ありえたはずのあこがれ
さて、腹ごなしも済み、本格的なダイビングの準備である。とはいえ、今回はボンベやゴーグル等の、一般的な器具は不要だ。身体保温用のダイビングスーツ、足につけ、力強く泳ぐためのフィンあたりは装着するが、基本的にはそれくらいである。そして呼吸のための装備は
だが一点、深海の暗黒を照らすだけの『光』だけはまだ必要である。ちょうど直近で『光』を操る『異本』、『
とはいえ、あまり大型のものを持っていくには、力も、
ともあれ、実際に潜る男と少女の準備はそれだけだ。他にも互いにちょっとした小物くらいは用意したし、一番重要な、『
*
ギャルは準備してきた自身の『異本』を天に掲げ、にやりと笑う。それを合図にしてか、その『異本』を中心に、おびただしい量の光が煌めき、周囲を七色に染めた。
謎のリボンがギャルの周辺をはためく。それは決して高密度ではないのに、どの角度から見ても放送禁止に引っかからないレベルで、ギャルの体を隠した。それでも、弾けるようにほどかれた紐、それにより当然と脱げていく彼女の水着は、リボンの隙間から十二分に、その状況を理解できる。
あるいは、ギャルの全身を覆う塗装物も、次々剥がれていった。顔面を彩るメイクも、全身をギラギラと煌めかせるピアスも、なぜだか、後天的に焼いた小麦肌すら魔法の力で戻されて、生まれたてのようなたまご肌になっていく。
金髪巻き毛のツインテールもほどけて、巻く以前の直毛へ。抜いた色も戻り、艶のある黒髪へ回帰する。そうしてすっかりあどけない様相に戻った彼女を、さらにフリフリで、ふわふわな、あまあま衣装がコーティングしていった。
穢れなきたまご肌。それでも血の通ったその肌よりかはよほど無機質な、純白の衣装がギャルを包んでいく。両の手を包む、フリル付きの白いグローブ。両足には膝まである編上げのロングブーツ。こちらもエナメル質に光沢のある純白色だ。
そして全身を覆うは、いたるところにフリルがあしらわれた、純白のドレス。地面に引きずるほどのロング丈。しかし、前面は大胆に、太腿まで顕わになるほどカットされ、動きやすさを追求しつつ、色っぽさも演出している。肩をぎりぎり覆う程度のノースリーブ。胸元も大きく開いていて、決して大きくはないが、小さくもない彼女の主張を、見せびらかしていた。胸元、袖口、スカートの端々には、細かに光る七色の宝石が装飾され、周囲の目を引く。あるいは、布地自体にもわずかにところどころ、フリルの影に隠すように七色の染色がなされ、全体としてわずかにグラデーションがかっている。
仕上げに、彼女は右腕を掲げ、空を掴んだ。そこにふと現れ、その手に収まるは、純白のステッキ。そのステッキの先にも七色の宝石が存在感強く煌めき、その、魔力を秘めたようにゆらゆらと輝く宝石たちは、それぞれ違った様相に光を放っていた。
そのステッキでもって自身の頭を可愛らしく小突くと、ぽんっ、と、小気味よい音を鳴らして唐突に、七色の花輪が頭部を飾る。そうして形容が整うと、たおやかに腰を曲げて、小首を傾げて、横ピースとウインクを添えて、決めポーズ。
「雨降って地固まる! 曇天突き抜け、みんなに、夢と希望を
相変わらずのノリノリな動作で、ギャルはギャルをやめた。
*
瞬間の凪。静寂が船上を包んだ。
そして、爆発する。
「あ――っはっはっはっは!! ふっ……ふひっ! ふはっはっはっはっはっはっは――!!」
うずくまり、男は甲板を割るほどの勢いで、バンバンと叩いた。そうでもして発散しないと、爆笑で全身が破裂しそうだったから。
「だ、だめだ! いひっ……ひーっひっひっひ……! し、仕方ねえとはいえ、ふひっ! 出発前に笑わせんの、や、やめてくれ!!」
あまりに変わり果てたギャルを見ると、どうしても男は笑いをこらえきれないようだった。もはや言葉を紡ぐのも限界だ。ただただ気が狂う前に気持ちを落ち着けようと、甲板を叩くだけの機械のように成り果てている。
だからギャルは冷めた目で、男を見下ろしていた。腕を組み、顎を持ち上げ、見下す。そろそろその頭でも踏み付けてやろうか。などと考え、嘆息した、そのとき。
「ああ~、あいっ! まっほうしょうよ~?」
きゃっきゃっと、ギャルの変身シーンや、最後の決めポーズをあどけなく真似て、女の子は大興奮だった。実のところ、ワンガヌイの少女らの家には、テレビがない。情報収集のためのパソコンくらいあるが、あまり電化製品を好まず、自然と寄り添うように生活しているのだ。あるのはせいぜい、冷蔵庫くらいか。洗濯すら手洗いだ。
まあともあれ、そういった理由で女の子も、こういった娯楽映像には縁がなかった。隣町パーマストンノースの託児所でもテレビを見る機会はなかったし。そもそも年齢以上に幼い女の子に関しては、あまり外出をさせていない。つまり映像以外であろうと、外の世界の娯楽に触れる機会はかなり少なかったと言える。
だから、少女にとってもその反応は意外だった。だが、やはり女の子も普通の女の子で、そういうキラキラしたフリフリの、可愛さ全振りの姿には興味があったようだ。
「ま、ま、ま、――」
そして、幼女もである。
「マジカル・レインボー!! え、本物!? なわけないんだけど! 本物だぁ!!」
