第2話 少女のプロローグ

「あー悔しい! 武器のくせに盾になるって、反則でしょっ」


 セルナス皇国首都にて、誰もいない部屋の中で少女はあらぶっていた。

 誰しもが二度見してしまうような怪しい嘴のついた黒いマスクを脱ぎ捨て、頬を僅かに紅潮させながら、少女は怒気を放つ。

 マスクの下から現れた少女は、マスクとは別な意味で二度見してしまう圧倒的な美少女だった。触れたくなるような美しい桃色の髪を肩口までストレートに伸ばし、透き通るような白い肌、形の良い唇、大きくくりっとした目に備わった美しい碧眼。一流の造形師をもってしても作れないであろう、神の寵愛を一身に受けたのではないかと錯覚するほどの美しさがそこにはあった。

 頬を紅潮させ怒る姿さえも、美しく、可愛らしい。


『まぁまぁ、ユフィ。あの武器の可変性の幅がまた一つ知れたのも収穫じゃない?』


 その怒った美少女、ユフィをなだめたのは彼女が右手につけた白いブレスレットだった。

 リトゥルム王国ではゼロとアノンが確信していたが、その予想は正解のようだ。


『あなたたち人間に得意不得意があるように、私たちの変化だって万能じゃない。得意不得意があるわ。きっとあの仮面男のエンダンシーは近接タイプなんじゃないかな?』


 明るい少女のような声だけが、ブレスレットから響く。つくづくどこから音が出ているのか気になるところだが、慣れてしまっているユフィはもう気にしていない。こういうものなのだ。それが答えでいいのだ。


『そもそも私は遠距離タイプなのだから、わざわざ近づいて戦う必要は――』

「ユンティうるさいっ! ここまできたら直接倒して、あの仮面はいでやらないと気が済まないの!」


 また始まった、とブレスレットながらに、ユンティと呼ばれた少女の人格は「はいはい」と黙り込む。基本的にエンダンシーは所有者に従順だ。所有者の成長に合わせてエンダンシーも強化されていくが、立場が逆転することはない。気苦労が絶えないだろうが、エンダンシーには病気や疲労という概念はなく、所有者の魔力次第なのだから、まぁ大丈夫なのだろう。

 そして、魔力次第という観点で言えばユンティは世界でも屈指の耐久性を持つといえるかもしれない。


 ユンティを所有する少女ユフィは、セルナス皇国の武を支える大魔法使いの一族として名高いナターシャ公爵家の息女だ。父はセルナス皇国の軍事最高顧問である皇国軍団長を務め、兄はカナン教の大司教近衛騎士長を務めている。セルナス皇国の武を支えている大貴族こそが、ユフィの生家ナターシャ家なのだった。

 ナターシャ家の娘として育てられたユフィは、自由奔放に育てられたといっても過言ではない。女の子に生まれたのだから、戦場に出なくてもよい、そういう人生ももちろんあった。


 しかし彼女は自ら戦闘訓練を申し出、魔法とエンダンシーを使いこなす戦士に成長した。大魔法使いと呼ばれるだけあり、ナターシャ家の者は例外なく常人の100倍近い魔力を有して生まれてくる。

 魔法を生業として軍属する魔法騎士や魔法使いでさえ、その魔力量は常人の20倍もあればなることができる。50倍もあればエリートだろう。

 それだけの魔力を有しながら、倒せない敵がいるだろうかと、1年程前に初陣に出たユフィには想像もできなかった。

 

 だがあの日、彼女は出会ってしまったのだ。宿命のライバルとも思えるような、忌々しきあの仮面男に。

 

 諜報部が集めた情報から、あの軍服はリトゥルム王国の誇る精鋭、王国七騎士団の一つ、ブラウリッターの団長のものであり、仮面の少年の名はゼロ・アリオーシュというらしい。アリオーシュ家といえばリトゥルム王国の武を支える武人の一族、ユフィはそう記憶していた。

 そもそも初陣の際に正体を気づかれぬために、かつて疫病が流行った時に流行したとされる怪しい嘴のついた黒いマスクをかぶって戦場に出たのは、今考えれば失敗だった。目立ってしまったのである。

 怪しいマスク女が戦場を縦横無尽にしていたところに、あの青い線が入った仮面男は現れた。そして攻撃を防がれたのだ。

 あの時の衝撃は一生忘れないだろう。

 ユンティの魔力伝導率はほぼ100%を誇り、ユンティを介してユフィの圧倒的な魔力を込められた弓矢は、敵兵にとって死刑宣告に近い存在となっていた。ユンティを使わずとも、魔法を発動すれば敵兵が倒せた。初陣序盤は実にシンプルな戦いで、自分の強さに心酔しかけていた。

 だが、魔力を込めて放った弓矢が仮面男のサーベルにより叩き落とされたあの瞬間、ユフィの世界は変わった。

 一般兵程度を相手にする感覚で放った攻撃だった、とユフィは言い訳しているが、あの場面はユンティにとっても衝撃だった。


 目にもとまらぬ速さで飛来するなど、有り得なかった。


 だがそれは現実に起こったのである。

 常識として弓矢を防ぐのは盾である。飛来する弓矢を叩き落とすには、正確に鏃を叩かねばならない。常人の動体視力では、まぐれでしか起こりえない芸当。いや、熟練の騎士ですら、そんな神業を意図してできるとは思わない。もちろんユフィ自身自分でできるなど毛頭思わない。

 自分の強さを悠々と誇示できていたあの場で。いい気分だったあの場で。その非常事態が、彼女の闘争心に火をつけたのである。


 初陣の時は気が動転したためすぐに退いたが、2度目以降の侵攻作戦では自ら父に直訴し、最前線に配置してもらった。そこでユフィが暴れると、必ずあの仮面男が現れた。

 声や口調から判断するに、今年で16歳になったユフィとあの仮面男は恐らくそう年齢は変わらないとは思うが、さすが一騎士団を率いる騎士ということなのか、ゼロ・アリオーシュという仮面の男は本当に強かった。

 その事実により、井の中の蛙だったことを知らしめられたユフィにとって、あの仮面男は戦場へ赴くモチベーションでもあった。

 いかにして彼を倒し、あの仮面をはいで勝利宣言をするか、それが今の彼女の望みだ。そのためには当然戦場に行かねばならないのだが、彼女はまるで想い人に会うかのように嬉々として戦場に赴き続けている。ゼロ・アリオーシュの仮面をはぐ、そして高らかに勝利宣言をする。その日のために努力を続けているのだ。


 だが今回もそれは叶わなかった。またしても意中の人に振り向いてもらえなかった、そんな感情に近いかもしれない。セルナス皇国のあらゆる貴族子弟たちがこぞって求愛する彼女だが、そんな安全圏でのうのうと過ごしている若輩者などに興味はない。

 今彼女は、戦場でしか会えないあの仮面男に夢中なのだ。


「次こそは、あの仮面はいでやるんだから!」


 ここまで5度の出陣で、お互いがお互いに攻撃を成功させた試しはない。セルナス皇国随一の美少女は、今日も勇み足で訓練場へと赴くのであった。

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