第8話 出発
そして、出発の日の朝はあっという間にやってきた。
旅路を祝うかのような晴天の下、綺麗に舗装された道を2頭立ての立派な馬車が走る。
「3人で馬車に乗るなんて久しぶりね」
くすくすと手を口元に当てながら白を基調とした軍服に身を包むゼリレアが言う。
『アノン、しっかりと坊ちゃんをお守りするのだぞ』
威厳ある声がウォービルの腰付近から発せられる。
黒基調とした軍服に身を包んだウォービルの腰には、鞘に納まった一振りの剣。ウォービルのエンダンシーは“ダイフォルガー”という名が与えられている。枝分かれした存在であるアノンにとっては父に当たる存在だ。
『私の出番がないのが一番ですけどね』
「たしかに。何事もなく陛下を皇国首都まで護衛し、帰還することに命をかけよ」
「はいはい……」
ゼロの前では一切の隙を見せないウォービルの言葉に、ゼロが見向きもせずに頷く。ゼロが身に付けるのは着慣れた、青を基調とした軍服だ。
この5日間の訓練は厳しかった。エンダンシーを使わない模擬剣の訓練から、素手での組手、エンダンシーを使った実戦訓練など、久々に王国最強の男の強さを痛感させられる日々だった。
ゼロ自身王国内で屈指の実力を持っていると自負はあるが、やはり父は今でも異次元だった。一度たりとも模擬戦で勝利できなかったのだから。
おかげさまで、生傷とともに技量も高まった自覚もある。
「女王陛下が国外に出るのは初めてのことだからね。しっかりとサポートしてあげてね」
「いや、俺だって国境付近以外行くの初めてなんだけど」
「皇国の地図は頭に叩き込んだな?」
「それはもう、いやと言うほどに」
両親から矢継ぎ早にかけられる言葉に適当に返事を返す。王城内では騎士団長同士であり、経歴からも二人は序列上位の存在となるが、馬車内ではまだ親子だ。ゼロは17歳という年齢を感じさせる、素直になりきれない反応を示していた。
「見送りには全騎士団長が参加するそうね」
「あれ、グリューン団長も?」
「そう聞いているけど」
「いや、結局クウェイラート殿は体調が優れぬということで、代理の者がウェブモート侯爵家から来るとのことだ」
「自分のとこの副団長が行くってのに、残念ね」
「むしろ、ブラウリッターこそ誰も呼んどらんのだろう? 大丈夫なのか?」
あたりさわりない会話の中、ウォービルから話を振られたゼロが「あ」と小さく声を漏らす。
「そういや、何も伝令出してないや。まぁ、シューマは優秀だから、そのまま継続して任務遂行してくれる、はずさ」
『シューマも団長に恵まれず、可哀想ね』
今回の任務に頭がいっぱいになっていたゼロは、自身の配下であるブラウリッターたちに今回の自分の任務を伝え忘れていた。
ゼロ以外のブラウリッターは両手で足りるほどの人数しかいないが将来有望な若い騎士の集まりだ。現在は副団長のシューマ・デルトマウスを指揮官として南部中立都市同盟への偵察任務についている。
「しっかりしてくれよ……」
ウォービルの口からは思わず本音が漏れたが、それが聞こえたかどうか分からないまま、馬車は王城へと到着した。
☆
「ブラウリッター団長、ゼロ・アリオーシュ到着致しました」
城門をくぐったところで両親と別れたゼロは真っ直ぐに王の間へと向かう。任務に持っていく荷物類は警備兵に出発用の馬車に先に積んでもらうよう頼み、ゼロの武器であるアノンも現在はブレスレットの形態になっているため、まるで手ぶらで訪れたようになっている。
王の間に入ると既にルーが待機していたが、玉座には誰もいなかった。平常運転と言わんばかりにリラリッターが整列しているが、団長の姿はないようだ。リラリッターの女性騎士たちからは、仮面をつけていないゼロに対してちらちらと視線が送られていた
「いやぁ、ついにこの日がきたねぇ」
ルーの隣に立ち、ゼロが軽く声をかける。
「そうなぁ。無事に事が進めばいいけど」
ルーの表情にも緊張の色はない。まだ安全な国内ということもあるだろうが、準備の間に腹をくくったということだろう。
「先に言っとくけど、もしものことがあっても助けないからな。いざってときはお互いを見捨ててでも、陛下の安全を優先する。OK?」
「おうよ。でも俺は後衛、お前は前衛。いざってとき先に動くのはお前ね。よろしくっ」
まるでゲームのルールを確認するように、命の優先順位を話し合う二人。話が聞こえる位置にいた騎士たちは、思わず絶句していた。
