可愛い


「わたしは、可愛いを、諦めないっ!」


 少女は自分を、可愛いと思っている。可愛いと思い込むように、成長した。


 それは、少女にとっての、最後の命綱だった。


 始まり・・・は、あの日だ。少女が男と出会った、あの日。両親を失い、頼る者を失い、帰る家を失った。だから・・・少女は、可愛くなると決めた。自分は可愛いのだと、決めた・・・


 可愛いわたしじゃなければ、わたしの生きる道は、もうないのだ。そんな強迫観念があった。可愛くて、男が面倒を見たくなるような、少女わたしでいなければ。


 そうして始まった『可愛い』は、いつからか、少女そのものに同化した。少女はいつの間にか、本当に自分を『可愛い』と思うようになっていたのだ。そして、『家族』からも『可愛い』と、そう、思われたいと。

 だが、月日が経って、少女の『可愛い』は変わった。可愛くなどなくとも、男は――『家族』は、自分を可愛がってくれる。大切にしてくれる。だからもう『可愛い』は必要ない・・・・


 いまの彼女にとっての『可愛い』は、だから、もう違う。保身のための、消極的なものじゃない――。


「わたしが、わたしで――」


 彼女が、一個の人間として、初めて積極的に求めた、それは――。


「あるためにっ!!」




 自己肯定の、証だ。




 未来は諦めた。すべてを都合よく、幸福にする道は諦めた。だが、人間として、自分自身だけは、諦めきれない。


 少女は、『神』にすら劣らぬほどの、慧眼を得た。少女は、もう、人間を超えかけている。


 それでも少女は、人間を諦めきれなかった。人間でいたい。人間でありたい。そう願った。


 この、卑しくも美しい、存在を。不完全で足りない、それゆえの、愛らしさを。


 大切な『家族』と、同じものでいたい。同じ存在で――人間で、いたいと――。




 伸びる、見えない刃を、見切る。すれすれで躱して、懐へ。

 時空間の歪みに、対応して。加減速する刃を、払いのけた。


「ぬう――っ!」


 そのまま、至近距離で投擲された『赫淼語かくびょうがたり』を、仙人は躱した。そのとき、一筋、頬を掠める。


 その人体に、血が、流れた。


        *


「『えせ拳法〝箱庭〟』。『パララ』、〝大宙睡だいちゅうすい〟」


 瞬間、精神に――そして少女の身体に、ひとつ、稲光が巡った。


「『削痩拳さくそうけん』、最終奥義――」


「ク、ハハハ――」


 賞賛。からの、遥かなる高みから。『傲慢』の果てから、仙人は、笑みを落とす。


「〝老龍之爪牙ラオロンヂーヂャオヤー〟!!」


 爪を、立てる。体内に流れる電力を集約。電気の流れは、磁力を生む。つまるところ、鉄の剣に対してすら、抗力を纏う。その硬度・・で、抉り切る。

 十本の、鋭利な刃……いや、違う。


「足までとは……形振り構わん、か」


 いつの間にか、靴も脱いでいる。足の爪すら凶器に変えて、我武者羅に、遮二無二に、滅多矢鱈に、攻撃する。その怒涛に、さしもの仙人も、数歩を引いた。だが、問題なくすべて、防がれている。


「『無流派』、『可愛技かわいぎ』――」


 後退する仙人に、少女も半歩、後退して、凪を生む。その空間に、力強く両手を向けて――


「『猫騙し』!」


 諸手を打つ。鼻先で起きたその破裂に、久方ぶりの人体を体感している仙人は、つい、反射的行動を取った。戦闘中に、目を逸らしたり、瞼を落としたりはしない。だが、驚愕に、ほんの一瞬、怯んだ。


「『赫淼語』っ!」


 先に投げ飛ばした刀に、声を――腕を伸ばす。その刀が、血を与えた者の意思に従い動くことくらい、仙人には知れている。ゆえに、空中で方向転換して、自身の背後から飛来するその刀について、彼は常に目を光らせていた。

 払い落そうとも思ったが、しかし、瞬間の怯みで、やや行動が間に合わない。であれば、回避、か。……そうするほかなく、そうするのだが、しかし――。


 少しずつ迫ってきている・・・・・・・ことを、仙人は確信していた。確信して、口角を上げる。


「『秒桜剣びょうおうけん』――」


 仙人が躱した刀を、当然のように掴む寸前、すでに少女は、構えを終えていた。


「『桜幕の千舞フラッターフォール・フィナーレ』!」


 千――とまではいかずとも、32手。繰り出すごとに相手の認識をブレさせる、連撃。それを少女は――


「クハハハ――。見たこともない・・・・・・・剣技まで・・・・模倣するか・・・・・!」


 再現した。……しながら、その他の、あらゆる技術を、体術を、縦横無尽に繰り出していく。


 それは、たとえば――。


 カエルのごとき跳躍。硬質化する肌。長距離射撃の要領で小石を投げ、野生動物のような嚙みつきまでもを用いた。


 槍術を応用した突き。糸を用いた絡め取り。人体構成元素から毒物をも構成。長い銀髪を触手のように向け、攻撃する。


 人体限界の筋力。魔法のごときトリッキーさ。身体を霧化――させることはさすがにできないが、人体構成を一時的に崩壊させる回避行動。そこからの再組成で身体を治す。




 あるいは――。


 長姉のような、自信に溢れた心で。


 一歩も引かない、怪力と精神力で。


 騙し、惑わし、煽る、言葉の力で。


 なにも持たないゆえの、懸命さで。


 彼女の知る、この世界の物語、そのすべてをもって――。




「くだらん」


 そのすべてを、仙人は嘲笑う。双剣を掲げ、振り下ろした。


        *


 少女は、持つ刀、『赫淼語』で、仙人の『青紅の剣』を、弾き払った。だが、そこに生じた時空間の歪みに、刀を握る右腕ごと、動きを妨げられる。そこへ、『倚天の剣』が、振り下ろされた。


