幕間(2026-12-1)

ドリフター


 ここではないどこか。されど、確かにここに影響を及ぼす者たち。


「ちょっと! いつまでそうしてるの!?」


 小さな羽で忙しなく飛翔し、行ったり来たりする、紫色の妖精。その羽ばたきから欠け落ちる鱗粉は、たとえ永劫の暗黒の中ででも小さな光源として存在感を振り撒く。

 そんな、この世界・・・・には存在しないはずの生命体が、やはりここではないどこか――その、果て無く漆黒に塗り潰された空間で、そこに怠惰に寝転ぶ少年へ声を上げた。


「そんなこと言われたって、もうだめだよぅ。無理よ、無理ちゃんよ」


 すでに半泣きのような声で、少年は言った。気弱になっている。とも言えるが、どちらかというと拗ねているような様子だ。


「難易度高過ぎだろ、この世界。人間には魔力もなければスキルすらない。現在のステータスすら数値化されてないんだよ? 僕、いったいいまいくつよ、レベル」


 ぐすん。と、少年は言葉で泣き真似を加速させた。泣きたい気持ちであることは本心のようだが。


 そんな相棒に妖精は嘆息し、空中で足を組む。その空間に背を任せ、くつろぐように寝転ぶが、実際のところはさして快適でもない。むしろ腹筋に力が入るほどである。それでも、妖精は相手を見下すため、あえてそのような姿勢で構えたのだ。


「まあ、あたしの見たところだと、20にも到達していればいいところだね。まさしく魔力もスキルもないんだから、一概には言い切れないけども」


 いやむしろ、魔力もスキルもないのだから、そのレベルすらだいぶ誇張してかさ増ししてある。とは、妖精といえどさすがに言えなかった。少年をこれ以上落ち込ませても仕方がないのだから。


「20……」


 それでも、その数値に、少年はさらに深く、頭を沈めた。丸く自らの体を抱き、母親の胎内に籠るような姿勢である。


「せめてモンスターくらい配置しとけよ。容易にレベルすら上げられねえ。ぐすん。……帰りたいよぅ」


「ええい、うっとおしい! 泣こうが喚こうが、そうやってうじうじしてようが、現実は変わらないじゃないの! 『憑依』の才能だけは残っているんだから、また強い人の力を借りればいいでしょうが!」


 その、強い言葉遣いに、少年は少しだけ観念して、ようやっと顔を妖精へ向けた。


「そんなんでどうにかなるかよ。あのベリアドールでもだめだったんだよ? 彼はもう戦えない。他にいったい、どんな強いやつがいるってのさ」


「探せばきっといるのよ。どうやらこの世界、『アウウの宝珠』よりもよほど広いみたいだし。『憑依』に適応する誰かが――」


「気休めはよしてくれ。数百万の人間を確認して、確認できたのはベリアドールと、あいつくらいじゃないか。あいつは無理だよ。虚弱すぎる」


 そう言われると、妖精も返す言葉がなかった。もとより『憑依』は、元の世界でも適応する相手が少なく、かなり扱いの難しい才能であった。それが、この異世界・・・ではさらに、適応する者が少なすぎる。

 その数少ない一人が、ベリアドール・ジェイス・ダイヤモンドという、この世界でも群を抜いた強者だったのは幸甚なことであったが、しかし、その駒ももう、戦える体にない。


 そして彼の言葉通り、数百万を確認して適応を示したもう一人が、あまりに身体的に虚弱であることはまったくの不幸だ。その若者も、こと戦闘に関してはうまく使えば、決して弱くはないだろうが、彼を使いこなせる精神力が、きっと少年にはないだろう。


 それらすべてを理解しているから、妖精は口籠り、結局、嘆息するしかなかった。


「とにかく。まだまだまだまだ、この世界に人間はいるのだから、諦めずに地道にいくしかないでしょ。ゼロ」


 少年の名を呼ぶ。慈愛の気持ちとともに。


「リリ……」


 その気持ちが伝わったのか、わずかに心持ちを強くして、少年も妖精の名を呼んだ。


        *


 光が、射す。いや、闇が掻き消える。そして、空間が広がる。


「……ここにも、であるか」


 まさしく自らでそれを引き起こしたように、その空間の広がりの中心から一人の――いや、一柱の乙女が現れ、嘆息した。


「誰だっ!?」


「――きゃあっ!」


 少年は、これまでうずくまっていたことなど忘れ、とっさに迎撃に構えた。が、妖精は対処が遅れ、その乙女に――彼女が伸ばした見えないなにかに、捕まる。


「……誰、か。……いやいや、そちらには理解されておるつもりであったが。これは失礼をしたな」


 言うと、見えないなにかを、少なくともそれで妖精を捕まえてしまえるほどのなにかを操れる乙女でありながら、「よいしょっと」と、自らの両腕を用いて、どこぞから玉座とも言うべき華美な椅子を取り出し、設置した。そして当然と、乙女はそこに座る。


「……我はこの世界の神である。とはいえ、使い走りの一柱でしかない、がな」


 おかっぱ頭に矮小な体つき。まだまだ幼子のようなその外見でも大仰に、尊大に椅子にもたれている。その姿は、神というよりは巫女。それも、小袖こそで緋袴ひばかまの袖や裾は、永遠とも言えるほど遠くまで長く伸びている。明らかに衣服としての機能を果たしていない。その顔に張り付けるは、あどけなくも顰められた表情。それら姿は、確かに神のごとく常軌を逸している。


