ヴィーナス・アトラクター


「さて、ギャグパートも挟んだことだし」


 そろそろ、少女たちの戦いにも、終止符を打たなければなるまい。……あれ、いま、地の文とられた? いやいや、まさか。偶然だろう。


 女神さまは素知らぬ顔でティーカップを持ち上げ、紅茶の香りを楽しんだ。決して多くはない湯気にその表情を隠し、だからこそ、神聖さが際立つ。


「まあ、僕が言ったことは確かに、根も葉もないただの真実だ。この世には理屈が存在しない、純然たる現実でしかない。だから、それはいい。そんな前提などなくとも、君を殺すことはできる」


「なんかもういいわよ。あんまり殺す殺す言われ続けたものだから、慣れちゃったわ。むしろあなたに親近感が湧いてきた」


「君が僕に親近感を抱くのは当然のことだ。だって僕は、君なんだから」


「確かに似ているわよね、わたしたち。年のころも同じくらいみたいだし、『シェヘラザード』に適応して、そのうえ可愛いなんて」


「おやおや、僕を可愛いと言ってくれるなんて、光栄だね」


 女神さまは、ティーカップを、置いた。

 それから、くつくつと、上品に、笑う。


「では、お友達として聞いてくれよ、ノラ。僕は君のために、君を殺そうとしているのだ」


「いいわよ。聞いてあげるわ、レイ。お友達だものね」


 少女が、少女のように笑うから、代わりに女神さまが、女神さまのように、表情を引き締めた。


「……今度こそ、心して聞いてくれ。君自身の、本当の記憶を」


 ふっと、女神さまは立ち上がり、片腕を――その細腕を、少女に伸ばしてきた。敵意。害意。殺意……は、ない。それは無感情に、ただただ事務的に、行うような視線だった。


「本当なら、君が自ら、思い出すべき記憶だ。しかし、もう時間がない。どうせこのまま死を待つだけなら、僕が――僕の手で、その記憶、戻してやろう」


 その結果、君が、死ぬとしても。


 女神さまはそう言って、少女の額に、触れ――――。


        *


 ギギギ――――。と、重厚な音を立て、その扉は、外側から開かれた。


「はあ……はあ……。レイ……!」


 血を、流していた。すでに衰弱し、息絶えそうな、初老の男だ。赤黒くしわがれた小柄な肉体を引きずり、それでも瞳だけは生気を失わず、力強くねめつける。


「あとはおまえだ。『九尾きゅうび』は手に入れた。あとはおまえが力を貸せば、WBOなんぞ、半日で壊滅できる……」


 距離を隔てていた。そのうえ、傷を慮っている妖怪には、女神さまの表情の変貌には、気付けなかったのだろう。もし気付いていれば、仮に、妖怪の役回りが少女だったとしても、わたしなら・・・・・引き返す・・・・。そう、少女は思ったから。一目散に、逃げ出す、と。


 そんな、女神さまの変貌は、一瞬。小さな舌打ちとともに、切り替わり、戻った。


「おやおや、招かれざるお客様だ。……なに用だい? ブヴォーム・ラージャン」


「じじいをその名で呼ぶんじゃねえ。おまえがニグレド第一段階なら、じじいはルベド第三段階。おまえよりも、先にいる者だ。ここまで自由にさせてきたが、もはや最終局面。力ずくでも、手ぇ貸してもらうよ」


「契約を忘れたかい? ブヴォーム・ラージャン。僕たちは対等だ。互いに互いを利用するが、決して、強制力を持たない」


「忘れちゃいねえ。が、こっちももう、余裕がねえんだ。だから、死にたくなけりゃ、今回だけ、手を貸しといたほうが、穏便に済む」


 妖怪は、脅すようにちらりと、二冊の『異本』を見せつけた。どちらも同様に、独特な模様の入った、黒い装丁。啓筆けいひつ。序列十一位。『白鬼夜行びゃっきやこう 滑瓢ぬらりひょん之書』。そして、序列十四位・・・・・。『九尾之書』。