「あ、ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!」


 あっけなく、少女の右腕は、斬り――落とさ――れ――


「――ああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――」


 なかった。

 切断は、された。だが、落下するその右腕を、少女は左腕で掴み、逆薙ぎに振り払う。『青紅』を払いのけられ、『倚天』を振り下ろした。仙人のその隙に対して、少女の右腕は薙ぎつけ――叩きつけられる。


「ク、ハハハハハ――」


 斬られた右腕の、肘の部分が、仙人の顔面を叩く。だが、その程度の殴打だ。彼の左頬はわずかに歪むけれど、せいぜいが、『傲慢』に笑う程度の歪みと、見分けがつかない。


 しかし、その程度であろうが、手は、届いた。


「まだ、まだっ――!」


 身体を捻り、右腕の切断面に、肩口の切断面をぶつける。その一瞬で、右腕は再生した。そのまま、感覚が繋がった右腕に力を込めて、さらに圧をかけ――ようとする。


「ひとつ、問おう」


 そのころには仙人の動きも追い付いていた。少女の右腕が再生した寸後に、その腕を払いのけ、攻勢を再開する。

 仙人にとって、少女のこれまでの攻撃など、取るに足らないものだった。数々の人間の限界を見て、人間を超えるほどの異能を見て、それでも、『神』にしてみれば児戯にも等しい。


「ぬしのそれ・・は、どこが『可愛い』のだ?」


 しかし、当然と、人間にとっては・・・・・・・異様な光景だ。


 少女は、「可愛いを諦めない」と言った。その結果がこれだ。人知を超えた、化け物のごとき異様。斬り落とされた腕を武器にする程度、戦場であれば起こり得る。が、しかし、その現実にひとときの怯みも見せずに、さらには即座に再接続して攻撃を続けるなど、常軌を逸している。


 このような修羅の様相をもって、はたして少女は、どう『可愛い』と向き合っているのか。仙人の――『神』の身でありながら、彼は、ふと疑問に思ったのである。


「まだ……まだぁっ――!!」


「ふむ……」


 仙人には余裕があった。だから、少女へ言葉を向けた。だが、少女にそのような余裕はないのだろう。答えは――返ってこない。


「そろそろ、見苦しいな。……仕様があるまい」


 ここが、人間の限界か。そのように、仙人は諦めた。求めていたほどではなかったが、しかし、想定していたよりはよくやった。そんな、『傲慢』を抱いて。


「終いにしよう――」


 まだ、満足には程遠い。『神』となっても消えぬ闘志は、いまだ燻るばかり。それゆえの、下界への顕現。だがその結実は、落胆の残るのみだ。


 とはいえ、それも仕方のないこと。仙人が生きた時代とは、遥かに違う。このような生ぬるい世界で、いつかと同等以上の戦慄を求めるなど、もとより無理だったのだ。


 また、数世紀の頽落たいらくに揺蕩うのだろう。『神』が地上に干渉するのは、ごく一部の者どもをのみ相手とするにしても、あまり良いことではない。この顕現は、特例なのだ。


 その終幕を、仙人は振り下ろす。に、つまらぬ。と、諦観を添えて――。


 ――――――――




 ――わたしは、『可愛い』を、諦めない。


 わたしは、わたしを、諦めない――。




 ――――――――


「まだ――」


 意思よりも――意識よりも、速く!


「――――――――っ!!」


 少女は、ただ懸命に、動いた――。


「――まだよっ!!」


 なにが、起きた――!? 仙人は、瞼を見開く。右腕にひとつ、痺れが走った。電流――ではない。これは、競り負け、力負けした腕に、通う敗北。


『倚天の剣』が、弾かれた!?


「貴様――」


 驚嘆に、値する。だが、あくまでいまの仙人は、人体だ。絶対にありえないというほどでもない。だが――。


「なにを――」


 首筋に、触れる鉄。

 おかしい。と、仙人は思う。


 なぜ、そこに刃が突きつけられている!?


 それはまるで、時間を圧縮したかのような、唐突。人体可動の限界など、取るに足らない、速度!


「しておるっ!!」


 皮一枚を斬らせたが、それでも身体を引き、首を落とされることは免れた。


 なにをされている? 思考の隅で推測する。異能の類か。いいや……よもや『神』の域にまで達した、『神之緒神の力』か。


 …………。否。違う――!!


 仙人は瞬間に、『神之緒』や、それに類する『神』の領域、あるいは、それより高位の――別位の能力をも勘案して、それらすべてを、否定した。


「貴様――ノラぁっ!!」


 答え合わせのまえに、答えを知り。

 仙人はようやく、少女を認めたその名を呼んだ


「なにを、している……ですって?」


 だから少女も、一度だけ、口元を緩ませる。


 それは、人間だからこそできる、特異だ。他のどのような生物にも真似できない。ましてや『神』になど、できようはずのない。


 人間が扱える、最大最強の、力。




「がんばって、いるのよっ!!」




 目的のために。目標のために。未来のために。


 自分のために。友人のために。家族のために。


 理由なんて、なんでもいい。だが、ただただ一意に。ただただ愚直に。泥臭く。見苦しく。形振り構わず。我武者羅に。遮二無二に。滅多矢鱈に。


 できることを、すべてやる。できないことに、挑戦し続ける。諦めないで、進み続ける。


 それこそが、人間――。人間が持つ、もっとも優れた力。世界の常識すら覆すほどの、特異な、才能だ。


「がんばるわたしが、いちばん可愛いっ!!」


 だからこそ人間は、輝いているのだ。


 だからこそ人間は、美しいのだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る