「揃っているな」
十数分が経過した後、両脇に白と黒の騎士を連れだって女王アーファ・リトゥルムが姿を現し、玉座に座る。その姿に今度はゼロとルーが絶句してしまい、跪くタイミングがワンテンポ遅れてしまった。
目の前に現れたのは、美しい金髪を顎先に届かないくらいまでバッサリと切ったアーファの姿だった。そして伊達ではあろうが、丸いレンズの眼鏡をかけている。場所が場所でなければ気付かなかったかもしれないほどの変化だった。
「お前たちの命を賭けさせるのだ。私も命がけなのは当たり前だろう」
髪は女の命、とはよく言うものだが、髪型で女性の印象が大きく変わるということを二人は痛感した。
「どこで皇国のスパイが私の情報を流しているか分からないしな」
彼女とて、不安で必死なのだということが改めて伝わってくる。御忍びで敵国に潜入するというのは、大部隊を引き連れて正式な訪問をするのとはわけが違う。一瞬の油断で、命を落とす可能性もあるのだ。できることは全てやる、という彼女なりの覚悟なのだろう。
「それで、お前たちはその恰好で出立する気か? 馬鹿なのか?」
髪型に気を取られていたが、アーファの恰好はかなり質素だった。平民たちのような麻ではないが、普段着る絹の服でもない、綿により作られたローブをまとい、かなり身分をやつしている。
ゼロたちとて平民に扮する用の服を用意していないわけではないが、登城に際してはやはり正装ということで各々の騎士団の制服を身にまとっていた。
用意してますなど、口答えができるはずもなく、ばつが悪そうに二人は背中を丸めながら、ルーが話題をそらそうとする。
「各騎士団長たちによるお見送りがあると聞いていましたが……」
「まさか城外で大々的に見送りをすると思っていたか? 皇国に何かを勘付かれたらどうする? 見送りがあるのではなく、彼らが見送りを希望したからそれを許しただけだ。全てはこの部屋だけで済ませる。後ろを見てみろ」
恐れ多くも質問したルーに対してアーファが答える。やはり彼女の発するオーラは、年下のものとは思えなかった。
言葉通りに振り返ると、いつの間にか王の間の入り口付近にて、リラリッターの列より後方の扉寄りに、赤、紫、黄、緑を基調とし、胸元に金糸でスリーソードが刺繍された軍服姿の各騎士団の団長たちが並んでいた。いや、緑だけは騎士団長ではないようだ。
「この部屋を出た後、数分だけ着替えの時間をやろう。その服は置いていけ」
「か、かしこまりました」
気圧されたルーが答える。改めて今回の任務の重大さを痛感する。国内に皇国を初め、他国の斥候が侵入しているなど想像に難くないことだ。王城への侵入は簡単ではないだろうが、内通者さえ一人でもいれば、それも容易だろう。
特に皇国はカナン教の国だ。リトゥルム王国は神話に登場する神々を崇める多神教国家だが、一神教のカナン教を禁教とはしていない。信徒を使った工作行為も想定にいれなければならぬというわけだ。
「今回の計画に失敗は許されない。王国の命運をかけた作戦と心得よ!」
「はっ!」
見た目をどんなに変えたとしても、その気品は隠しきれない。目の前の少女の放つオーラは大きい。
「各騎士団長たちに告ぐ。私の不在中はロートリッター団長グロス・アルウェイに平和を託す。万一、二か月経っても我らが帰還しない場合は、リッテンブルグ公爵に王権を委任する。私が死んだと知らせが入ったならば、その死を隠さず公表せよ。そして王位はリッテンブルグ公爵に譲渡する。これは勅命である。よいな!」
「「はっ!」」
これは事前に通達のあった内容であったため、動揺は走らない。リッテンブルグ公爵はリトゥルム王国の宰相を歴任する信頼ある大貴族だ。
この部屋の中にリッテンブルグ公爵の姿こそないが、王家の血を引く存在がアーファ以外いない以上、万一の事態になった際の王位はリッテンブルグ公爵が妥当だろうというのは、全会一致の意見であった。
「……死なせねーよ……」
聞こえる者など、よほど近くにいなければ聞こえないレベルの大きさで、ぼそっとゼロが呟く。その言葉を唯一聞き取れたルーが跪いたまま口元に笑みを浮かべる。
5日前よりもさらに頼もしく思えるブラウリッター団長に、ルーは安心感を覚えた。
「では、出発する!」
玉座より立ち上がったアーファに白と黒の騎士が続く。跪くゼロとルーの間を通った後、二人も立ち上がり後に続く。