「……みじめだねえ、ブヴォーム・ラージャン。それだけの傷を負って、こんないたいけな少女に、脅しまでかけて」


「みじめなんは承知の上だ。こちとらてめえらより何倍も生きて、そんなもんにゃ慣れきってんだよ」


「なにを偉そうに、恥部を誇っているのかね。潔ければなんでも許されると思っているのか? 恥を知れ」


「黙れ!!」


 妖怪は、飄々とした態度を壊して、感情を剥き出しに、叫んだ。


「もう時間がねえ。こんなじじいにも、やり残したことがあんだ。あいつは――あいつだけは許さねえ。リュウ・ヨウユエ!」


「……憐れだね」


 女神さまは小さく、呟く。


「なんだと……?」


 妖怪は怒りを鎮め――静めて、沈めて、溜め込むように、声を震わせ、睨みをきかせた。


「憐れだね。と、そう言ったんだよ。やり残したこと? それは、君がなにもやって・・・こなかった・・・・・ことへのツケだ。そんな歳になるまで、いったいなにをやってきたんだ? 時間がなくなったからって、急いで焦って、いまさらなにかをなそうなんて、むしがいいんだよ。夏休みの宿題じゃあるまいし」


「ふっざけ――」


「そもそも!」


 爆発寸前の妖怪の怒りに、さらに強い怒りを上乗せして、女神さまは叫んだ。


「僕の――僕たちの大切な話し合い殺し合いの場に、しゃしゃり出て、台無しにしてくれちゃって。どうしてくれるんだい。この状況。作者も展開に困っているよ?」


「……ああ、解った。てめえ。じじいとまともに話す気がねえんだな?」


「あるわけないだろう。いったい自分を、何様だと思っているんだい? 無駄に年齢だけ重ねた老害が。人生の先輩を気取ってるんじゃないよ」


「『九尾』……」


 妖怪が呟くと、ふわりと、光芒のようにぼやけた、黄金色の大狐が、現れた。その場――『女神さまの踊り場』は、天井が高い。五メートルはくだらないだろう。しかし、その大部屋の中においても、さも窮屈そうに、その九尾の狐は、腰を折り、少女たちを睨み下ろす。


 それに、無言で女神さまは、腰を上げた。俯き、その表情は隠されていたが、いまだ腰を落ち着けていた少女には、少しだけ、見ることができた。

 老害。などというほどでもない。いったいどれだけの世紀を越えてきたのかと思うほどの、複雑な感情を纏った、怒りを。


「おい」


 だが、その感情を打ち払う、一声が。それは、脇に控えていた下僕から、いやに力強く、発せられた。

 それに、上がっていた両肩を下ろし、脱力した女神さまは、すとん、と、力が抜けたように、また、席につく。


「……ごめん。……君に任せるよ、下僕くん」


「解ってる。黙って座ってろ」


 言うと、下僕は部屋の隅へ、すたすた歩いて行った。


「ああ、身体強化と転移系、あと、因果律操作は使うな」


「俺は、黙ってろって言ったんだがな」


 ったく。と、嘆息して、下僕はそこにまだ俯いていた紳士の片隅から、『箱庭百貨店』を拾い上げる。


「おいおい、この圧倒的な存在を前に、そんな脇役になにができるってんだい? だいたい、じじいは狭量なことは言ってねえ。時間もねえし、面倒だ。全員まとめて――」


「フラグはいいから、好きにかかってきなよ。もし下僕くんが君に負けるなら、僕が君の下僕になってやる。そのときは、この僕の全存在を、君の好きに使うといいさ、ブヴォーム・ラージャン」


 その言葉に、妖怪の目の色が、変わった。どうやらやる気は出たようだ。つまり、標的は、女神さまではなく、その下僕へと、移ったのである。


「いちいち――お膳立てしねえとやってられねえのか。女神さまってのは」


 だるそうに、下僕は相対する。


「最弱のこの俺に、いつもいつも……なにを期待してんだか」


 悪態をついても、少し、笑って。


 具象化系最強の『異本』。それより生み出された、九尾の妖狐へと――立ち向かう。


 ――――――――


「そこです! そこを左! そしたらすぐだ!」


 優男はそう、指示する。不思議な男だ。と、そう、思いながら。


「解った!」


 先を走る男は、スピードを緩めず、突き進んだ。


 優男も、決して、身体的に強力というわけではない。しかし、それなりに鍛えてはいるし、ある程度の戦場には立ってきた。体力に自信がないわけではない。

 であるのに、男はその先を行く。大切な者のためなら、実力以上の力が出せる。それこそが、彼の強さなのだろう。そのように、優男は理解する。


「……! 急げ、ゼノ!」


 男は最後の角を曲がり、なにかを見付けたのか、叫んだ。叫んで、速度をさらに、上げる。


「もう全力だってんですよ! まったく……」


 そうは言うが、優男も、もう少しだけ、努力した。結果が出たかは、ともかく。


 優男が最後の角を、遅れて曲がったころには、すでに、男は、『女神さまの踊り場』に、入った後だった。



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