女の子ほどはっちゃけたりはしないが、興奮を抑えきれないように前屈みに、足踏みも、キラキラ輝かせる瞳も、止めようがないように歓喜した。
「すっごい! すごい! アリスさんって、魔法少女だったんですね!!」
その幼い女子ふたりの好感触に、ギャルの不機嫌も緩和される。にっへへぇ。と、笑い、改めて自分の意思で、決めポーズをキメた。
「そぉだよぉ! アリスちゃんは実は、魔法少女だったのだぁ!!」
「「うおおおおおぉぉぉぉ!!」」
女の子と幼女はシンクロして大歓喜する。そしてそれを、腕を組んで、仁王立ちして、冷めた目で見る少女がひとり。
「…………」
口元はひくつき、冷めた目は半笑いだ。どこか小馬鹿にするような、嘲笑のような。
そんな少女にはギャルも気付いていたけれど、どうにも悪意は感じられなかったので、気にしないでおく。いまは喜んでくれる子どもたちのためにはっちゃけるのが、自分の役目だと信じて。
「…………」
少女はどこかむずむずしながら、そんな光景を眺めていた。
あ、ちょっと可愛い。混ざりたいけど、さすがに……。とか、抑えきれない感情を無理矢理、抑えていたのは内緒だ。
*
興奮もひと段落して、そろそろ本題に入る。ギャルの目から見ては、少女の形相もやや引き攣り、強張ってきたから。
「じゃあまあ、そろそろ準備しないとねぇ。おふたりさん。心の準備はおっけぃ?」
もはや甲板に俯せて同化していた男もさすがに起き上がり、息を落ち着ける。ギャルの姿を再確認すると、胸の奥からまだ込み上げるものはあるが、なんとか抑え込んだ。
「ああ、頼んだぞ、アリス」
吹き出しそうになりながらも、神妙に、男は言う。
「ノラちゃんも、おっけぃ?」
「……ええ」
少女も、おかしな感じにならないように、極めて冷静に応えた。魔法をかけてもらいやすいようにとの配慮を演出しつつ、少しだけギャルに寄り、その可愛いフリフリ衣装を間近で眺めながら。
「んじゃあ! 注意事項はこないだ言った通りだから、気を付けてねぇ☆ 重要なことだけ確認するけど、……時間はきっかり120分。これが耐久性と酸素の確保をできるぎりぎりね。水圧はほとんど、人体に害をなさないように打ち消すからぁ。ぱっと潜って、ぱっと上がってきてよ」
本来、深海への挑戦は潜るより浮上に時間がかかる。これは先に話した水圧が原因だ。2014年に樹立されたスクーバダイビング世界記録である332メートルへの挑戦は、潜降が14分で行えたものの、浮上には14時間を要している。深く潜ることで水圧が上昇し、肺にかかる圧力が上昇する。逆に上昇時にはその圧力が低下し、肺が急激に膨らんでしまうことによる。あまりに浮上を急ぐと、急激な肺の膨張により、最悪、肺が破裂してしまうのだ。
だが今回のダイビングにおいては、魔法により水圧の負荷をほぼ無視できる。ゆえに、急潜降も急浮上も体に害はない。ということである。
「で、まあ、あとはあんまりしゃべんないことだねぇ。理屈としては、ふたりの体を、水の侵入や水圧を打ち消す膜で覆うわけだから、普通に声を出して、しゃべることもできるんだけど、空気を消費しちゃうから最低限にね。あんまりしゃべりすぎると、空気を早く消費して、潜水時間が短くなるから」
はっきり言って、120分――二時間という時間制限はかなり厳しい。先のスクーバダイビング世界記録を勘案すれば、深度が約3倍、ならば、潜るだけなら単純に3倍の時間、40分そこそこで行えそうだ。しかし、少女はともかく、男は素人である。世界記録保持者と同等にいくはずがない。いくら魔法で多くの障害を無視していると言えども。そう考えると、本当に会話をする空気的余裕はないと言える。そのために彼らは、だいたいの蒐集の流れも、いざというときの行動も、ハンドサインやらも決めてある。とはいえ、未知の深海だ。不確定要素がある以上、多少の会話は避けられないだろうが。
「ああ、了解した」
ギャルの説明を受けて、男が返答する。少女を見遣ると、彼女も頷いていて、特段の問題なく理解したと表現している。
そんなふたりを見て、ギャルも頷いて応えた。そして、開始を宣言する。
「こっちからじゃ、ほとんど手助けなんてできないからね。無理ならいったん戻るんだよぉ、ハク。まあ魔力もぎりぎり使うから、戻ったら二十四時間は、あたしは休まなきゃだけど」
一日二日なら余裕はあるだろうが、一週間もこんなところで立ち止まっている場合じゃない。少女はそう思う。ギャルの魔力がどうとかというのも、本当に二十四時間で完全回復できるのか怪しいものだ。つまり、基本的には一度目で成功させたい。少女はそう、内心で確認する。
いざというときは『箱庭図書館』を預かり、男だけ引き返させる選択肢もあるかもしれない。そう、思う。
「……んじゃあ、いっくよぉ☆ 沈着の青。『アクア・リボン』。〝
髪飾りの青いリボンをほどき、新体操のようにくるくる回して、その回転を男と、少女に向ける。青い輝きから放たれる水流が、そっと、男と少女に一枚の膜を纏わせた。
これで準備は、完了である。そして前人未到の深海へ、男と少女は、向かった。
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