未着の因縁


 ほんに、わっちは『怠惰』やなあ。

 そばかすメイドは思った。その心ごと――――。




「フルーアさぁん! ボクの筋肉が呼んでますよお! ほら! ほら!」


 ゴリマッチョがご自慢の筋肉を見せびらかした。そばかすメイドには意味が解らない。だが、後日確認してみるに、それは、彼なりの挑発だったらしい。

 だから素直に、そばかすメイドは笑った。メイドらしからぬ挙動で、口から唾をわずかに吹いて、笑った。


「ふるりんってマジ淡色系でエモカワ! うちと並んだら病みぴニコイチいけるくない? へい! うぇーい! ふるりんうぇーい!」


 パリピがタックルのごとき勢いで身を寄せ、わけの解らないことを言ってきた。長すぎる袖や目深にかぶったフード、大きなマスクで素肌を隠した陰キャの様相だが、その性格はやけに明るくて、うざい。

 だから素直に、そばかすメイドは困惑した。その優秀な頭脳をどう働かせても理解できないメンタルに、困惑した。


「フルーアちゃん! ごめん助けて! 無理だっての! なんでワタクシはこんなものを運ばされてんのさっ! 力持ちでも足元はおぼつかないってみんな知ってるくせにっ!」


 ロリババアがわーきゃー叫びながら、あり得ないほどの大荷物を抱えて走ってくる。一体全体なにがどうなってそんな状況になったのかは解らないが、とにかく、いまにも崩落しそうな彼女の荷物を急いで半分引き受けた。ロリババアからは過剰なほどのお礼と、賛辞が飛んでくる。

 だから素直に、そばかすメイドは誇った。自らの力が、こんなに他愛のない形で、誰かに貢献できることに、誇りを抱いた。


 若人にはわずかの恐怖をすら感じた。司書長からは忍耐を学び、壮年からは、『感情』そのものを教わった。


 そして、女傑からは――。


 掴みどころのなさ。のらりくらりと、気を抜く方法。肩肘を張らない生き方。――それでいて、締めるところは締める。人生への、緩急。


 つまりは『怠惰』を、盗み取った。


 誰かの意のままに操られる、そんな、感情もなくしたままの、『道具』としての『怠惰』じゃない。自分の思うがままに、気楽に気ままに行動するという、『人間』として当然とある、『怠惰』だ。


 それは、自分勝手に生きる、ということ。それには当然と、『自分自身』という『自我』、『感情』、『心』が、必要だ。そばかすメイドにとっては、一度失ったはずの、『心』。それがまたいつのまにか、その胸に収まっていることに、ずいぶん長いこと彼女は、気付かなかった。


 だが、いまなら解る。その、目に見えない『心』が、自分の中ここにあると解る。




 だから、この心ごと。記憶と、思い出ごと――――。


 今度こそ、永遠に、なくさないように――――。


        *


「『霊操れいそう 〝大宙睡だいちゅうすい〟』」


 息を吐き、吸う。その刹那の瞬きで、女傑は、己を覚醒させた。


 それは、己が深層心理への、物理的な・・・・アクセス。瞑想により到達する、悟りの境地に近い。いや、その表現でも生ぬるいだろう。


 深層心理へ刻み付けた言霊は、自らの未来すらも変革する。なりたい自分を顕現させ、望む通りに、世界すら創り変える。因果律すら無視して、ただ、目的を達するために、あらゆる常識をすら覆すのだ。


