第9話 少女は平和の夢を見る
貴族街区を抜け、平民街区に入るとアーファはしきりに窓から外の様子を伺っていた。
「へ、陛下は、平民街区は初めてですか?」
馬車の中の沈黙に耐えかねて、ルーが何気なくアーファに尋ねる。普段はかけていない眼鏡と、ばっさりと切った金髪姿に違和感が拭えないためか、少しだけおぼつかない言い方になってしまった。
「初めてではない、が、滅多に来られるものではないな。……リッテンブルグ公爵も、グロスも、ウォービルも、皆過保護なのだっ」
沸々と湧き上がってくる感情は、普段から彼女が抱えていたものなのだろう。自分にとっては娘のような年齢のアーファに対し、王国首脳陣は心配性過ぎるようだ。
「っと、そうだ。ゼロ、ルー。ここから先は私を陛下と呼ぶなよ。何のための変装か分からなくなる」
「そ、それは慣れるまで時間がかかりそうです、へ……アーファ様」
馬車内にいるのはアーファとゼロとルーの3人。馬車内の会話は御者台の者には聞こえないだろう。
「5日後には皇国に入る。それまでに慣れておけ」
「OKっす、お嬢」
「え、ちょ!?」
ゼロの対応力にルーがテンパる。アーファの指示通りなのだから問題ないのだろうが、慣れないことだらけで頭がついていかないようだ。
だがアーファは満足なようだった。
「うむ。そもそもこんな14の小娘相手に、お前らよく敬語で話せるな」
「いや、それが身分というものでは……」
「身分など、どの家で生まれたかの運ではないか」
どこか不満気なアーファの言葉にルーは言葉を失い、ゼロは黙って続きの言葉を待った。前後の馬車が揺れる音だけが聞こえる。しかし自分たちの乗る馬車は揺れが少なく、本当にゼロたちが乗る馬車は特注なのだと理解できた。
「私たちは高い身分の家で生まれた。それだけで同じ人間だろう。……私は世界が平和になったのならば、身分のない民主主義を実現するぞ」
「大きくでますね……」
リトゥルム王国には厳然と貴族と平民の身分が存在する。しかし、他国と異なり立憲君主制を導入している点では人権意識は他国よりも高い。人の支配が主流な世界各国の中、リトゥルム王国は世界に先んじて、先々代国王の時代に憲法を作成したのだ。
リトゥルム王家の輔弼機関として貴族議会の設置、地方行政、奴隷制の廃止、徴兵制、税制、諸々のことが憲法で規定され、“国王といえども法の下“の原則を守ってきている。この体制こそが、リトゥルム王国の強さだと、アーファは信じていた。
そして彼女が掲げる民主主義は、君主制、貴族身分を廃止し、国民たちによる代表議会を設立しての統治。大陸の覇を争う現状ではまだ遠い未来かもしれないが、遥かなる統一の先に、その夢を見ているのだ。
「その夢の第一歩、この計画は失敗できないな」
ゼロが口元に笑みを浮かべながらつぶやく。既に敬語を使う意識はなさそうだ。
「うむ。法皇とやらが話の分かるやつだといいのだがな」
「何か、情報はないんですか?」
話題がセルナス皇国の法皇、セルナス・ホーヴェルレッセン89世へと移る。
「代々法皇の座は女性がついている。そして現法皇の即位は3年前。即位の儀式も中央貴族だけで執り行われ、信徒たちへ姿を見せるのは今回の法話が初めてのはずだ。おそらく、まだ若いのだろうとは予想している」
「じゃあ今回のは皇国でもけっこうな一大イベントってことですか」
どこの国もやっていることだが、王国の諜報部は常時他国に一員を潜入させている。彼らからの情報をアーファは常に最重視していた。情報を制することが何よりも重要と、12歳で女王に即位した彼女は重々承知していた。
そこに、平和へのきっかけがあるかもしれないから。
――あのマスク女も首都の警護とかにいるのかな……。
アーファの言葉を聞きつつ、一大イベント、という言葉からゼロが頭に浮かべたのは戦場に現れるあの凶悪な力を持ったマスク女だ。おそらく自分と同い年くらいの、桃色の髪の少女。
戦っている時からわかっていたが、あの少女に殺気はなかった。ただひたらすらに自分の実力を試すように、全力を出すことを楽しんでいるように見えた。殺意すら見せない戦いを楽しむマッドマーダーか、世間知らずのお嬢様なのか。
凶悪な敵だとは思うが、ゼロは彼女に対して忌避感や嫌悪感を持っていなかった。エンダンシー使いと戦うことなど滅多にないという希少性からいい訓練になるという面もあるが、思ったことをそのまま口に出して戦うような直情型の性格が嫌いになれない、という点が大きい。出撃する度に、また会えるかな、と思ってしまっている自分がいることにはまだゼロ自身気付いていないが、マスク女との戦いは楽しいのだ。
「おい、ゼロ聞いているのか」
「え?」
マスク女のことを考えていたゼロはいきなり現実に引き戻される。
視線を前に向けると不機嫌な表情を浮かべるアーファがいた。
「4日後に到着予定の宿場町でカナン教の信徒に扮する。その後戦火から逃れようとする信徒を装い、歩いて防衛砦を抜け、国境を越える。カナン教の教義書だ。念のためにしっかり頭に叩き込んでおけ」
手渡されたポケットサイズの本をぱらぱらめくると、小さな文字がびっしりと並んでいた。声には出さなかったが、露骨には「うわ……」という表情を見せたゼロにルーが苦笑した。
「国境を越えて少し先の集落で、セルナス皇国の中央貴族クラックス侯爵と合流予定だ」
「会ったことはあるんですか?」
「ない。が、分かるように手立ては伝えてある」
他国貴族が本当に内応に応じているのか、不安は募る。もし合流地点に現れなかったら、皇国軍が待ち構えていたら、最悪な予想は止まらない。
「諜報部の情報を聞くまでもなく、皇国も一枚岩ではない。権力と金は人を腐敗させ、裏切らせるのに最適だよ」
口元に悪い笑みを浮かべるアーファは、とても14歳の少女には見えなかった。
「皇国も、って言ったけど、王国もそうなんすか?」
ふと、アーファの言葉に引っかかったゼロが問いかける。その質問にアーファが微笑む。
「疑わしきは罰せず、だ。時がくれば罰するときも来るかもしれない」
今はこれ以上言えぬ、という圧力を感じる微笑みであった。この少女は果たしてどこまで先を見て、王国を守ろうとしているのだろうか。
自分より幼い少女の立ち位置を考えては、絶句することばかりだ。
気づけば窓から見える風景から街並みが消えていた。王都を出立し、街道に入ったようだ。
まだ作戦は始まったばかり。国内移動中はせめて平穏であったくれと、ルーは願うばかりであった。
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