「ゼロ、分かっているな」
王の間を出る扉付近まで進むと、騎士団長たちの視線がゼロとルーに集まった。この国を支える一線級の騎士たちであり、まだまだゼロでは及ばない相手たちだらけのメンバーだ。
「アリオーシュ家の名に恥じぬことをお約束します」
女王陛下が部屋を出た直後、声をかけてきた赤の騎士の視線を受け止め、真っ直ぐに答える。
ルーはルーで緑の軍服の男と二言三言言葉を交わしていた。
重い期待を背に、ゼロとルーも王の間を後にした。
☆
王の間の扉が閉じると、ゼロとルーは女王の侍女たちから着替えを渡された。アーファとて王の間に正装で来ないわけがないとは分かっていたのだろう。となれば、先ほどの叱責はパフォーマンスということか。
――なんでもお見通しか、さすがだな……。
別室にて渡された綿のシャツとキュロットパンツに着替えながら、改めてゼロは気持ちを入れ直した。
「一応、騎士団のことは意識してくれたんだな」
キュロットパンツはゼロが濃い青、ルーが濃い緑に染色されたものだった。
「この恰好、動きやすいな」
日常は耐久性を意識した軍服を着ることが多いゼロは、防御力など皆無だが通気性の良い平民服を着て素直にそう思った。
「そりゃー農作業とかするにあたって、動きやすさは大事なんじゃね? しかしまー、違和感はすごいな、お前」
美しい顔立ちと、育ちのよさを思わせる気品が、服装との違和感を与えてくる。まだ見慣れないだけかもしれないが。
「何着ても俺かっこいいからね」
『ぼやぼやしてないで、着替えたら早く移動しなさい』
普段と違う服に着替えて少しだけはしゃいだ気持ちになりかけたところを、アノンに叱責され、二人ははっとして女王のところへ移動するのだった。
☆
「何着ても、あの子は目立っちゃうわねぇ」
遠目にゼロとルーが見え始めたところで、アーファの隣に立つゼリレアがぽつりと呟く。密かにウォービルが小さく頷いたことに気付いた者はいないだろう。
顔立ちを隠すためのフードをかぶったとしても、むしろそれが目立ちかねない。ならば堂々としたほうがいいだろう、とはアーファの言葉だった。
「エンダンシー使いと魔法使いですか。武器を所持せずともよいあの二人はやはり適任でしたな」
アーファの一歩後ろに立つ礼服に身を包んだ男性は、先ほどは王の間にはいなかった男性だった。白髪が年齢を感じさせるが、細見ながら背筋はしっかりと伸びており、頼もしさを感じさせるこの男性こそが、リッテンブルグ公爵だ。生まれた時はまだリッテンブルグ王国が存在し、先々代の時代に幼少期を過ごした者であり、かつては王子という身分でもあった男性だ。先代国王の盟友でもあり、リトゥルム王国の治世に大きく貢献する存在である。
「リッテンブルグ公爵、私が不在の折、特に東部には注視せよ」
「東部ですか……御意」
アーファの言葉の意を汲み取り、公爵が頷く。大きく年の離れたアーファに対し、舐めることもなく対応する姿に、アリオーシュ夫妻は安心を覚える。
万一のことがあってはならぬが、もしも起こってしまった場合でも、公爵なら大丈夫だと思える。
「お待たせいたしました」
「うむ、ではいくぞ」
城門前まで移動し、女王と貴族とは思えぬ恰好に着替えた3人が用意した馬車に乗り込む。外装は一般的なものだが、揺れを抑えるためのクッションの効いた可動式の車輪やソファー調の座席など、外見では気付けない部分や内装は立派なものとなっていた。
国内移動の際は行商を装い、馬車三台で移動する予定だという。前後に食料や荷物を積んだ馬車を走らせ、間に入る形でアーファたちの乗る馬車を置く隊形を組むようだ。
馬車を走らせるのはロートリッターの騎士団員であり、安全を担保している。
「どうぞご無事で」
「陛下のご無事をお祈り申し上げます」
馬車に乗り込んだアーファに対し、ウォービル、ゼリレア、リッテンブルグ公爵が跪く。
「うむ、行ってくる」
頷くアーファと対面の座席に座ったゼロとルーは胸に握りこぶしを当てる敬礼の形を取り、見送りの3人に別れを告げた。
先頭の馬車が動きだし、中央の馬車も進みだす。
皇国での法話まで残り15日。
女王陛下を敵国まで無事に連れて行くという、極秘裏かつ危険な計画が、ついに始まった。
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