「言うとるやろぉが、フルーア」


 吃逆きつぎゃくのように唐突に甲高く、視界は粉々に砕け散る。その凍結の中心に手を差し伸べた女傑は、別なる者の腕を引き、問答無用に引き寄せた。

「ワレの癖は読んどんねん。おまえがなにを考えとるかはなぁ、うちにはちゃんと、解っとんのや」


 氷漬けになる寸前――いや、寸後に、女傑はそばかすメイドをその氷棺から引きずり出し、逃げられないように自らの下に組み敷いた。


「解らんよ。パラちゃんにはなぁ」


「解るわ。アホンダラぁ……」


 力ない言葉と、力のこもる腕に、そばかすメイドは押し黙る。


「なんで前しか見ぃひんねん」


「はあ?」


 まだ力を取り戻さない女傑の言葉に、そばかすメイドは語尾を上げる。戦いはすでに決している。だがだからこそ、勝者であるはずの女傑の方が、余裕を失っていた。

 いつだって覚悟を先に決めるのは、限界まで追い詰められ、負けが確定した方なのだから。


「楽しいことがあったんやろ。嬉しいことがあったんやろ。辛くて悲しいこともあって、それでもそれを、いまやったら、笑える思い出やって思えるやろ」


「なに言うとん? わけ解らへんわ」


「やったら!」


 へらへらあざ笑うそばかすメイドの言葉を吹っ飛ばすように、女傑は叫んだ。


「なんで前に進めへんようになったいうて、そこで終わろうとすんねん。終わらそうとすんねん! 八方ふさがりで、もうどこにも行けへん。やからなんや! もう戻れへん、それでも、ここまで歩んできた人生道のりは、ちゃんと後ろにあるやろぉが!」


 その長い蓬髪を乱して、女傑は言った。もはや光を失った右目ごと、そばかすメイドのふたつの光を射すくめる。


「WBOは解散すんねやろ? リュウさんはおらんなってまう。おまえはひとりになる。またひとりになる。やからここで終わる気でおった。……性根が暗いねん、ワレェ」


「解っとるなら逝かせてよ、パラちゃん。もとよりわっちは『道具』や。廃棄されてなお、だらだら存在する意味もあらへん」


「それが本当に、おまえの望みか?」


 目を逸らすそばかすメイドに、女傑は強い視線をぶつけた。もう世界なんて、自分なんてどうなってもいい。そう思っているかのような・・・・・・・表情をした、彼女を。


「八方ふさがりや言うたんはパラちゃんや。これはわっちの望みやない。やけど、ここまで行き詰ったわっちには、最善の・・・――」


 刹那。鼓膜が破れるほどの轟音に、そばかすメイドは押し黙った。肌が触れるほどの真横。彼女の耳元に、女傑の拳が突き立っている。


「やめぇや。おまえも、ノラも――」


 理性的に、選べる選択肢のうちから最善を・・・勝ち取ろうという、極めて現実的な発想。なまじ『先』が見えているから、それに固執する。だから全員が・・・不幸になる・・・・・。諦めてそういう未来しか見えなくなっているのだ。


 こいつも、あいつも。


 そう、女傑は苛立つ。


「立て」


 命令して、女傑はそばかすメイドの上から退いた。そばかすメイドも黙ったまま、女傑の言に従う。

 女傑はそばかすメイドに背を向け、徐々に距離を隔てていった。WBO本部ビル、エントランスホール奥の細長い廊下。その線に、十歩の距離を隔てて、女傑は再度、そばかすメイドに向き直る。


「いまのは八つ当たりや。謝らんけどな」


 ぱちり。と、瞬間、女傑の身体を一筋、電流が伝った。力なくうなだれかかっていたアホ毛が、みるみる持ち上がっていく。


「おまえの感傷とか知らんわ。やけどな、うちはおまえに貸しがある」


「…………」


 聡いそばかすメイドである。さきほどからの女傑の言葉。そのすべてを、彼女は解っている・・・・・

 だが、それでも。最後まで――最期まで、へらへら笑って、理解できない、といった顔をした。

 それでも、続く言葉を知っているから、彼女は、足元の双銃を、拾い上げる。


「せめてうちに殺させろ。この右目の恨み、片時も忘れたことはないねんで」


「…………ほんま、パラちゃんは、怖いわぁ」


 双銃を握った腕で、軽く顔面をこする。視界が悪かった。おそらく、氷が解けたのだろう。


「やけど」


 なおざりに表情を――身だしなみを整えて、彼女は笑う。それから少し息を吐き、目を閉じる。……開く。


「そらええ、興奮すんわ。…………頼ん、…………パラちゃん」


 もう一度、心を、世界を凍て付かせ。


 ふたつの銃を構え、そばかすメイドは、その美しい栗色の三つ編みを、揺らした。


 ――――――――


 だが、このふたつの決意はどちらも、唐突に起きた外部的要因により有耶無耶になることとなる。ゆえに、彼女と彼女の結末は、まだいくらかの、未来へ持ち越された。


 WBO本部ビル、エントランスホール奥での因縁。

 もう少しだけ、継続。



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