴族たちは口伝で親から子へと魔法を伝授させ、高度な魔法を行使することができる貴族が多いのも、国家としての特徴である。

 当然軍用に転ずることも行われており、各国の軍隊において、魔導団や魔法部隊の存在は他国への脅威となりうる存在だ。

 

 ユフィの生家ナターシャ公爵家は魔法を行使するための精神力、いわゆる魔力においては国内随一を誇る貴族でもある。その中でもユフィは類を見ないほどの魔力の持ち主であり、現在の大魔法使いとまで称される地位を築いている。


「法皇の御業を見たい信徒も、きっといると思うけどな」

「んー、その時はこっそりユフィが代わりにやってよ~」

「甘えたこと言ってんじゃないわよっ、努力をしなさい、努力を」


 怒られているというのに、セレマウは全くへこたれる様子も見せず「えー」と口をとがらせていた。


「……あ、そういえば……。ふふふ、いいことを思いついた」


 悪戯を思いついたようなユフィの悪い笑顔に気付き、セレマウが警戒し少しだけユフィから離れる。


「はっ!」


 しかし馬車の中は狭く、少し離れただけでは何の意味もなかった。


「ひぐぅっ!」


 ユフィの伸ばした手がセレマウの頭に置かれると同時に、セレマウが情けない悲鳴を上げる。やはりそこには一国の国家元首たる法皇としての威厳も貫禄も、何もなかった。

 脳を直接揺さぶられたような衝撃があったが、別段痛みがあったわけではなく、それが余計にセレマウを混乱させる。


「な、何したの?」

「魔導式を脳に書き込んであげたの」

「そ、そんなことできるの?」

「私も昔母様にされたからね。とりあえず、身の安全を守れるように結界魔法の魔導式を書き込んだから、イメージを強く持てば使えるようになったと思うよ」


 痛いわけではないが、脳内に異物が入ったような不思議な違和感を拭えず、セレマウは頭を押さえながらユフィの説明を聞いていた。


「今から殴ろうとするから、それを見えない壁で防ぐイメージをしてごらん」

「え、ちょ、まっ……! ひゃあ!!」


 ユフィは問答無用で拳を振りかざし、セレマウの胸辺りに突き出す。しかしその拳は、裏返った声の悲鳴とともに現れた障壁によって防がれた。


「え、で、できた?」

「ん。上出来上出来。あとは慣れていけばいいのよ」


 壁を殴ったような衝撃がユフィの右手に残り、痛みを払うように右手をさすりながらユフィはセレマウに合格点を与えた。


「一度覚えた魔導式はそう簡単に脳から消えるものじゃないから、危なくなったら今のイメージで対処できるようにね」

「う、うん……」


 唐突に魔法を習得させられたセレマウは未だに飲み込めぬ状況に目をぱちぱちさせながら、なんとかユフィの言葉に頷いてみせた。


「セレマウ様、まもなく首都を出ますよ!」


 脳内の違和感を拭えないセレマウの耳に、今度は別な声が届く。窓から外を覗くと民家はまばらになっていた。中心部から離れれば離れるほど、生活用品をそろえるための移動距離は増える。そのため、首都の外れはだいぶ閑散としてくるようだ。

 そして。


「おお……!」


 首都を出て大きな街道に出ると、その視界には広い草原が現れた。舗装された道も首都とは違い土をならしただけであり、少しだけ馬車の揺れが大きくなるのが分かった。


 首都を離れ、皇国の様々な街へ、いよいよ本格的に出発するのだ。


 知らない世界へ飛び込むような、わくわくとした気持ちが高まるのを感じる。

 この国を知りたい。その思いを叶えるために、3人を乗せた馬車は街道を順調に進んで行った。

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