挿絵回(単発エピソード)

もう一度、ここから。

※ カクヨム様には挿絵機能がないようですので、外部リンクを貼ろうかと試したのですが、うまくいかず、現状挿絵を挟むことができておりません。ご了承ください。

(ちょっと調べます)


 —————————


 2027年、一月。ニュージーランド、ワンガヌイ。


 とっ――――散らかっていた。いやもう、阿鼻叫喚だ。地獄絵図だ。


 家屋内に、一般的なご家庭よりもよほど多くある本棚たちは、見事に倒れ、数々の書籍を散乱させている。自然に寄り添うような丸太組建築ログハウス。その中に調和するように木製家具で統一されたテーブルや椅子もひっくり返り、ものによっては破損が見て取れる。あるいは、そんな中でも珍しい鉄製の暖炉は、家屋に備え付けゆえに微塵も揺らいではいないが、同様に、その家屋内では珍しい鉄製の調理器具は、キッチンと一体になったリビングスペースにまで吹き飛んできていた。衣類をしまったタンスも倒れ、そこに住む者たちの下着に至るまで、あけっぴろげに散らかされてしまっている。


 男としては目のやり場に困るが、しかして、ここまで散らかっていると、あらゆる『物』が『散らかった部屋の一部』としてしか認識されないようだ。それにそもそも、娘とも呼ぶべき少女のものであるので、変に気にするのもおかしな話だろう。


「ああ~! もうっ! どこいったのよ!」


 その、件の少女は、これ以上ないほどに物の広がった空間を、さらに散らかしながら声を張る。その怒りを、そこにいる男にぶつけて発散するかのように。


「おまえが物を失くすなんて、いったいなにがあったんだ?」


 男は腰を屈め、自身の足元付近を探索しながら、少女へ問うた。


 東洋人、である。だが、その中では割合、目鼻立ちの凹凸がある方だろう。やや怠そうに目を細める表情が似合う男だった。彼は屋内に入っても変わらず、黒のスーツをノーネクタイで着崩した上に、年季の入ったぼろぼろの茶色いコートを羽織っていた。そして頭には黒のボルサリーノをかぶり、どこか余所行きの格好だ。


 失せ物など、誰にでもあることである。しかし、さも珍しく、あるいは驚愕に値するとまでの感情を持って、その男は少女に声を返したのだ。というのも、少女の頭には『異本』と呼ばれる特別な力を持つ書籍が・・・収まっている・・・・・・。世界に776冊あるというその『異本』を、すべて集めることを目的とする男と少女ゆえに、その事実についてはすでに、互いに当然の、言うまでもない事柄であるが、それゆえに言いたくもなる・・・・・・・


「おまえの頭に記憶された・・・・・『異本』のことを思えば、物を失くすなんてあり得ねえだろ。人間の限界にまでも到達しうる、頭脳と身体の発達。それを行えるのが『シェヘラザードの遺言』だろうに」


 かの『異本』の名を口にして、男は嘆息した。不機嫌な少女との沈黙が辛かったからこその、あえての発言だ。決して初見さんのために、解りやすく端的に、その『異本』についての説明を語ったわけではない。断じて。


「うるさいわね! 解ってるわよ!」


 一時、探索を辞め、少女は這いつくばっていた体を起立させた。両腕を腰に当て薄い胸を張り、不遜な格好で仁王立ちする。


 腰までの長い銀髪は、細く、美しく煌めく。白い肌に、白いワンピースがよく似合う、可憐な少女だった。しかし、ただ美麗であるだけではない。その、腰に当てた両腕は、ところどころ黒く滲んでいた。特に、左腕は顕著に、痛々しい。それは数年前に負った火傷の痕であるが、現在ではそれも、少女は隠すことなくひけらかしている。まるで、その、目を背けたいほどの『痛み』に納得したように。自分の中で、折り合いをつけたように。


 少女は、キラキラと宝石のように輝く緑眼を男へ向け、少し、視力が悪そうに睨んだ。もちろん、『異本』の力を内在した少女は、視力すら人類の限界にまで引き上げられる。ゆえに、その目つきは、視力の問題ではなく、気持ちの問題だったのだろう。