 それに、そもそもその空間は、妖精の力により創り上げられた異空間だ。それこそ神ほどのものでなければ干渉すらできようはずもない、空間。それがいとも容易に破られ、そのうえ、別の異空間にまで上書きされている。確かに、そんなことができる存在など、少年の知識からしても、神としか言いようがなかった。


「神、が、……この世界にも、いるってのか。……それで、その神様が僕らになんの用だ?」


 自分たちの世界の神。そのあまりにも強大無比、そして神出鬼没にして悪逆無道な振る舞いを想起して、少年はやはり、警戒に構える。もしものときは切り札を切るしかない。それだけの状況だ、と、常に準備しつつ。


「……なに。困っているようであるから、救いの舟を出しにきただけである。神らしくな」


「救い?」


「……『憑依』、とやらの受け皿がなく、困っておるのだろう? であるから、特別に我が用意した。ダイヤモンド公爵ほどではないが、十二分に戦えるはずである。とはいえ、ネロの小僧に太刀打ちできるかは、そち次第だが」


「そうか。それはわざわざご足労、感謝する。……それで、リリはいつになったら放してもらえるのかな?」


「……ふむ……」


 突然の、まさしく助け舟にも警戒を怠らない。神とは、それこそ悪魔よりもたちの悪い交換条件を吹っかけてくるものである。いかに自分たちに利する提案であろうとも、そう易々と受け入れられるものではないからだ。


 そして、それ以前に彼は、自身の相棒がずっと危害を加えられている。そのことからも不信感は拭えなかった。それを指摘するに、乙女は顰めた顔をさらに険しくし、一度、唸る。


「これはまた、見事に飼い馴らされておる。なあ、リリン・・・?」


 少年の知るものとは別の呼び名で、乙女は妖精へ言った。不穏な単語をも紛れさせて。


 その後、おそらく乙女は妖精の拘束を解いた、のだろう。常に空に羽ばたく彼女が、ふと、叩き落された羽虫のようにひらひらと、その、異空間に墜ちた。


「けほ、けほ……おっしゃっていることが、解らないのよ。……神様」


「……我を神と認めるなら、とぼけることもないと思うが。……ふむ。もう少し、知らしめたほうがよいのだろうな」


 言うと、乙女は無慈悲に、両手を掲げた。長すぎる袖に包まれたままの、その御手を。


「ひぃっ! ごめんなさいごめんなさい! だけど、あたしは悪くない! これは、お母様――」


 ぱんぱん。と、言葉の途中で、その手は打ち鳴らされる。すると、喚いていた妖精は瞬間に、そこから消えた。


「な――」


「……案ずることはない。『アウウの宝珠』へ還しただけである。……いや、正確にはリリンは、そちらの世界の住人というわけでもないが」


 少年がなにかを言い、あるいは攻撃に打って出る前に、乙女は言った。だから、少年は驚愕する。その強さは、妖精が消されたことによる驚愕をも越えていた。


「還、せるのか? あの世界へ――」


「……愚問であるな。我は神であるぞ」


「だったら、僕も――!」


「……そちにはまだ、この世界ですべき仕事がある」


 ぴしゃりと、乙女は言い放った。断固として譲る気などない――いや、そもそも神が譲る必要など感じていないように、当然の口調で。


「僕に、なにをさせる、気ですか?」


 畏怖し、恐怖し、少年は観念して、ただ、問う。


「……なに、無理は言わん。そちは予定通りに、我が――我々が用意した箱に『憑依』すればよい。とある、青年にな」


「……『憑依』して、なにをさせる気、ですか?」


「……それはおいおい伝える。そちはただ、傀儡として動くだけだ。……傀儡として傀儡を纏う、それだけのこと」


 少年は言い返す言葉も持たず、諦めてうなだれた。


 こうしてある青年が、傀儡となる。異世界からの漂流者に、その力の影響下に置かれて。


 ――――――――


 魂の抜けた少年を横目に、乙女は嘆息した。


「……本当に、ただの使い走りである。この程度、我に頼らず自分でやればよかろうに」


 形成した空間の、いずこかへ向けて、乙女は言った。妖精が創ったものとはわけが違う。神が創りしその異空間には、同列以下であれば他の神ですら、そうそう侵入してこられない。

 それでも、もちろん圧倒的に高位の神については、言うに及ばず。


「いやあ、我は人見知りだから」


 その者・・・は当然のようにそこにいて――具体的には乙女の背後にいて、嫌がる彼女の頭を撫でた。生粋の変態である。

 当然と、乙女は顕著に感情を見せつけるように、頭を振る。しかし、逆に言えば彼女にできる抵抗は、せいぜいがその程度でもある、といえた。


「それに、君ほどの美少女に頼まれたほうが、彼もやる気が出るだろう。思春期の少年だからね」


 嫌がる乙女の頭から、変態は手をどけ、やはり玉座のように背の長い椅子の、背もたれに腕を置いた。そうして体重を預けて、少しだけ身を屈める。ほんの少しだけ、乙女に近付くように。


「……誰が、美女であるか」


「失礼。もういい歳した――年齢に成熟した、美女というべきだったね」


「……くだらん言葉遊びも、もうよい。……それより、こんな異世界からの来訪者まで用いて、なにをするつもりか?」


 ううん。と、乙女の言葉に変態はわざとらしく唸り、首を捻った。


「ま、いろいろね。……ただ、我は、『家族』は仲良くあるべきだと、そう思っているだけだよ」


 そう、彼は言った。


 次なる物語の、ひとつの布石として。



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