「可愛いわたしにも、こんなことは初めてよ! 悪かったわね!」


 とにかく憤慨していた。それはおそらく自らに対してなのだろうが、その悪態は、なぜだか男へ向けて放たれる。


 少女は、自身の言葉通りに『可愛い』姿をほこりまみれにして、また、床に這いつくばった。その姿勢のまま、いろんなものを放り投げ、薙ぎ倒し、探し物を再開する。


 話しても話さなくても、やっぱ不機嫌だな。男はそう思って、嘆息した。だが、少女に叱られないうちに、探し物の手伝いを、気だるげに続ける。


        *


 探索は、続く。少女は這いつくばったまま、いまはやけに広い、床下収納へその体を潜り込ませていた。男も少し覗いたことがあるが、それは床下収納というより地下室である。


「ノラ。それで結局、いま探してる『異本』ってのは、なんなんだ?」


 やはり沈黙していると、少女の苛立ちがひしひしと圧迫してくるので、男は耐えきれずに会話を始めた。少女の、その名を呼んで。


 それに対して、少女も男の名を呼ぶ。だがその前に、一度、不機嫌そうに、「ええ!?」と、暴力的に声を上げてから。


「ハクなら、見れば解るわよ! 家族が持つもの以外、うちにある『異本』はあなたの『箱庭図書館』に入れたんだから! あれ・・以外は!」


 地下収納に顔を突っ込んでいるからだろう、怒り以上に大声を上げて男へ返答する。その語調と、はっきりとしない物言いに、男はやはり嘆息した。


『異本』を蒐集する『異本』、『箱庭図書館』。男が持つその『異本』に、確かに多くの『異本』を収めたものだが、どうしてその一冊だけ入れなかったのか? たいした労力でもないのに、なぜその『異本』のタイトルを言わないのか? その疑問は解消しないままにして。


「とにかく、ヘンナ色の装丁よ!」


「変な色ってなんだよ」


「赤褐色!」


 少女は言い直した。さすがに言い方が悪かった、が、語調はそんな照れ隠しから、むしろまた強まってしまう。それに反省も、しなくはないけれど、まあいいわ、と、捨て置いた。男との長い旅路の果てに、少女はもう、男を父親とまでに慕っていたから。


 これくらい、いいわよね。と、少女は少しだけ笑う。そうして軟化した態度は、あまり男には、見せたくないけれど。


「なあ、ノラ」


「わわわ――――!!」


 一瞬の気の緩みに、ぬうっと、男が割り込んだ。だから、少女は落下する。地下室とも言えるほどの、地下収納へ。


「痛――ったた……。なによっ!」


 文句と合わせて、少女は男の呼びかけに応える。暗い地下収納から、明るい部屋を見上げ、逆光がかかった、男の冴えない顔に向け。

 さすがにばつが悪かったが、たぶん照れ隠しも含んでいるのであろう少女の態度を逆撫でないように、とりあえず男は要件を済ませることにした。


「赤褐色ってどんなだ?」


 また別の理由で、少女の怒りはまた少し、鎮まる。

 だが、それと同じ理由で、感情はまた、猛った。


「嘘でしょ!?」


 今日一番の大声で、少女は叫ぶ。


        *


「あっ……」


 立ち上がり、服の汚れを払っていたとき、少女はなにかを見つけて、頓狂に声を上げた。そして目標物を拾い上げ、男を見上げる。その顔は、これまでの憤慨を吹っ飛ばして、無邪気にいたずらに、含みのある笑顔をしていた。


「どうした? あったのか?」


 男は問いかけ、手を差し出す。少女は、素直にその手を取り、地下収納から這い出る。そのとき「うん?」と、少女はもうひとつ、なにかに気付いたみたいであった。


 男の問いには答えないままに、少女はひとつ、とっ散らかった部屋から、あるものを拾い上げる。タンスの奥にしまい込んだままだったはずのそれ・・も、あまりに乱暴に引っ掻き回したせいで、表に出ていた。ちょうどよく。


 その――かつて火傷していた腕を隠すように装着していた、豪奢なオペラグローブを、彼と彼女が出会って、初めて贈り、贈られた品を、大切そうに身に着ける。リビングの中央に、せめてひっくり返った机くらいは整えて、面と向かう。


 いつかの気持ちで。初めて――男の『異本』蒐集を、少女が手伝ったときの、そのときの気持ちで、そのとき手に入れた一冊と、関連の深いそれ・・を、手渡す。


「はい。ハク」


 いまだ少女のままの姿で、少女のままの笑顔で、ほんの少しの照れとともに。




「『ランサンのフェイク』。『十三番』」


 ヘンナ色の装丁、その、一冊を受け取る。そのタイトルを読み上げ、少女の、エメラルドのような瞳と、自身のそれを合わせた。


 男にとっては、さほどの古い記憶でもない。それでも、少女にとっては、それなりに遠い物語だ。特段に見識が高いわけでもない、いい歳したおっさんの時間と、多感で、そのうえなんでも見通せるような少女の時間は、並行に歩もうとも歩幅は異なる。それでも、互いに少しずつ寄り添って、いつのまにか交わることができたいまなら、その長さも、互いに推し量れているのだろう。


 男は、感じたそれを、素直に受け取ることにした。だから、少女が娘らしくしたように、男も父親らしく笑って、気持ちを同じくする。


「いろいろあって、忙しかったけれど。改めてもう一度、ここから始めましょう。ハク」


 少女はその気持ちを、少し照れながらも、言葉にした。


「ああ、よろしく頼むぜ。ノラ」


 男も、また。



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